第37話 俺にも繊細な心はあるからな?
それから旅はおおむね順調だった。
アークライト公爵領に入ったことで魔物の数は目に見えて減る。稀に遭遇しても一匹か二匹といったところだ。
はじめは魔物との遭遇に怯えたアカリだったが、こうもあっさりとしていると何度目かの時には顔色ひとつ変えなくなっていた。なかなかに肝が据わっている。
「あれって、タンポポ? こっちにもタンポポって咲いてるんだね」
馬車へ移動している最中、道端に咲いていた黄色い花を見つけてアカリが口を開く。アークライト公爵領にはあちこちにタンポポがさいている。
「いいえ。たぶん先代の聖女が持ち込んだのか、たまたま種が付いていたのか……そのどちらかでしょうね」
他の土地では見かけたことがなかった花だ。旅のあいだ、ルティアナが種をまいて歩いたので何年かすれば国内でもよく見かけるようになるかもしれない。
「タンポポってたくましいからなぁ……偶然種がくっついてきても根付きそう」
アカリは独り言のように呟いて、遠ざかっていくタンポポを見つめている。その横顔を、ルティアナはよく知っていた。
タンポポを見つめているとき、マコトも同じ顔をしているからだ。
まったく知らない世界と思うには、元の世界の欠片が落ちている。それはマコトやアカリのような『やって来た日本人』にとって幸せなことなのかどうか、ルティアナにはわからない。
「……今夜はうちの屋敷に泊まれるわ。夕飯は何がいいかしら?」
今日はこのまま止まらずに、アークライト公爵家の屋敷に向かっている。しっかり休んでから明日、神殿に向かう予定だ。
「ハンバーグ的なリクエストしていいってこと? 悩むなぁ……」
「あんまり変なものは頼むなよ」
「変なものって失礼だな! ハンバーグだって美味しかったでしょ!」
「変わっていたが悪くはなかった」
「お刺身とか言い出さないんだからありがたいと思ってよね」
「おさしみ……?」
「生魚ですよ」
ルティアナが聞いた事のない料理だと首を傾げる。この国の人々は生魚を食べる習慣がない。
「なま……」
フランツがものすごく気持ち悪いものを見るような顔をする。
「美味しいのに」
「この国じゃ新鮮な魚は手に入らないんじゃないかなぁ……」
日本人の二人は残念そうな顔をしている。
「じゃあ勝負に勝つ! ってことでトンカツとか? できる?」
「できるわよ!」
心なしかルティアナはドヤ顔だった。その顔を見ながらマコトは苦笑する。
「聖具集めって勝負じゃないでしょ……?」
誰もつっこまないのだが、マコトの呟きに男性陣はおおむね全員頷いていた。
夕飯は見事にトンカツだった。
千切りキャベツまで添えられている完璧さだ。
いや、それよりも驚いたのは。
「箸だ……!?」
「マコトが使うからこっちの屋敷にはあるのよ」
ルティアナがしれっと言っているが、マコトが遠い目で「特注品らしいですよ……」と呟いていた。従者が使うから特注で箸を作らせるアークライト家、たぶん頭がおかしい。
普段は豪華なコース料理ばかりを食べているであろうフランツやリヒトはトンカツを前に不思議なものを見るかのように観察していたが、ギルベルトはすぐに食べていたし気に入ったのか追加まで頼んでいた。
「そんな棒でよく器用に食べられるな……?」
「日本人にはこっちのほうが慣れてるんだよ」
しげしげとアカリが持つ箸を見てくるフランツに、アカリはトンカツを一切れ持ち上げてみせた。
「マコトから習ってみたんだけど、箸はうまく使えないのよね……」
「そこまでしなくてもいいですよ……」
ルティアナが悔しそうに呟いているが、マコトとしてはそこまで覚えようとしてくれるのはありがたいが、別に箸の使い方を共有できてもできなくても……とも思う。
こだわり始めるとルティアナはとことんこだわるからある程度でやめさせなければ。
「……そういえばさ、聖具って聖女しか触れないって話だけど、聖女じゃない人が触ったらどうなるの?」
素朴な疑問だった。
聖女しか触れることができない、といわれてはぁそうですか、と納得していたものの、いざ聖具が近づけば疑問にも思う。
だって、アカリは聖女として召喚されたけれど、これといって特別な力に目覚めたわけではないのだ。
アカリの問いに、誰もが困ったような顔をした。
「盗賊が聖具を盗もうとして死んでいたっていう話は有名だよな」
