第4話 それが、噂の従者か
二、三年はすぐに過ぎた。
ルティアナはあっという間に十三歳になったし、マコトは十六歳になった。
お転婆娘だったルティアナも十三歳ともなれば少しは落ち着く――はずもなく、最近は屋敷を抜け出して市場を遊び歩くことに夢中だ。
一度ルティアナがマコトの目の前で誘拐されかける――なんてこともあったので大人しくしてほしいと切実に思う従者であったが、主はそんなもの日常茶飯事だと言って聞かない。
「だって、本当にわりとよくあることだもの。そういえばマコトが来てからは初めてだった?」
マコトが来てから誘拐騒動がなかったのは、二人でぴったりとくっついて行動していることが多かったからだろう。今回はマコトがほんの少しルティアナから目を離してしまったときのことだった。
けろりとした様子のルティアナに、マコトはとりあえず従者として、護衛も兼任できるようになろう、と誓った。
ルティアナの幼かった顔立ちは少しずつ大人っぽくなってきたし、木登りよりもダンスのほうが似合う見た目になってきた。
マコトも昨年まではルティアナより少し背が高いくらいで小柄だったが、ここ最近ぐんぐん背が伸びている。今ではルティアナもかなり見上げなければマコトの目が見えない。
並んで見ていた景色が今は違って見えているようで、それがルティアナには少し不満だった。
その日のルティアナは、とても不機嫌だった。
何故かといえば幼い頃にルティアナがカエルを投げつけたフランツ王子が、アークライト家の屋敷にやってくるというのだ。
わざわざ王都にあるアークライト家の別邸ではなく、領地の、ルティアナのいる屋敷にだ。
王家とアークライト家世間が噂するほど不仲ではない。現にこうして子どもたちの婚約を暗にほのめかしてきたりこうして訪ねてくることもある。仲がいいとも言えないので噂は否定されないまま広まっているのだが。
あのカエル事件のあともルティアナは何度か王都でフランツに会っている。いつもいつも嫌そうな顔をしているので見送るマコトは苦笑していた。
そう、ルティアナが王都へ行く時、マコトはいつも留守番だ。領地の外へは出たことがない。
「久しぶりだな、ルティアナ」
「……王子もお変わりないようで」
ルティアナはにっこりと微笑んでいるが、目がまったく笑っていなかった。
マコトは初めて見る、第二王子のフランツ。濃い金の髪に青い瞳というのはおとぎ話なんかの典型的な王子様だなぁ、と思った。
「……それが、噂の従者か」
じろり、フランツの青い目がマコトを捕えた。
フランツはルティアナよりも一つ上の十四歳――けれど背の伸びたマコトとそれほど変わらないくらいに、背が高かった。
「じろじろとわたしの従者を見ないでくださいます? 見世物じゃございませんので」
小さなルティアナがマコトを守るように二人の間に割って入った。
「異世界からきたというからどんな見た目をしているのかと思っただけだ。髪と目の色が珍しいだけで、これといって変わったところはないな」
「当たり前でしょう! マコトを化け物か何かのようにおっしゃらないで!」
「別に化け物扱いしているわけじゃないだろう。相変わらずうるさい女だな」
フランツはその眉を顰める。そしてまたその青い目がマコトの――その黒い髪を見た。
「……ルティアナよりも濃い黒だな」
「はぁ、俺の国ではこの髪色が一般的でしたけどね」
ルティアナの黒髪は、青みがかった黒だ。陽あたったときなどは藍色のようにも見える。しかしマコトの髪は漆黒。どの角度から見ても真っ黒だ。
「まぁ、アークライト家にいる限りはそれほど騒がれることもないだろう」
それは、それだけこの家の力があるということだろうか、とマコトは首を傾げるがフランツはそれ以上何も言わなかった。
その後ルティアナと一緒にひたすらカエルを集めさせられたのだが、翌朝のフランツの悲鳴で目を覚ましたマコトは事の次第を知る。
幼い頃、ルティアナにカエルを投げつけられて以来、あの王子様は大のカエル嫌いになっていたらしい。
