第24話 『このもじをよめるあなたへ』

 召喚の間を出て、控えの間に用意されていた椅子に腰かけたルティアナは、にっこりとお茶にでも誘うかのように口を開いた。視線が自然とルティアナに集まる。

「……さて、役者も揃っていることですし、こちらはこちらで仲良くお話といたしましょうか?」

 控えの間にもともといたルティアナの父であるアークライト公爵、並びにリヒトの父のカーライル公爵を加え、召喚の間から出てきた人々が集っている。

 大勢いた神官たちは下がったが、大神官クレメンスとトーマスだけが残っていた。

「話とは?」

 国王が低い声で問うた。

 ルティアナはちらりとゆるりと腰を下ろす大神官クレメンスと、その後ろで護衛のように立っているトーマスを見た。

 二人ともまったく動揺を見せないのはさすがと言うべきだろうか。クレメンスは微笑みを浮かべ、トーマスは相変わらずルティアナを睨んでくる。

「教会による公爵令嬢暗殺未遂及び聖女帰還の妨害について」

 ルティアナの言葉に、国王が眉をぴくり、と動かした。

 動揺を見せたのはゼストくらいなもので、ギルベルトは腹をくくっているのか諦めているのか顔色を変えない。

「それらを命じたのは教会――大神官さまであるとわたしは考えたのですけれど、間違ってますかしら?」

 ルティアナはかわいらしく小首を傾げてクレメンスを見つめた。

「申し訳ございませんが、公爵令嬢のおっしゃることに覚えはございません」

 クレメンスは困ったように微笑むばかりだ。ルティアナは青い瞳でじぃっとクレメンスを見る。その微笑みには裏があるようにも見えるし、ないようにも見える。

 ルティアナは追撃の手を緩めずに続けた。

「聖女を召喚後、帰還の道を閉ざし聖女の後見となることで国政への発言力を得ようとした……違います?」

 ルティアナの発言に、二人の公爵はクレメンスとトーマスを見る。

「それが真実なら問題だな」

「大神官殿、どういうことだ」

 本来神官は政治に関わる人間ではない。それが国政への影響力を得ようとしているのであれば、当然問題が生じる。

 公爵は睨むようにクレメンスに問いかける。しかしクレメンスは鉄壁の微笑みを崩さない。後ろのトーマスのほうが顔色が悪くなってきた。

「聖女の召喚と帰還は一対の魔法です。……聖女は必ず元の世界に帰る。そこまでが、聖女の役目なのですから」

 国を救った伝説の乙女は、誰のものにもならず、国を導いて元いた場所へ帰る。そうでなければ、聖女との婚姻による権力の歪みが生じてしまうからだ。

 今までは、そうされてきた。

「しかしそれは、先代聖女から崩されてしまった。帰還の道が、原因不明で閉じてしまったから。……あのとき帰還の道は、教会によって閉ざされた。違います?」

 国王も公爵も、そしてギルベルトたちもルティアナの話に割って入る様子はない。ルティアナは慎重に周囲の表情を伺いながら続けた。

「帰還の魔法には、あちらの世界のものを向こうに送り返せばいい。それは無機物でも問題ない。だから教会は、先代聖女が召喚されたとき身につけていたものすべてを送り返した。そして、道は閉じた」

「いいかげんにしないか! そんなもの、なんの証拠もない!」

 ついにトーマスが声を荒らげてルティアナの話に割って入る。

「そうですわね、確たる証拠は何一つございませんわ。けれど聖女の手記には教会への疑念が記されておりました」

 この世界に来たときに身に着けていたものを、何一つ教会は返してくれない。元の世界を思い出すためのよすがとして、手元に持っておきたいのに。

 そのような記述は確かに手記に残されていた。そこから先代聖女本人の教会への疑念も多く綴られている。

「前回は、聖女をこの世界に留まらせ後見役としての発言力を得るだけでなく、当時の王子との婚姻をすすめ、聖女を王妃に据えようとした」

 ただの聖女よりも、王妃の後ろ盾となったほうがより国政への関与は強まる。うまく操れば国王すら意のままだ。

「そんな手記、どこにあった」

 アークライト公爵――ルティアナの父が娘に問いかけた。

 ルティアナはひとつの手紙を取り出して、一同に見せる。

「『このもじをよめるあなたへ』と書かれております。……聖女がいた世界の文字ですわ」

「本当にそう書いてあるかどうかなど判断しようがないだろう……!」

 ひらがなで書かれたそれは、この国の人間にはただの記号の羅列でしかない。だがルティアナには読める。幼い頃、マコトにこの世界の文字を教えたように、遊び半分でマコトからひらがなを教えられたから。

「ご心配なら聖女さまに読んでいただいてかまいませんわ。……彼女も読めるでしょうから」

 ルティアナがまったく臆せずにそう告げると、トーマスは言葉を詰まらせた。

「この手紙の中に、手記の隠されている場所のメモがありました。手紙は……わたしも半分以上読み取れませんでしたけど」

 ルティアナは苦笑しながら手紙をしまう。

「手記を見つけてから、わたしはこっそりと当時のことを探りましたの。……先ほど、聖女を身を清めるといって浴室へ移動させようとしたのは、彼女の身につけている異世界のものを手に入れようとしたのでしょう?」