「掃除中の神官が誤って触れてしまって寝たきりになったとかもありますわね」
フランツやルティアナが記憶にある逸話を話し出すが、どれも物騒だ。
聖具が保管されている神殿は、一般人はもちろんただの貴族も立ち入りは禁じられている。もちろん国境付近の魔物の多い土地に建てられているので、好んでやってくる人間も少ない。
「……予想に過ぎないけど、たぶん『日本人の女性』であることが条件なんだと思うの」
「日本人……でも、なんで?」
「初代の聖女がそうだったと仮定して、初代聖女が自分の持ち物に祈りを込めて守護の聖具としたと言われている。その聖女のあとを継ぐものの条件が、同じ日本人の女性……なんじゃないかしら」
はじまりは、たぶん偶然で。
たまたまやって来たのが日本人の女性だった。そう考えるほかない。
そうでなければ、どうして日本人ばかりが召喚されるのか説明ができない。
だが結局、何百年も前のことはわからないことだらけだ。
「明日行く神殿にある聖具は杯なんだっけ?」
「そうですね。あらゆる災禍を受け入れる、という意味が込められていると言われてます」
聖杯と呼ぶこともある、とリヒトが丁寧に説明してくれる。しかしその言葉にフランツは馬鹿馬鹿しいと言いたげに笑った。
「意味だのどうのは後付けだろう」
「ロマンの欠片もねぇなぁ……」
「……おまえの口からロマンだのと出てきても気持ち悪いな」
ロマンなんて一番似合わなさそうなギルベルトの発言に、フランツだけではなくルティアナやアカリも気持ち悪そうに顔を歪める。
「おまえらひどくない? 俺にも繊細な心はあるからな?」
わざとらしいくらいに悲しんでみせるギルベルトに、アカリはやんわりと微笑む。
「人望って大事だよねおっさん……」
「……頼むから憐れむな」
夕食の後はおのおの用意された部屋で自由に過ごしている。
ルティアナは書斎にやって来ていた。先代聖女の手記を見つけた場所である。窓からの月明かりを頼りに、本棚を眺める。
「……王国見聞録」
旅立つ前、先代聖女からの手紙だけは持って行ったが、手記は元に戻しておいたのだ。無くしてはいけないものだと思うし、万が一マコトの目に触れることがないように。
そっと開いてみても、やはりルティアナにわかる言葉は少ない。漢字、と呼ばれる言葉もあるらしいのだが、ルティアナがマコトから教わったのはひらがなとカタカナだけだ。
実際に聖女と出会って、やはり思う。
こんなことは間違っている。この国の問題は、この国の人間が背負うべきことだ。
なぜ他の世界から助けを呼ばなくてはならないのか。
「……どうにか、しないとね」
手記の表紙を撫でて、ルティアナは呟いた。
「ルティ?まだ寝ないの?」
「……アカリ」
書斎の扉を開けたままだったらしい。夜着の上にガウンを羽織ったアカリが、灯りを片手に立っていた。
「どうしたの? 今日はアカリにも部屋を用意してるのに」
振り返りながらルティアナは微笑む。
宿屋と違ってアークライト家の屋敷なら別々の部屋でも問題ないだろう、とアカリにも部屋を用意させた。
「ルティと話がしたいなと思って、侍女さんたちに聞いたらこっちのほうに来たって」
「話?」
「あ、ただの世間話だよ。……それは?」
アカリが、ルティアナの持っている本を見る。隠すべきだったか、と思いながらもルティアナは素直に答えた。
「先代聖女の、手記よ」
せいじょ、とアカリが小さく呟いた。
その黒い瞳が手記をじっと見つめる。
「……読んでもいい?」
え、とルティアナが声を零す。
アカリの発言は、予想外だった。
「それ、は……」
やめておいたほうがいい。そう思う。
ルティアナには手記の内容のすべてはわからない。憎悪と後悔の塊かもしれないし、深い悲しみが延々と綴られているかもしれない。
それを、今旅を始めたばかりのアカリが読むのは、毒にしかならないのではないか。
『あなたには選択の自由がある』
過去の自分の言葉が刺さる。
マコトだけじゃない。アカリにだって、選ぶ権利と自由がある。
「……読んでも、気持ちいいものじゃないかもしれないわよ?」
一言添えて、ルティアナはアカリに手記を渡した。
「うん、でも」
手記を受け取りながら、アカリは笑う。
「知ってみたいんだよね。聖女のこと」
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