第27話 ……俺が、後悔しないように
旅の一行(マコトを除く)は応接間に移動した。既にお茶の用意がされていて、さすが王城の使用人たちは動きが早い。
おのおの座ってくつろぎ始めた中で、フランツはルティアナに声をかける。
「……おまえ、もう少し何か言ってやれば良かったんじゃないのか」
マコトのことだ。
フランツから見ても、マコトは驚いて傷ついているように見えた。思わず口に出さずにはいられないほどだ。
「何か、とは? 泣いていかないでと縋りつけばよいですか? それとも帰るなと毅然と命じればよいですか? ……どれも、わたしの都合でしょう」
ルティアナが振り返り、睨むような強い眼差しでフランツを見た。その目には強い決意が宿っている。
「それにきっと、わたしが少しでも引き止めたら、マコトは選択することさえやめてしまう」
それでは駄目だ。
これは、これだけは、マコトが選ばなくては意味がない。
誰かに選ばされた、誰かに誘導された答えなど、将来の傷になるだけだ。
「……だが」
ルティアナの言いたいことは、痛いほど分かる。ルティアナがマコトに突き付けた選択は、誰かに決めてもらっては意味がない。
それでも、もう少しやり方があったのではと思ってしまう。
「……王子、先代聖女の手記に、なんて書いてあったと思いますか?」
ぽつり、とルティアナが小さく零した。
ルティアナが見つけた、聖女の手記。読めない部分は多々あったが、ひらがなだけでも十分に読めて、意味をなす言葉はもちろんあった。
「『かえりたい』 ……そう、書いてあったんですよ」
ルティアナは淡く笑みを浮かべる。フランツは何かに刺されたような、痛々しい表情で黙った。
先代聖女は――ルティアナの曽祖母は、話に聞く限り結婚後は不幸ではなかったし、曽祖母を知る祖父や父に話を聞いても穏やかに微笑んでいる人だった、という答えが返ってくる。
そんな人でも、誰にもわからぬように悲しみを、後悔を、零さずにはいられなかったのだ。
「……わたしはマコトの望むように、生きてほしいと思ってます」
――たとえその先にあるのが、永遠の別れであっても。
「だったらそれを、言ってやればいいだろう」
捨てられた子犬のようになっているマコトは、見ている側のほうが痛ましいほどだった。しかしルティアナは首を横に振った。
「わたしの意思はわたしのもので、マコトの選択に関わるべきではありませんもの」
頑なだ、とフランツはため息を吐き出す。
……時には対話も必要だろうに。
*
元の世界へ帰れ、と。
突き放された気分だった。
この十年で築いてきたものは、こんなに簡単に崩れるのか。こんなに容易く壊れてしまうのか、と泣き叫びたくなるほど。
同時に、マコトはちゃんとわかっているのだ。
マコトの知るルティアナは、そんな非情な人間ではないのだと。非情になりきれない、やさしい人なのだと。
わかっているから、かろうじて醜態を晒さずにすんでいる。
いつだってルティアナは、マコトにたくさんのものを与えてきた人だ。
そして何の見返りも求めない。だからマコトは、自分のすべてでルティアナに尽くしてきた。
アークライト公爵とマコトは、王城内の庭園に移った。周囲には人がいない。
城の中でも、限られた者しか足を踏み入れることのない場所なのだろう。我が物顔でそこを使う公爵はやはりルティアナの父親だ。
「……旦那様。俺はもう何年も前から、あちらに帰るなんて――帰りたいなんて、思っていなかったんです」
マコトは公爵の目を見ることができずに、足元に視線を落とした。
公爵の青い瞳は、ルティアナによく似ている。今はその目に見つめられることが、少し居心地が悪い。
「それも、旦那様や奥様がこれ以上ないほどによくしてくださって、お嬢様にも何度も何度も救われて、ここで生きていくことがまったく苦痛ではなかったからです。アークライト家に来てからというもの、俺はとてもしあわせでした」
あの日、ルティアナに助けられたことは、マコトにとって幸運だった。
その後も、マコトの世界のことをルティアナが話してくれとねだってきたり、ひらがなを教えたりすることは、まるで忘れなくていいと言ってくれているようだった。
