第26話 あなたには選択する自由がある
「お嬢様……!?」
マコトが驚いて声を上げるが、ルティアナは彼を見なかった。
「……それが可能であり、本人たちが望むのであれば善処しよう」
「そのお言葉だけで充分です、 陛下」
ルティアナはほっとしたように微笑んだ。
ルティアナの望みは、先代聖女の手記を見つけた頃からずっと変わらない。マコトに、元の世界へ帰る道を与えたい。帰るという選択肢を与えたい。ただそれだけだ。
「最後にひとつ、国王陛下とお父様にお聞きしてもよろしいですか?」
「なんだ?」
二人が揃っているタイミングなどそうそうない。ルティアナは背筋を伸ばして、最後の問いを口にした。
「……十年前、失敗した聖女召喚。そのときに召喚されたのは、マコトですね?」
問いかけられた国王と公爵、そして問うたルティアナ以外の者は「え?」と目を丸くしていた。
マコト本人さえ、そんなこと初耳だと驚いている。
「現れたのは召喚された場所ではなく。やって来たのは、女性でもなければ旅に出れるほどの年齢でもない、子どもだった。だからお父様と陛下はマコトの存在を秘匿した」
ただ隠すにはマコトの黒髪は目立ってしまう。しかしアークライト家だけは別だった。既にルティアナという『黒髪の乙女』がいる屋敷で保護し、領地から出ないことでマコトは平穏に過ごすことができたのだ。
「だとしたらどうする」
「……どうもしません。答え合わせがしたかっただけですから」
ゆるゆるとルティアナは首を横に振る。
ルティアナは、ただ真実が知りたかっただけだ。マコトにすら隠された、彼がこの世界にやって来ることになった原因を。
その後、国王は退出し執務へと戻った。
次いでカーライル公爵がリヒトと一言二言会話したあとで控えの間を出る。
「どういうことですかお嬢様……!」
マコトはすぐにルティアナに詰め寄った。余裕のない表情と荒らげた声は、マコトらしくない取り乱し方だった。
「帰還だのなんだのって、俺は……!」
マコトは何も聞いていない。――ルティアナから、何も聞かされてない。
「わたしは、あなたに言ったわね」
ルティアナはその青い瞳でマコトを見上げた。
「あなたには選択する自由がある。選ばされるのではなく、自分で考えて選びなさい」
従者になるかどうか。従者を続けるかどうか。かつて、ルティアナはマコトに選ばせた。
そして今、再び選ばせようとしている。この世界で生きていくか、もとの世界に帰るか。
「帰ることができないからこの世界で生きるのではなく、しっかりとふたつを天秤にかけなさい。あなたが後悔しないように」
ルティアナは凛とした声で、眼差しで、ただマコトの主として言葉を紡ぐ。
ここにいて、とも帰らないで、とも、彼女から引き止めるような言葉はなかった。
「……なんで」
その小さな呟きは、迷子のように頼りなく、今にも泣き出しそうな響きがあった。
まだ時間はあるのだから、じっくり考えればいい。ルティアナがそう告げようとすると、アークライト公爵が制した。
「……お父様?」
ルティアナが不思議そうに見上げると、公爵は微笑んだ。
「マコト、少し私と二人で話をしようか」
「……旦那様……?」
公爵の提案にマコトも戸惑っているようだった。
「これでも私はおまえの親代わりのつもりできた。今は混乱しているだろう?ルティアナのいない場所で、整理したほうがいい」
「……はい、ですが」
マコトが、ルティアナを見る。ルティアナの傍を離れることにわずかながらに躊躇いがあるのだろう。
「わたしなら大丈夫よ。ここは城の中なんだから護衛の心配なんていらないわ」
つい先程、トーマスに刺されそうになったのだがそれはそれとして置いておく。
マコトはルティアナを見つめ、そして公爵を見る。
自分で選べと言われても、以前のようにすぐに結論は出ない。従者になるかどうかとは比べものにもならない問題だ。
結論を急ぐ必要がないということもわかっているのに、マコトの頭の中ではぐるぐると考えが纏まらずにいる。
マコトは一度目を閉じ、細く息を吐き出した。
「……では、少しの間お傍を離れます」
「ええ」
ルティアナは父と共に部屋を出て行くマコトを快く見送った。
さて、とアカリはフランツを見た。
部屋の中に残っているのは、マコトを除いた旅の一行だけだ。
ここは自分で切り出さないと話が進まないような気がする。ここで放置されても困る。ものすごく困る。
「ねぇ、王子。詳しいことを教えてくれるんじゃなかったの?」
「ああ、そうだった。悪い」
聖具を集めてほしい、でフランツの説明は止まったままなのでアカリは依然として何が何だかわからないままだ。
こういう時すぐに謝ることができるんだな、とアカリは思った。王子様って、もっと偉そうな人なんだと思った。
それはルティアナに対してもそうだ。偉い立場の人なら、偉そうにしていると思ったけれど、違うらしい。
『わたしが望むのは、聖女さまが無事に役目を終えて帰還すること』
一方的にこの世界に呼ばれたアカリには、衝撃的な言葉だった。
