第3話 俺はここにいていいですか

 マコトが小柄だったので、てっきりルティアナと同い年くらいだろうと思っていたのだが、マコトは十歳――なんとルティアナよりも三つ年上だった。


 マコトの怪我がよくなるまでルティアナはマコトの部屋に通った。ベッドの隣でいろんなことを聞かせたし、この世界の読み書きができないマコトに文字を教えた。

 教えられてばかりのお嬢様だったルティアナは教える立場になれたことが随分とうれしかったらしく、すっかりマコトにべったりと張りついている。


 マコトの怪我の具合が落ち着いて三日ほどたった頃、ルティアナの両親が様子を見にやってきた。マコトはベッドの上で上体を起こしながらも慌てて頭を下げる。

「気にしないでくれ、まだ怪我も痛むだろう」

 父はそう言って楽にしているようにと笑い、母もゆったりと頷いた。

 怪我のほとんどは治りつつあるが、まだあとは残っている。頬についた擦り傷もかさぶたになっていた。

「親御さんは心配しているでしょうね……」

 マコトの傷跡を見て悲しげな表情を浮かべながら、母は呟く。親、という言葉に、マコトは表情をかたくした。

「あの……俺、この世界の人間じゃないんです」

 父も母も、特に驚いた様子はなかった。ルティアナは両親に話してはいない。だがルティアナがそうだと予想したように、両親もまたマコトの容姿を見て異邦人であることに気づいていたのだろう。

「それでも、俺はここにいていいですか」

 助けたのはルティアナだったかもしれない。けれど、これからマコトを養うのはルティアナの両親だ。そのことをマコトはきちんと理解している。

「気にすることはない。君はルティアナの従者で……友人だ」

「そうよ。これも、何かの縁でしょうから。無理に家族だと思う必要はないけれど、それに近いものだと思って頼りにしてちょうだい」

 母はやさしく微笑みながらマコトの手を握る。その瞬間、マコトはわずかに泣きそうな顔になった。

「……けれど、そのことは他の人間には言わない方がいいだろう」

 父はマコトを見つめて、静かに、しかし重々しく告げた。

 異世界の人間であるなどと知られたら、そこに価値を見出した人間に狙われるかもしれない。あの男たちのように。

「はい」

「ゆっくり怪我を治しなさい。……ルティアナはお転婆でね。最近は君につきっきりだから木から落ちるだのと心配しなくてすむ」

 出会ったときから規格外のお嬢さまなんだろうなということはマコトも察していたが、ルティアナはその予想のさらに上を上回るようだった。

 その後二人はすぐに部屋から出て行ったが、ルティアナはもちろん残っていた。


「言っておきますけど、木から落ちたことはないわよ」

「木に登ったことはない、ではないんだ」

「木登りは得意よ」


 ふふん、と胸をはるルティアナに、マコトは苦笑した。同級生にも木登りする女の子はそんなにいなかったと思う。

「元気になったら乗馬を習わないとね。わたしもまだ教えてもらえないのだけど、マコトは十歳だもの、きっと大丈夫だわ。それと、そうね一緒に護身術もやりましょう! いつかマコトがうちを出ても自分の身を護れるようにならなくちゃね!」

 ルティアナは楽しそうにこれからの計画を立てていた。主に動き回るものばかりだったので、やっぱり大人しいお嬢様ではないんだな、とマコトは笑う。

「乗馬も、マコトと一緒ならわたしも教えてもらえないかしら。そうしたらいつか二人で遠乗りに行きましょうね! うちの領地にはおもしろいところがたくさんあるのよ」

 まぁお転婆でもいいか、とマコトは思う。楽しそうだし、なによりルティアナは恩人だ。マコトができる範囲のことで喜んでくれるなら、恩返しには安すぎるくらいだ。




 マコトの学習速度は早かった。もともとしっかりした教育を受けていたらしい、と家庭教師は不思議そうにしていた。

 算術あたりはルティアナよりもできたし、こちらの文字もすぐに覚えた。乗馬や護身術は最初のうちこそ苦戦していたが、それも二年も経つと見事に身に着けている。それどころか最近では剣術まで習っているようだし、家の書斎から本を借りて読んでいる姿も見る。