マコトがいた世界は確かにあるのだと、ルティアナはそれを知る人間であってくれた。
屋敷の庭の片隅に咲いていたタンポポに目を奪われて立ちすくんでいるマコトを、彼女は必ず迎えに来てくれた。
居場所はここにあると、そう思うことができた。
「あの子はおまえに、たくさんのものを与えてきた。おまえが生きていけるように。苦労しないように。……幸福であるように。それはわかっているんだろう?」
「もちろんです」
マコトはルティアナから、常に与えられてきた。与えられてばかりいた。
きっと、これからもずっと。マコトがルティアナの傍にいる限り。
「それがお嬢様のやさしさなのだということも、わかってます。……今回のことも、」
言葉が詰まる。
浮かぶのは凛とした横顔と、決意に満ちた声だった。
ルティアナはマコトが元の世界へ帰ると思っている。向こうの世界に、それだけ大切な家族がいるということをルティアナはよく知っているからだ。
世話の焼ける妹と、にこにことして容赦のない姉と、そんな子どもたちを見守る両親。
それらは、十年という月日をもってしても色褪せていない。
「お嬢様は俺のためを思って選択肢を与えてくださったんでしょう。……俺が、後悔しないように」
だがそれは、どうあっても無理な話だ。
どちらを選んでもマコトは後悔する。それだけ、マコトにとってこの世界はいとしいものになっているから。
元の世界に帰ったところで、おそらく十年も失踪していたのだから、死亡扱いになっているだろうな、とか。
中学高校の教育を受けていないのだから知識も足りないだろう。大学なんて入れるのだろうか。いやそれよりも就職できるのだろうか。
現実的な問題が目の前に落ちてくる。きっと、元の世界に戻ったら十年も失踪していた人間が生きて戻ってきたとニュースになるんじゃないだろうか。平穏な日常は送れないのではないだろうか。
ありえなかった『帰還』という道を前にすると、あれこれと問題が浮かんできた。
考えたこともなかったそれらは、マコトの前に大きく立ちはだかる。
でもきっと、家族は喜んでくれるだろう。どこに行っていたんだと叱られるかもしれない。泣かれるかもしれない。
けれど、歓迎されるだろうとマコトは無条件に信じられる。
二つの世界を天秤にかける。
それは、マコトにとってはどうやっても同じ重さだ。
しかし。
「……お嬢様のいる未来と、いない未来。それは秤にかけるまでもありません。あの人のいない人生なんて、俺にとっては墓場と同じです」
言葉にすると、それはマコトのなかではっきりと形となる。
ルティアナという存在は、それだけマコトのなかで大きいものだ。
――ああ、なんだ。それならマコトがやるべきことなんて決まっている。
ルティアナと共に生きる未来を手に入れる。それだけだ。
「旦那様。お暇をいただきたいのです」
マコトの黒い瞳が、まっすぐに公爵を見た。
「なぜ、と問うていいのかな」
公爵は驚いた様子はなく、冷静にマコトを見つめ返した。
「ただの一人の男として、お嬢様の――ルティアナ様の傍にいたいと、思います」
従者として傍にいる限り、ルティアナは『主』だ。彼女もそうあるように振る舞う。
こちらで生きていくという選択をとるのなら、何よりもルティアナの傍にいられる未来を掴みとらなければ意味がない。
公爵が目を細めた。
「従者として傍にいるのでは不満だと?」
「だって、従者のままではお嬢様を口説けないでしょう」
冗談めかしてマコトが言うと、「それもそうか」と公爵は笑った。こんなことを言っても大丈夫だ、というだけの関係は築いている。
「今回のことがなくても、いつかおまえはそう言うのではないかと思っていたよ」
くしゃり、と公爵はマコトの頭を撫でて呟いた。
「好きにしなさい。私を認めるだけのことしてみせなさい。可愛い一人娘を、そうそう嫁にはやらんよ」
優しさの滲む公爵の声に、マコトの目頭が熱くなる。
「ありがとう、ございます」
掠れた情けない声が出て、恥ずかしくなる。けれど公爵はぐしゃぐしゃと少し乱暴にマコトの頭を撫で続けた。
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