何を望む、とそう言われてルティアナが真っ先に口にしたのは、アカリのことだったのだ。役目を押しつけられることに多少の抵抗はある。なんであたしが、という気持ちはまだ消えていない。
召喚されてすぐ、当然のようにアカリに救いを求めてきた神官たちの目が目に焼き付いている。
「王子、説明のために召喚の間に残ったのに何をしていらっしゃったんです?」
ひやりと背筋が凍るようなルティアナの笑顔に、フランツは一歩後ずさった。
「いやまて。説明はした。ちゃんとした。だが聖具やらなにやらはおまえやリヒトのほうがわかりやすく説明できるだろう」
「それを世間では人任せと言いますわね」
「まったくです」
珍しくリヒトまでルティアナに同意してフランツを責めてくる。しかも見ていると、王子に味方する者はいないようだ。
「……あれ? 王子っていじられキャラ?」
ぼそり、とアカリは思わず呟いた。
「なんだそれは! なんとなくいい意味でないことだけはわかるぞ!」
「んー……周りからあれこれといじられからかわれる運命にある人、みたいな感じ?」
「そんなわけあるか!」
「まぁ、それはまさしく王子ですわね」
うんうん、と頷くルティアナにやっぱりそうか、とアカリは納得した。見た目だけは完璧王道王子だけど、中身はいろいろ残念……という認識でいいらしい。
「自己紹介もまだでしたわね。わたしはルティアナと申します。アークライト公爵家の娘で、マコトの主です」
ふわり、とドレスをつまみ、ルティアナはおとぎ話のお姫様みたいな礼をした。
顔を上げたルティアナを目が合って、アカリは思わずあたふたとする。こんなお姫様みたいな人、友達にも知り合いにもいない。
ルティアナは隣にいたゼストを見てそれぞれアカリに紹介し始めた。
「そして、こちらはゼスト・クラウス様。とても優れた魔術師でいらっしゃいます。その隣がカーライル公爵家のリヒト様。さらにその横は……覚えなくてけっこうです」
「まて姫さんまて」
明らかに紹介を省略されたギルベルトが間髪入れずに声をあげた。
「あら。強姦魔の紹介は不要でしょう?」
「その誤解はたった今、さっき、姫さんがぶった切ったよな」
ギルベルトの罪状は強姦未遂ではなくなったはずだ。被害者本人が真実を明らかにしたにも関わらず、ギルベルトの扱いがひどい。
「暗殺未遂犯よりマシかと」
「いやどっちもどっちだろっていうかさっきの流れは俺のことは許す感じだったよな!?」
「戦力的にあなたが抜けると痛手だから仕方なく譲歩しただけですわ」
「あんたほんとに可愛くないな!」
ギルベルトに可愛いと思われなくてもいい、とルティアナは半眼で睨みつける。
「……強姦魔」
聞き捨てならない単語に、アカリも黙っていられなかった。暗殺未遂、なんて不穏な言葉も聞こえた気がする。
「安心しろ、俺は薄っぺらい胸に興味はない」
警戒心をあらわにしたアカリに、ギルベルトが冷ややかに笑った。主に胸元を見て。
「……貧乳!? いま貧乳って言いやがったあのおっさん!?」
アカリがギルベルトを睨みつけながら声を上げる。確かにルティアナに比べると寂しい胸元ではあるがそこを会ったばかりのギルベルトに言われたくはない。
「おっさん!? 俺はまだ二十七歳だぞ!?」
アカリの発言もギルベルトにも間違いなく打撃を与えたらしい。現代日本ならアラサー。十代とはまた違った意味で繊細なお年頃である。
「十歳以上も年上じゃん、おっさんだよおっさん」
残酷だが、女子高生からすればおっさんだ。それが日本社会の現実だ。
「ではギルベルトはおっさんでいいですわね」
「姫さんもさりげなく呼び捨てか!」
「あら、あなたに敬称が必要かしら?」
いらないわよね? と有無を言わさぬ笑みでルティアナが問いかけると、ギルベルトは頬を引き攣らせる。
「自己紹介もすんだなら今後の話を……その前に場所を変えるか」
フランツが控えの間をぐるりと見て呟く。とてもゆっくりと話をするのに向いた場所ではない。テーブルもないので、当然飲み物もないし、地図を広げることもできない。
それならばとルティアナは控えの間の扉を開けて、そこにいた衛兵に声をかけた。
「申し訳ありませんけど、靴を持ってきていただけます? 女性ものの」
移動するというのなら、靴を履いていないアカリをこのまま歩かせるわけにはいかない。アカリが靴下しか履いていないことにルティアナもちゃんと気づいていた。
「そんなものなくても……」
「また王子が抱き上げてくださると? 以前にも申し上げましたけど、王子はもう少し女性を知るべきですわね。さっそく注目を浴びてどうするんですか」
そんなことをしたら、明日にはフランツとアカリが恋仲だなんて噂が流れてもおかしくない。
異世界にやって来たばかりのアカリに敵を作ってどうするのだ。
「あたしもお姫様抱っこでの移動は嫌」
アカリにも断固拒否という顔をされ、善意をすっぱりと切り捨てられたフランツは憮然としていた。
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