第25話 何を望む?
「残るのは、その男の処分か」
ひやりと冷たい目で、国王はギルベルトを睨めつける。その目に思わずギルベルトは息を飲んだ。
「先程の話なら、その男がルティアナを殺そうとした……というように聞こえたが」
ギルベルトの額から冷や汗が流れる。
もとよりギルベルトも失敗すれば命はないと覚悟していた。処刑の場合、痛みはどれほどだろうか、などと考える。マコトにあの時殺されていたほうが楽に死ねたかもしれない。
「それは事実か?」
その問いに対する答えは、ルティアナかギルベルトしか持っていない。国王の目はギルベルトを捉えているので、ルティアナは口を閉ざした。
緊迫した空気のなか、リヒトがルティアナの傍らにやってきて小声で問いかけてくる。
「……もしや、あの夜ですか?」
「リヒト様はさすがですね。そうですよ」
ルティアナの暗殺を実行できるようなタイミングはほとんどなかった。なぜならルティアナの傍には必ずといっていいほどマコトがいたからである。
その実力は、旅の一行ならば誰でも知っている。
「……なるほど。おかしいと思ったんです」
疑問が解けてリヒトはすっきりした顔をしている。
「あら、彼は強姦なんてする人ではないと?」
「いいえ、あなたがそんな隙を見せるはずがないだろう、と」
リヒトの返答に、ルティアナは「まぁ」と目を丸くした。思っていたよりもリヒトの中でルティアナの評価は高いらしい。
ピリピリとした空気の中でそんな会話をこそこそとしていられる二人がゼストからすれば不思議だった。先程からゼストはこの場から逃げたくて仕方ないのに。
「陛下! 親である私の監督不行届です。私がいかなる処分も……」
「いい年した息子相手に、監督不行届も何もないだろうさ」
ギルベルトは将軍の言葉を遮った。
養父の姿にギルベルトも腹を括ったらしい。その顔はどこか晴れやかだった。ギルベルトはすっと姿勢を正した。
「アークライト公爵家のルティアナ嬢を亡きものにせよ、と神官トーマスに命じられたのは俺です。実際、彼女を殺そうともしました」
「……弁明はあるか」
「いいえ」
きっぱりと、ギルベルトは言い切る。
言い訳はしない、と。
その様子に国王はその真意を探るように目を細めた。将軍は珍しく動揺したままだ。養子だというけれど、良好な親子関係を築いていたということだろうか。
「……本人がこの期に及んで何も話さないのは呆れますけど」
潔く罪を認め裁かれようとするギルベルトに、ルティアナはため息を吐き出しながら割り込んだ。
ギルベルトの罪は罪としても、情状酌量の余地はある。それすら明かすつもりがないのだから、顔に似合わず潔癖なのかもしれない。
「彼はトーマスから脅されていたんです。孤児院の人々を人質にとられていたようですよ」
「姫さん」
余計なことは言うなというようにギルベルトは低い声でルティアナを制する。しかしそんなもので怯むルティアナではなかった。
「だってあなた、褒美としてもらう予定の金銭だって孤児院のために使うつもりだったんでしょう? あなた自身がお金に困ってるなんて思えないもの」
「それ、は……」
ギルベルトが言葉に詰まる。
まさかそんなことまで見透かされているなんて思ってもいなかった。
そしてルティアナは、この場の主導権をギルベルトにくれてやる気はないのだ。
「陛下、彼が育った孤児院に兵を派遣してください。トーマスの手の者がいないとは限りません。孤児院の方々に危害を加えるかもしれませんわ」
既にギルベルトがしくじったことは明らかで、これ以上教会に従う様子がないということははっきりとしている。報復として孤児院に火でも放たれたら危険だ。
「将軍」
「すぐに」
国王が目配せしただけで将軍はすぐに手配を始めた。迅速な動きにルティアナもほっと胸を撫で下ろす。
無関係の人々が傷つく可能性を見逃すわけにはいかない。
「……言っておくけど、あなたが素直に教えてくれればあの時にすぐ手を打ったのよ」
ふん、とルティアナはギルベルトを睨む。
「生憎、貴族は簡単に信用しないことにしている」
「あらそう。別にあなたに信用されなくてもわたしは構わなけど。もっと上手に立ち回るべきでしょうね」
