第31話 女性の買い物は長いんですよ
そこはルティアナ御用達の店だ。屋敷を抜け出して店に直接やってくることもあるし、ドレスを注文するときは屋敷まで来てもらうこともある。
安価なものから高価なものまで扱っていて、庶民からも物好きな貴族からも重宝されている店だ。
「まぁ、ルティアナ様。お久しぶりでございます……ってその髪は……!?」
顔なじみの店主がルティアナの姿に顔を輝かせたあとに愕然とした。鬘をとったルティアナの髪は、肩にも届かないほどの長さになっている。
「切ったの」
けろりとした顔でルティアナが笑うが、店主はわなわなと震えていた。
「な、な、なんてことを……!」
「突然で申し訳ないんだけど、今からゆっくり買い物できるかしら?あまり人目につきたくないのだけど」
「ええ、大丈夫です。貴賓室も空いておりますし、今日はこのあと予約もありませんから」
「貴賓室……」
「貴族が店に来た時にそちらで接客してもらうのよ。わたしはあまり使わないんだけど、今日はアカリがいるから」
アカリの黒髪を堂々と晒して買い物していたら目立つだろう。騒がれては面倒だし、のんびり買い物もできない。
「なるほど、VIPルームか……!」
びっぷ? とルティアナはまた不思議そうな顔をしていたのでマコトがそっと耳打ちする。貴賓室と意味はあまり変わらない。
「この子の服と靴を揃えたいの。そうね、動きやすくて汚れにくいものを」
「まぁ……」
店主はアカリの黒い髪に目を奪われたようだったが、すぐにアカリが誰か把握したようだった。説明するわけにもいかないので察してくれるのはたいへん助かる。
「かしこまりました。しばしお待ちくださいませ」
マコトはソファに腰掛けたルティアナのそばに歩み寄り、フランツは興味深そうに貴賓室の中を見ている。城を抜け出してあちこち見て歩いていることはあっても、こういう店には足を運ばないのだろう。
「あ、あとゼストの夜着も買わなくちゃ」
「え、な、なんで俺も」
ルティアナの言葉に華やかな部屋の中で居心地悪そうにしていたゼストが目を白黒とさせた。
「だってゼストは囮役でしょう?」
ルティアナはきらきらと目を輝かせた。
「囮なんだからあたしのセーラー服着せればいいんじゃないの?」
少し大きいかもしれないけれど、とアカリが笑う。ひらひらの夜着よりはハードル低いのではないだろうかと親切心で提案すると、ルティアナはやんわりとそれを注意した。
「寝るときに着る服じゃないでしょう? それにアカリは、その服もだけど向こうの世界のものを手放してはダメよ。帰還の魔法に使うのは『向こうの世界のもの』だから、下手すれば帰れなくなってしまうわ」
どの程度の質量であれば帰還の魔法が発動するのかは明確ではないが、服の切れ端だけでも可能だった場合も考えて用心に用心を重ねたほうがいいだろう。
特に王都では、どこにアカリの帰還を阻む者がいるかわかったものではない。
「う、うん」
少し脅しすぎてしまっただろうか、ルティアナの言う意味を正確に理解したアカリは青ざめていた。ちょうど店主がたくさんの服を抱えて二人に広げて見せた。
「こんな感じでいかがです? もちろん外套は必要でしょう? 動きやすいようにとのことでしたので、シンプルな作りのものをメインにしてますが、これなんかたいへん可愛いんですよ!」
「あら、素敵」
店主の持っていたいくつかの服を見て選び始めるとアカリも楽しそうにしている。靴を先に試して、サイズとデザインのあったものを選んだ。
「アカリは明るい色が似合うわね」
「そう?」
くるりと試着したまま回ってみせて、アカリはまんざらでもなさそうに笑った。
「その服なら外套はこっちのほうが」
「んーでもそれ可愛いけど実用性にかける」
「そうなのよねぇ」
可愛いのと使いやすいかどうかはまた別なのである。試着したアカリも悩ましげにうーん、と唸った。
「……まだ決まらんのか」