 あれは、どう考えても不自然な流れだった。召喚されて間もない聖女になんの説明もなく風呂へ行け、なんて。

「聖女の後見となる。しかし邪魔だったのが、わたしというもう一人の黒髪の乙女」

 ルティアナは見せつけるように自分の黒髪に触れる。

「聖女の証ともいえる黒髪を持つ乙女がもう一人いては、聖女の神秘性も薄れてしまいますものね? 実際、わたしは聖女の生まれ変わりじゃないか、なんて巷では言われているようですし」

 ルティアナが生まれたとき、青みがかったその黒い髪は奇跡の色だと言われた。生まれるはずのない黒い髪の子ども。それが聖女の子孫に生まれた。

 これはきっと、天の導きだろう、と。

「わたしを消したかった教会は、暗殺を試みた。聖女の代わりとして旅するわたしが、魔物に襲われて死ぬ。けれどそれを公にはできないから、表向きは病死か事故死となる……残念ながら、ギルベルト様はしくじりましたけどね?」

「……ここで証言させるために俺を生かしていたんだろ?」

 ギルベルトが苦笑した。あのとき、マコトがギルベルトを殺してしまっていたら。おそらくトカゲの尻尾と同じくギルベルト単独の犯行だと揉み消されただろう。だからギルベルトの証言が必要だった。それは否定できない。

「ギルベルト様を殺して、マコトまで処刑されるのはごめんです」

 将軍家の、貴族を殺せばマコトも極刑は免れない。彼はアークライト家に仕えているだけで、身分の上では平民なのだから特別措置なんてありえないのだ。

「それにもうひとつ」

 ルティアナは笑みを消して、青い目で大神官を睨めつけた。

 これだけは。

 これだけは、ルティアナは微笑みながら問いかけるなんてことはできない。


「十年前、教会は独断で聖女召喚を試みましたね?」


 ルティアナの凜とした声が部屋の中に響き渡る。その時だけ、大神官が大きく目を見開いた。

「それも召喚の間を使わず、帰還の道のない一方的な召喚を。しかしそれは失敗に終わった。聖女は召喚されなかった」

「それがなんだというのだ! 小娘ごときがごちゃごちゃと!」

 淡々としたルティアナの語りは、トーマスの吠えるような声で掻き消された。

「何が黒髪の乙女だ、何が聖女の生まれ変わりだ……! おまえの存在がどれだけ教会を揺るがしていると思っている!」

 叫びながらトーマスは懐から短刀を取り出し、ルティアナに向かって駆け出した。控えの間にあるのは休むための椅子のみで、テーブルなど遮るようなものはない。

「ルティアナさん!」

「っ!」

 ゼストがルティアナの前に飛び出し、防御の魔法を使う。しかしその前に、トーマスはギルベルトによって取り押さえられていた。

「……まさか、あなたがたに守られるとは思ってもみませんでしたわ」

 庇うように抱き寄せられたリヒトの腕の中で、ルティアナは驚きながら呟いた。

 おそらくゼストは動いてくれるだろう、と思っていた。それだけでもルティアナにしてみればかなり楽観的な予想だ。

「……勝手に身体が動いただけだ。姫さん、それ以上近づくなよ」

「え? ああ……もちろん」

 ギルベルトはルティアナに接近したときに発動する魔法の、ギリギリの範囲外にいた。ルティアナが一歩でも近寄れば彼には警告のように痛みが襲うはずだ。

「さすがに、仲間の危険をただ眺めているほど非情ではありませんよ」

 苦笑しながらリヒトがルティアナを解放した。

 仲間、という言葉にルティアナはきょとんとするしかない。――そうか、仲間か。

「……衛兵! その神官を捕らえよ」

 国王が声を上げると、すぐさま衛兵が駆けつけてくる。ルティアナの語ったものはただの推測ばかりで、証拠と断言できるものはない。しかし、国王の目の前で起きた事態に証拠など必要なかった。

「王家は狂わされている。聖女に、聖女の血に!」

 駆けつけた衛兵に引きずられながらトーマスは叫んだ。その姿に神聖さなど欠片も残っていない。

「……狂っているのは、あなたでしょうに」

 その後ろ姿を見ながらルティアナは小さく呟いた。


「大神官クレメンス。申し開きはあるか」

 国王は残った大神官を見て問いかける。クレメンスは悲しげに俯いていた。

「私の監督不行届です。トーマスの凶行に、気づきもしませんでした」

「……大神官さまは無関係である、と?」

 ルティアナはクレメンスを見つめて問う。

 推測がすべて正しかったら、という仮定のもとではあるが、たった一人の神官がやったと片付けるには、あまりに大それたことではないだろうか。

「無関係も何も、私は何一つ知らされておりません。私の名を使って命じたのはトーマスでしょう」

 クレメンスの発言に、ルティアナはちらりとギルベルトを見た。ギルベルトは苦笑して口を開く。

「……確かに、俺が会ったりやり取りしていたのはあいつだけだったな」

 実行犯であるギルベルトの証言で明らかになるのはここまで、ということだ。

 クレメンスがトーマスに命じてすべてを計画したとしても、トーマスが口を割らなければそれは証明できない。

「……一人の神官の暴走だとして、無罪というわけにはいくまい。おまえには謹慎を命じる」

「はい」

 クレメンスは深々と頭を下げ、騎士たちに付き添われる形で退出した。


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