「マコトは真面目なのねぇ」

「最初の頃こそ理解してなかったけど、アークライト家ほどの家のお嬢様の従者っていうならあれこれできなきゃまずいでしょう」

 マコトの育った国には身分差というものがなかったらしい。ルティアナのこともいいとこのお嬢様という認識だったようだ。けれどそれもこの世界で二年も暮らせばわかる。アークライト家はこの国でも一、二を争うほど有名で力のある貴族なのだ。

「気にしなくてもいいのに」

「気にします。俺が不勉強で悪く言われるのはお嬢様ですよ」

 さすがに恩人に汚名を着せるわけにはいかない、とマコトは実にストイックだった。

 けれどルティアナが頼めば遠乗りだって勉強だって、なんだって付き合ってくれた。

 そう、彼はまさしく従者だった。

 ルティアナにとっては友人のようなものだったが、いつからかマコトは明確に主人と従者であると線引きをしたように思える。

 態度が大きく変わったわけではないし、その選択もまたマコトの自由だから、ルティアナは何も言わない。最初に従者にしたのはルティアナなのだから、マコトが従者らしくと望むのなら、ルティアナは主であるべきだと思っている。

 何より、この二年ですっかりルティアナの理解人となったマコトが傍にいると心地よいし楽だった。

 どんな些細なことも、ルティアナが望むころにマコトは言わずとも動いてくれるようになっていた。従者の適正があったのかもしれない。


「そういえば、この間王子様と会ってきたんでしょう? どうでした?」


 先日、ルティアナは王都に行く父に連れられて年の近い第二王子と会ってきたのだ。ゆくゆくは許嫁に、なんて大人は考えているのかもしれない。

「最悪だったわ」

 出会ったその場で、第二王子のフランツは「なんだブスだな」と言ったのだ。それでも鉄壁の微笑みを崩さなかったルティアナを褒めてくれてもいいと思う。

「ブスと言われたって我慢したわ、相手は曲がりなりにも王子だもの。でもあいつ何澄ました顔してるんだって芋虫を投げつけてきたのよ。さすがにむかついたからカエルを顔にぶつけてやったわ」

「……そうですか」

「笑うところじゃないわ」

 マコトがぷるぷると肩を震わせているし、声もわずかに震えているので笑いをこらえているのはバレバレだった。

「それじゃあ婚約だのどうのっていうのは無理そうですね」

 そもそもお嬢様に合わせられる人がいるとは思えませんけど、というマコトの小さな呟きは見事にルティアナの耳にも届いていたが――まぁいい、聞こえなかったことにしよう。

「あんな男はごめんだわ」

「向こうだってきっとごめんですよ」

「ちょっと、それは聞き捨てならないわね」

 確かにお転婆だがルティアナは賢いし見目も悪くない。むしろこの国では珍しい黒髪は、誰だって目を奪われる。ちょっと気の強そうな顔立ちだがそれだって愛嬌のある範囲だ。

「いやー、ほら、そういう人って可愛らしくて庇護欲をそそる感じの子が好きそうだなって思っただけですよ。お嬢様に問題があるわけではなく」

 後半をやけに強調しているのがなんともわざとらしい。

 しかし個人にはそれぞれ好みというものがある。ルティアナはフランツ王子に欠片も魅力は感じないが、そうではない令嬢もいるだろう。

「……そういえばマコトの好きなタイプってどんな子なの?」

「……どうしてそういう話になるんですか?」

 マコトの声が心なしか低い。しかしルティアナは好奇心を隠さない目できらきらとマコトを見つめた。

 今までいろんなことを一緒にやったし、たくさん話をしてきたが、こういう話題は初めてかもしれない!

「だって、マコトも十二歳だし、あと二、三年もすればそういう話になるじゃない? 好みの子に心当たりがあれば紹介するわよ」

「いりません。激しくいりません」

 そこまで頑なに拒まれると余計に気になるというものだが、ルティアナがいくらしつこく聞いてもマコトは白状しなかった。


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