第30話 え、これ、日常茶飯事なの?

 応接間を出てしばらく、ルティアナたちが回廊を歩いているときだった。


 ――キラリ、と何かが光った。


「ルティ!」

 マコトがルティアナを抱きしめ、そしてすぐそばではアカリの悲鳴が響き渡る。ルティアナがマコトの腕の中から顔を出すと、おそらく射られたであろう矢はフランツが鞘におさめたままの剣で叩き折られていた。

「衛兵! 西だ!」

 フランツの鋭い指示にすぐさま周囲は慌ただしくなる。バタバタと幾人もの衛兵が矢を放った人間がいるであろう方へ走り去っていく。

「……あら、思ったより情報が伝わるのが早いのね」

 殺伐とした空気の中で、きょとん、とした顔でルティアナは呟いた。

「おまえ……明らかに自分が狙われていて、よくそんな呑気な反応できるな」

 フランツの呆れたような声にルティアナは「あら」と微笑んだ。

「とりあえず主犯は潰しましたけど、羽虫はまだ残ってますもの。この程度は想定の範囲内ですわね」

 マコトの手を借りて立ち上がり、ドレスについた砂埃を払う。

「え、これ、日常茶飯事なの?」

 アカリがひく、と顔を引きつらせていた。ごく普通の女子高生にはスリリングすぎる日常だ。ごめんこうむる。

「……わりとそうかしら?」

 幼い頃から聖女の生まれかわりなのでは、なんて噂されていたおかげで誘拐騒動は過去数回あったし、妬んだ貴族からの攻撃も少なくはない。

 そのたびにアークライト家の警備は厳重になり、マコトは剣の腕をあげていったわけだが。

「おまえなんでそこらへんの王族よりも狙われてんだよ……」

 フランツが呆れたように呟くがルティアナは華麗にスルーした。

「それにしてもこんなに堂々と狙ってくるなんて、羽虫は所詮羽虫ということかしら」

 これでは捕まえてくれと言っているようなものだ。城の衛兵をなめてはいけない。

 ふむ、と呑気に敵の評価をまとめるルティアナの姿に、周囲は呆れていた。




 買い物に行くメンバーがアークライト家の馬車に乗り込む。

「やはりわたしが同行すると危険度が上がるんじゃないかしら?」

 ルティアナの命を狙っている人間がまだいる、ということは先程の襲撃で明らかになってしまった。

「ルティがいてもいなくても、そこはあまり変わらない気がしますけどね」

 ルティアナの向かいに座ったマコトがしれっとそう言う。

「まぁ、そうだろう。聖女アカリを狙ってる輩もいるようだしな」

「え」

 フランツの呟きに、アカリの顔が青ざめる。ついさっき矢が飛んでくる現場に居合わせた身としては当然の反応だ。

「アカリの身を確保して、都合のよいように動かしたい……とまだ考えているのかもしれませんわ」

 悲しいことにルティアナはフランツの示した可能性を少しも否定してくれない。

「でも、それができるのは今だけでしょうね。王都に出る前にアカリを確保して適当に理由をでっち上げて『聖女自ら教会に保護を求めてきた』とでも言うんでしょう」

 ルティアナをはじめとする旅の一行に聖女が害されたとでも主張して、教会は自分たちの都合のいい人間たちで『聖女の旅』を再開させる。

「となると、このあと城に戻るほうが危険だな」

 このあと? とアカリは首を傾げる。今からアカリの旅の準備のために買い物に行く。買い物が終わったら――

「え? もしかしてあたしってお城に泊まるの?」

 まさか、とアカリが目を丸くして問うた。

「ルティたちも?」

「いいえ、わたしとマコトは屋敷に戻ります。明日の出立の時間までにまた来ますわ」

 王都にある屋敷から城まではすぐの距離だし、わざわざ城に部屋を用意してもらうわけにはいかない。

 フランツの護衛としての仕事があるギルベルトは例外としても、リヒトも一度屋敷に戻るだろう。ゼストには魔術師として王城の隅にある寮に部屋が与えられているはずだ。

「……あたしもルティのお家に行くってわけには……」

「うーん……警備のことを考えると、少し問題がありますわねぇ。とはいえ、城もアカリにとっては安全とは言い難いですし」