どれだけ貴族を嫌っていようと、今はギルベルト自身もその貴族の一人なのだ。その中でうまく生きていくにはもっと頭を使わねばならない。
「その男の処分はおまえに任せよう。それで良いか?」
「ええ、ありがとうございます。彼には今後も馬車馬の如く働いていただきますから」
国王の言葉にルティアナはにっこりと微笑みながら頷いた。
聖女の旅はまだ始まってすらいないのだ。
その一行からギルベルトが抜けると戦力の低下は否めない。
「……さて、おまえには何か褒美をやらねばなるまいな。ルティアナ、何を望む?」
聖女の代わりとして務めを果たしただけではない。神官であるトーマスの計画を暴いたことは国王も認める働きだった。
「わたしは……」
ギィ、と召喚の間に続く扉が開いた。扉を開けたマコトを目が合う。
マコトに続いてフランツが出てきた。その腕に抱きかかえられているアカリを見ると、目があった。黒い瞳がルティアナを見つめ返す。
「……わたしが望むのは、聖女さまが無事に役目を終えて帰還すること。そして、叶うことなら」
――マコトの黒い目と目が合う。
ルティアナは心の底から笑った。ふわり、と花が綻ぶような笑みに誰もが目を奪われる。
「わたしの従者も、ともに元の世界へ帰したいと思います。……彼が望み、聖女さまの承諾を得られるのであれば」
それは凛とした、うつくしい声だった。
*
思えば、ルティアナが先代聖女の手記を見つけたのは天啓だったのかもしれない。
そこは、使われなくなった祖父の書斎で、今では増えてきた本の倉庫になっているようなものだった。
十歳になった頃だった。ルティアナは読める本も増えてそれが楽しく、この書斎にきては本を吟味していたのだ。
それは、本棚の一番下、分厚い本と本に挟まっていた。
祖父のメモか何かだろうか、と引っ張り出して、それが手紙だと知った。
「この、も、じが、よめ、る、ひとへ」
それはこの国の言葉では書かれていなかった。マコトに教えてもらった、マコトの国の言葉だ。
マコトが書いたのだろうか? いや、それにしては古びているし、マコトの字ではない。
ルティアナはわずかに悩んで、封を切った。
どきどきと緊張しながら開けたその中には、たった一枚の便箋。
『ひだりのほんだなのいちばんした、おうこくけんぶんろく』
書かれているとおりの場所で、同じタイトルの本を見つける。なんだ、これを見せたかったのだろうかと拍子抜けしながら本を取り出す。ぱらぱらとめくって、中身が違うものになっていることに気づいた。カバーだけが王国見聞録のものになっていて、中身は日記に近かった。
「これは」
これは、きっと曽祖母の、先代聖女のものだ。
この国の言葉と、マコトの国の言葉、ふたつが入り乱れて書かれたそれは、そうでなければ説明がつかない。ルティアナとマコト以外で違う世界の言葉を知っているとしたら、それは曽祖母しかありえないのだ。
はじまりは、ほとんどこの国の言葉で書いてあった。しかしその内容も、日常のものから徐々に教会への疑念が綴られている。
途中から少しずつマコトの世界の言葉が混じった。ルティアナに読めない言葉が多くて、内容はほとんどわからない。
「かえりたい」
ひとつ、はっきりと読み取れる単語を見つけた。
「って……に、を……たい、れ、を……い、たい? ……りたい」
続く文は、やはりルティアナには読めない。マコトなら読めるのだろうか、と考えてすぐに、これはマコトには見せてはいけないような気がした。
この世界に来て三年ほど、ようやく彼は眠っているときにうなされなくなった。家族の名を言わなくなってきた。
――でもそれは、正しいのだろうか?
聖女は元の世界に戻れるのに、なぜ曽祖母はこんなに帰れないことを嘆いているのだろう。聖女が帰れるのに、マコトが帰れない理由はなんだろう。
手記を抱きしめて、ルティアナは決意した。
マコトが帰れる方法を探そう、と。
このままではマコトはきっと、曽祖母と同じようにいつか後悔する――同じように、深い嘆きが訪れる。
きっと帰還の術を探し出すために、この手記は役立つはずだ。
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