ひたすら待たされているフランツは疲れた顔で呟いた。マコトが悟ったように微笑む。
「王子、知らないんですか。女性の買い物は長いんですよ」
「……経験済みか」
苦い顔のフランツに、マコトは頷いた。
「そりゃそうですよ。王都には来たことありませんでしたけど、向こうの屋敷で仕立て屋を呼んだときも屋敷を抜け出したときも、そりゃあ長い時間付き合わされますから」
それよりも、とマコトはゼストを見る。
ゼストにならこれが! とルティアナの選んだひらひらの夜着を合わせられたり、アカリがいやいやこれは? と別のデザインを持ってきたりとおもちゃにされたのは数分前のことである。
少年の心に傷が残らなければいいけど、とマコトは合掌した。
それからしばらく、ようやく買い物を終えた女性二人は実に満足げだった。
「では一度うちの屋敷に行きましょう?」
ゼストに守護の魔法をかけてもらわねばならない。馬車での移動はほんのわずかなもので、すぐに屋敷に着く。
「…………ご、豪邸か」
「王都の屋敷はこれでも小さいものよ?」
領地の屋敷は土地があることもあってさらに大きい。ルティアナの発言にアカリは「うへぇ」と声を漏らした。
「部屋を用意させないとね。アカリの部屋と……王子、本当に泊まるつもりですか?」
「向こうにゼストも行くなら、なお必要だろ」
「王子に何かあってもこちらは責任はとりませんからね。勝手にしてください」
のちのち王子に怪我させただのどうのと外野から騒がれては困るので、しっかり釘を刺しておく。
「え、あたしはルティの部屋の隅にでも寝かせてもらえればいいよ」
「そういうわけには……ああでも、安全を考えれば同室のほうがいいかしら」
アカリからしてみればわざわざ部屋を用意してもらうなんて、と遠慮しているだけなのだが、客観的に判断すればアカリを一人にするより安心だ。
「お泊まり会みたい。あ、でも旅の間はルティと一緒になるのかな?」
「そうね、今まではわたし一人だったけど、そうなるかしら」
すっかりルティアナに懐いたアカリは文字通りべったりとくっついている。
その様子に少し、いやかなり、面白くないのはマコトだった。ここまでルティアナを独占されるとさすがのマコトも苛つく。大人になれ大人になれ、と何度言い聞かせたことか。
――そもそも、その
ルティ、というのは、マコトがまだ従者の自覚もなかった頃、ルティアナがマコトに許してくれた呼び方だった。ルティアナには特に親しい友人はいなかったので、その愛称で呼ぶことができたのはマコトだけだった。
けれど立場としてはマコトは従者で、ルティアナは主だったから。そしてお嬢様と呼んでいなければ名前を呼ぶたびに思いが溢れてしまいそうだったから、自分からその特権をしまい込んだのに。
「……ルティアナさんの部屋には強めの結界を、屋敷全体には侵入者を阻む魔法をかけておきました」
「ありがとう、ゼスト。こちらが襲われることはそうないでしょうけど、これで完璧ね」
よしよし、とゼストの頭を撫でると、ゼストは照れたように顔を赤くして俯いた。
ゼストはすでにアカリの身代わりとして鬘を被っている。服はさすがに女物ではないが、フードをかぶり顔を隠しつつ、黒髪だけはわざと見えるようにした。
思わず、ふわあああ、とルティアナが耐えかねたようにため息を吐きだす。
「……だ、抱きしめても」
「いいわけないでしょう」
ゼストの恥じらうような姿にルティアナが思わず両腕を伸ばしかけたが、マコトが慣れたようにその腕を掴んだ。
「それじゃあ城に戻る」
フランツとゼストは馬車に乗り込んだ。
「気をつけて」
心配いらないとは思いつつ、アカリは二人に声をかけた。
フランツもゼストもその声に微笑み返したところで、馬車の戸は閉まりゆっくりと城へ向かって走り出した。
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