第28話 お嬢様にお話することがあります
応接間のテーブルの上には地図が広げられている。
「聖具は四つ。東西南北、それぞれの神殿にあります」
リヒトが四ヶ所の神殿の場所にペンで丸をつける。アカリは真面目に聞いていた。
「神殿はだいたい四大公爵家の領地にあるものなんですが……」
アークライト、カーライルを含む四大公爵家はおおよそ東西南北に別れて領地を与えられている。
初代聖女の時に聖具の守護を任されたのだという話だが、今ではただ領地の中、あるいは領地の近くに神殿があるだけという状態だ。
「ゼヴィウス公爵家は没落しているから、今は分割され他の貴族の領地になってるな。あとアークライトんとこは神殿が移設してるから領地から離れたんだったか」
「先代聖女のときにうちは教会からは嫌われてますからねぇ」
フランツの説明に、ルティアナがのんびりとした口調で付け加える。
先代聖女を王子に嫁がせ後見人となりたかった教会にとっては、花嫁をかっさらっていったアークライトととは相容れない。老朽化を理由にして領地から神殿ごと出ていったのだ。
「旧ゼヴィウス公爵領とヘルツェル公爵領に行く時は気をつけたほうがいいな。どっちも治安が悪い」
きっぱりと言い切るギルベルトにルティアナは目を丸くした。
「詳しいですね?」
「俺はヘルツェル公爵領で育ったんだよ。あと旧ゼヴィウス公爵領は何度か仕事で行ってる」
ヘルツェル公爵はどうにか公爵の地位を保っているような有様だ。領地にまで細かく目が届いていないせいで治安は悪くなるばかり。
旧ゼヴィウス公爵領の分割された領地を貴族たちが奪い合っていたり、重税に耐えかねた庶民が暴れたり。どれもまだ小競り合いのレベルだが、アークライト家やカーライル家の領地のように領地がきちんと管理されているわけではない。
アカリは地図を見ながら「うーん」と唸る。今いる王都は中央だと教えられた。つまりどの神殿も王都からはそれなりに距離がある。
「そうなると、聖具を集めるルートってどうするのがいいのかな」
「ぐるりと一周するか、一つ集めるたびに王都に一度戻るかのどちらかになるでしょうね」
リヒトが頷きながらルートの候補を口にする。フランツはそれを聞きながら顰めっ面になった。
「王都にいちいち戻るのは面倒だが、重要な聖具を持ったまま旅をする必要がなくなる。だがその分日数はかかるかもな」
もともと人の住む場所と魔物の生息地の境に、守護の神殿は建てられている。少数精鋭とはいえ、戦えないアカリを連れての移動は危険かもしれない。
「あんまり時間がかかるのもなぁ……親も心配してると思うし……」
極めて平凡に生きてきたアカリは、無断外泊などしたことがない。聖具を集めてくることが一泊や二泊で終わりそうにないことは承知の上だが、あまり長引いても困る。
「聖女帰還の魔法は、おそらく召喚した時まで遡るはず……だと思います。多少の誤差はあるかもしれませんけど」
困ったように唸るアカリに、ゼストがおずおずと口を開いた。人見知りのゼストにはまだアカリと話すのは緊張するらしい。
「あ、そうなの?」
きょとん、とアカリが目を丸くする。
「はい、その、理論的にはそうです」
帰還したあとの様子がわかるわけではないので、ゼストもはっきりとは断言できないが。
「それなら別に何日かかってもあたしは平気。安全安心な方法で行こうよ」
腹を括ったらしいアカリはきっぱりと方針を決める。
「……王都はアカリさまにとっては危険かもしれません。教会が諦めたとは思えませんし」
今回、捕らえることができたのはトーマスだけだ。大神官クレメンスに関しては一件に関わっていたかどうか、今はわからない。
「ア、アカリさま!? ちょ、やめてください! さまとか!」
アカリはルティアナの言った内容よりも、むず痒い呼び方に驚いた。
「ですが、聖女さまですし」
「あたし一般人だし! ごく普通のサラリーマン家庭だから! アカリでいいです!」