 アークライト家の警備はかなり厳重だ。それもそれも何かと狙われやすい愛娘のためである。

 しかし聖女があまりにもアークライト家に肩入れしているように見られては困る、という問題もあった。

「ルティアナ、そのかつらを貸せ」

 フランツが突然そんなことを言い出した。

 鬘であったことを知らないアカリは「え? え?」と混乱しているが、ルティアナはすぐに察する。

「……構いませんけど、囮は誰が?」

「ギルベルトはどう考えても無理だろ。リヒトは……背が高すぎるか。と、なると」

 フランツの目が、馬車の端で小さくなっているゼストに向かう。視線を感じたゼストがびくっと身体を震わせた。

「――お、おれ、ですか?」

「背格好からしても女のふりできるのはおまえだけだろう。安心しろ、鬘かぶって布団に潜っていればいい」

「ああ、ゼストが使うならどうぞ」

 ルティアナは潔く鬘を取る。

 まさかギルベルトが鬘を使うなどと言われたら絶対に貸したりしないが、ゼストならまったく問題ない。むしろかぶせてみたい。

 押し込めていた短い髪を手で梳いていると、呆れたように隣に座っていたマコトが櫛を取り出して梳き始めた。

「……マコト、あなた従者生活が身に染み付いているんじゃないのかしら」

「そりゃあ十年もルティみたいなお転婆に付き合っていればそうなりますよ」

 ルティアナの短くなった髪を丁寧に梳いているマコトに、ルティアナが小さく笑みを零す。マコトはいったいどこに櫛などをしこんで持ち歩いているのだろうか。

「俺は目の前でいちゃつかれているようにしか見えんがな」

「ほんとだよ……。それで、あたしは全然よくわからないんだけど、囮ってどういうこと?」

 アカリが挙手して主張するとルティアナは「あら」と目を丸くした。

「アカリが狙われているようだから、買い物のあとに城に戻ったように見せかけて、悪者をとっつかまえましょってことよ」

 ルティアナはとても簡単なことのように言っているが、アカリにはそうは思えない。

「え、それって大丈夫なの?」

「大丈夫よ。ゼストたちは強いから。アカリはうちに泊まればいいわ。マコトもいるし、うちの警備と、城に戻る前にゼストに守護の魔法か何かはってもらえば万全でしょう」

 俺はルティしか守りませんけど、と思いつつ、マコトは空気を読んで黙っておいた。今それを口にするとおそらくルティアナから叱られる。

「俺も泊まるぞ。用心したほうがいいだろ」

「だから、警護対象を増やさないでくださいってば」

 フランツがいたところでプラスになることがあるだろうか、いや、ない。少なくともルティアナの中では特にいなくても問題ない。

「……いったん戻るふりはしたほうがいいか。そのあと抜け出してくる」

「ちょっと王子、人の話を聞いてます? しかも抜け出すって随分簡単に……慣れてますね?」

 こいつ常習犯だ、とルティアナが顔を顰めるがフランツは素知らぬ顔をしていた。

「……王子とルティって似てるよね」

 二人の様子を眺めながらアカリがぽつりと呟く。

「どこがだ」

「似てませんわまったく」

 すっかり同じタイミングで答えてくるので、アカリはおかしくなって「ほらー」と笑った。

「どうせマコトはおまえしか守るつもりはないだろ」

 つい先程飲み込んだ言葉をフランツが口に出したので、マコトはしれっと認める。

「まぁそうですね。誰かとルティが同時に危険な目に遭っていたら、間違いなくルティを助けます」

「ほらみろ……」

 フランツの呆れた声にもマコトは表情を変えない。ルティアナが一言マコトに注意すべきかと考えていると、馬車は一軒の店の前で止まった。

 目的の店に着いたのだ。

 ルティアナは浮かない顔のアカリを見て微笑んだ。

「さて嫌なことは忘れて、まずは楽しくお買い物といきましょう?」

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