悪いことをしたかもしれない、と思いつつ、まぁ王子のルティアナへの態度も悪かったからちょうどいいお仕置きだということにした。子どものイタズラだと王家からのお叱りもない。
それ以来、フランツ王子がアークライト家にやってくることはなかった。
「お嬢様、お茶の準備が出来ましたから読書はそろそろやめましょう?」
今日は天気が悪いのでルティアナは室内で本を読んでいた。
なんでも没頭すると周りが見えなくなりがちなルティアナのためにマコトはこうして適宜休憩をとらせている。
「ちょっと待って! 今すごくいいところなのよ! 戦場に向かう騎士が姫に『安心してください、必ず姫の元に帰ってきます。その暁には……聞いてほしい言葉があるんです』ですって!」
これってプロポーズよね!? とルティアナは大はしゃぎだ。年頃の少女らしく、ロマンスは大好物らしい。
「うわー……それ、すごい死亡フラグ」
ティーカップをルティアナの傍らに置きながらマコトが呟いた。
「しぼうふらぐ? マコトはときどき不思議な言葉を使うわよね」
聞いたことのない言葉にルティアナが首を傾げると、あー、とマコトが天井を仰ぎながら唸った。
異世界の人間であるということはルティアナのその両親以外には秘密にしているので、こういう不用意な言葉を使わないようにしているのだが、ルティアナと二人きりの気を抜いているようなときはついぽろっとこぼれてしまう。
「向こうの言葉なんですけど……」
「どういう意味なの?」
ルティアナはこういうとき、いつも興味津々に問いかけてくる。
「うーん、一言では説明しにくいんですけど」
苦笑しながらマコトは言葉を探した。マコト自身も元の世界でふざけて使っていただけで、詳しいというわけではない。
「物語の中で、この登場人物死にそうだな〜ってシーンとか、ありませんか?」
「たとえば?」
「そうだなぁ……戦地で『俺、故郷に婚約者がいるんだ。戦争に勝って帰ったら結婚式を挙げるんだ』とか『先に行け、俺はあとから追いかける!』みたいなシーンとか。そのあとその登場人物死んだりするでしょ」
「ああそうねぇ、そうなのよねぇ」
惜しい人を亡くしたわ……ってなるのよね、としみじみとルティアナが頷きながら呟いた。
なるほど、しぼうふらぐ、と小さな声で確認するようにルティアナが繰り返すのでマコトは苦笑する。
「覚えたところで使えないでしょう」
いちいち説明しなければならないような言葉だし、こちらの世界の人間に馴染むとも思えない。しかしルティアナはきょとんと目を丸くして、
「マコトとの会話でしか使わないもの」
と言った。
「たまにはこうして、マコトの世界のことを思い出せるような話をしてもいいじゃない」
マコトは望んでこの世界にいるのではない。
なんの運命のいたずらか、神様の気まぐれか、この世界に突然迷い込んできただけなのだ。もしかしたら同じように突然帰ることもあるかもしれないが――そんな様子はまったくといっていいほどなかった。
マコトはどんどん、この世界に溶け込んでゆく。
「それにわかりやすくて面白い言葉だわ。わたし好きよ」
大人びた表情で微笑むルティアナに、マコトは泣きそうな顔を隠すように俯いた。
――もう十六歳、まだ十六歳。
この世界では十六歳ともなれば貴族は社交界デビューしているし、早ければ婚約し結婚する令嬢もいる。もう一人前として扱われる年齢だ。
しかし、マコトのいた世界では――日本では、十六歳なんてまだ高校生で、大人になったんだって顔をしてみても、ちっとも大人じゃなくて、大人の庇護下にいるのが当たり前の年齢だ。
――このやさしい主が、マコトは何より大事だ。
ルティアナはマコトの未来を束縛しない。いや、今でさえも。きっと彼女はマコトがいつかこの屋敷を出て独り立ちするのだろうと思っているのだろうけれど、マコトはそんなつもりはなかった。
叶うことなら、ずっと彼女の傍にいる。
この世界でマコトを救ってくれた、ルティアナの傍に。
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