サラリーマン、という言葉はルティアナにはわからないが、とにかく特別扱いはしないでほしい、ということなのだろう。
マコトから貧富の差はあれど身分制度はない、と聞かされているルティアナはアカリの動揺もわからないでもない。
「わかりました、ではアカリ、でよろしいかしら?」
「はい! よろしくお願いします、ルティアナさん」
「わたしのことも呼び捨てでいいですよ? 年もそう変わりませんし」
ルティアナとアカリは一歳しか違わない。そしてアカリはこの国の人ではないのだから、いくらルティアナが公爵令嬢であろうと敬語を使われる理由はない。
「えっと、じゃあルティアナ……ううーん……えっと、あだ名っていうか愛称とかで呼んだらいけない?」
呼びにくい、というほどではないけど、馴染みがないのでちょっと舌を噛みそうで、とアカリが笑う。
「もちろん、かまいませんわ」
「じゃあティアナ?ティア?あ、ルティ、とかは?」
日本のノリでもっと気安いあだ名にしても良いが、なんとなくルティアナには似合わない。ルーちゃん、とか呼ぶにはルティアナは一人前のレディすぎる。
「いいですよ、ルティで。ふふ、愛称で呼ばれるなんて久しぶり」
楽しげなルティアナの背後でカチャリ、と扉が開く音がする。
「……お嬢様、戻りました」
マコトはまっすぐにルティアナの傍にやってきた。
「あら、おかえりなさい」
「おまえ、ノックくらいしろよ」
突然現れたマコトにフランツが驚きながら注意するが、マコトは肩を竦めた。
「したけど返事がなかったんですよ」
どうやら話に集中しすぎてノックの音が聞こえなかったらしい。
「……お父様とのお話は、もういいの?」
ルティアナはマコトを見て躊躇いがちに問いかける。聞いていいものか悩んだが、何も聞かないのも変だろう。
「はい、旦那様のおかげで落ち着きました」
照れ臭そうに笑うマコトに、ルティアナもほっと安堵する。
マコトを傷つけたいわけではないのだ。自分が突き放すことでマコトが少なからず傷つくだろう、と思うことは自惚れなのかもしれないが。
「それで、お嬢様にお話することがあります」
「……わたしに?」
笑顔を崩さなかったが、ルティアナの心臓はぎゅっと握りつぶされるように怯えた。
覚悟は決めていたくせに、いざこの場でマコトの決断を聞かされたら、と動揺する。
帰ります、と言われたとき、果たしてルティアナは笑っていられるんだろうか。
「旦那様に、お暇をいただいてきました」
ルティアナの隣に座るゼストが「えっ」と声を零した。いつの間にか、部屋の全員がマコトの声に集中している。
予想していたものとは違うマコトの言葉に、ルティアナはすぐに反応できなかった。
青い瞳がきょとん、とマコトを見上げている。ルティアナのその目に、マコトは柔らかく微笑んだ。
「俺はもう、あなたの従者じゃありません」
はっきりと言葉にされて、ルティアナはようやく理解する。マコトはルティアナが与えた役割を捨てるのだ、と。ルティアナの傍を離れることを選んだのだと。
「……そう、それがあなたの選択なのね?」
この世界で生きるか、元の世界に戻るか。
まだマコトがどちらを選んだかルティアナにはわからないが、つまりルティアナの庇護はもういらないということだ。
そうですね、とマコトは答える。その声に、ルティアナはなんとなく下を向いた。
この十年の関係性が崩れることへの不安。従者でなくなった彼は、これからどうするんだろう。
永遠の別れがやってきたとしても、最後の瞬間まで傍にいられると、思っていたのに。
ぎゅ、と手を握りしめたルティアナの瞳を追うように、マコトがその足元に跪く。握りしめられた手を包み込んで、まるで乞うようにルティアナを見上げた。
「だから、覚悟してくださいね。
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