第36話 羽虫は所詮羽虫ですよ

 薪に使えそうな枝を抱え直してルティアナは後ろからついてくるゼストを振り返った。

「ゼスト、そろそろ戻りましょうか?」

「そうですね」

 このところ天気もよかったからか、拾った枝は湿気ってもいない。今後は野宿も増えるし馬車になって荷物は多少増えても平気だからとついつい二人で精を出してしまった。

「ルティアナさんは魔力は高いのに、どうして無詠唱できないんでしょうね」

 心底不思議そうにゼストが口を開いた。うう、とルティアナは気まずそうな顔をする。

「……先生からは想像力がないと言われたわね」

 魔力は、この世界の人間なら誰しもが持っている。その魔力が低いか高いかの差があるだけだ。

 しかしその魔力を使い魔法を使うには、それなりの才能と修練が必要になる。魔力を練り自分の思い描いた通りに実現化する。そのための呪文だし、そのための杖である。

 それらは魔法を使うためのスイッチにようなもので、ゼストのように想像力と集中力を兼ね備えていれば無詠唱での魔法を使うことは可能なのだ。

「さっきも魔導書でいろいろな理論を確認したんですけど、たいてい魔力が高い人はそのうち無詠唱できるようになるんですけど」

「……う。そ、そうね」

 魔力が高く、その力が馴染んでいれば馴染んでいるほど、それを形作るための呪文も杖も必要なくなる――のだが、ルティアナにはそれができない。

「たぶん不器用なのよねぇ」

 ルティアナに魔法を教えた師は元々王城に勤務していたような優秀な魔導師で、その師が頭を抱えるほどルティアナは魔法に関して不器用だった。その他は人並みにはできるのだが。

 コツを掴めば変わるかもしれませんね、とゼストが笑ったのでルティアナも笑って「そうね」と答える。

「少し遅くなったので、みなさん心配してるかもしれないですね」

「そうね」

 来た道を戻りながら歩いているときだった。


 グルル、と獣の低い唸り声が聞こえた。薄暗い森のなかで、獣の目が怪しく光る。


 ルティアナを庇うように前に出たゼストが驚いたように呟いた。

「魔物……? まだ王都は近いこんなところで?」

「……狼ではなさそうよね」

暗がりから二人を威嚇するそれは、ただの獣と呼ぶには禍々しい気配を放っている。

「……しぼうふらぐって、なかなか回避できないものなのかしら?」

 ふぅ、とルティアナは小さくため息を吐き出した。唸り声の数は増えてくる。王都を出発したばかりなのに、この遭遇率は明らかにおかしい。人為的なものである可能性が高かった。

 教会は出立する前に聖女アカリを確保できなかった。旅が始まってしまった以上、アカリには手を出しにくくなる。

 しかしルティアナが邪魔であることは変わらないらしい。

「ルティアナさん……っ」

 ゼストがわずかに焦りを滲ませた。囲まれた。唸り声と気配でルティアナにもわかる。近接戦をできないルティアナとゼストでは少々厳しい状況だ。

「最初の一撃は少し派手な魔法にしてくれるかしら? それできっと気づいてもらえるでしょう」

「はい」

 ゼストと背中を合わせる。馬車からそう遠く離れたわけではないし、もしかしたら狩りに出たリヒトが近くにいるかもしれない。

 誰か一人でも来てくれれば挟み撃ちにできる。

「『切り裂け疾風、吹き荒び刃を作れ』」

 ルティアナが襲いかかってきた魔物に魔法を放つ。コントロールのできないルティアナが炎を使うわけにはいかない。下手すれば山火事になる。

 しかしゼストは、しっかりと目標を定めた上で爆発を起こした。木が何本か犠牲になったがそこは人命優先で多目に見て欲しい。


「姫さん! 坊主!」


 切迫した声に、ルティアナとゼストはちらりと顔を見合わせた。予想としてはリヒトか、マコトが来るかと思ったのだが。

 魔物が大きな剣に斬り伏せられる。

「無事か!?」

 汗を滲ませて駆けつけてきたその人に、ルティアナは余裕の笑みで応えた。

「怪我があるように見えまして?」

「……ならいい。蹴散らすぞ」

 ギルベルトはすぐに切り替えて剣を構え直す。敵を引きつける前衛がいるのなら、ゼストも気を取られることなく魔法が使える。


 ――あとはもう、一瞬だった。


 ギルベルトが斬り伏せて、ゼストが焼き尽くし、取りこぼした魔物はルティアナが魔法で倒す。ルティアナたちを取り囲んでいた魔物たちはあっという間に消し炭になった。


「何事ですか?」

 手に野兎をぶら下げたリヒトがやって来たのは全て終わった頃だった。

「……まぁ、なんというか。羽虫はどこまでいっても群がってくるものですね?」

 ここまで来ると疫病神だ。

 ルティアナは苦笑しながら俯いた。誰かに迷惑をかけるということは、ルティアナにとっては大きなストレスになる。

 アカリに乞われて同行することにしたものの、ルティアナがいては危険が増している。

「羽虫は所詮羽虫ですよ。ちょうどいい運動になったんじゃないですか」

 ルティアナの内心を見透かしたように、リヒトが告げる。きょとん、とルティアナが目を丸くしてリヒトを見たが、彼はいつものとおり無表情だった。

「馬車は馬に乗るより肩こるからなぁー。もうちょい数がないと物足りないくらいだ」

 御者台で一日中馬を走らせていたギルベルトは肩をぐるりと回しながらすっきりとした顔をしている。


 ――これはもしかしなくても、気を遣われているのだろうか?


 くすり、と笑ってルティアナは避難させていた戦利品の薪を拾い上げる。

「また随分集めたな、姫さん。貸せよ持ってや……イッ!」

「……バカですかあなたは」

 ルティアナ接近禁止の魔法がかかっていることも忘れて、ギルベルトが親切心からルティアナの持っている大量の薪を持ってやろうとしたのだが……その寸前で痛みに顔を歪めた。

「手伝ってくださるなら、ゼストの分を持っていただけます?」

 ルティアナがそっと安全な距離をとる。ギルベルトは頷いてゼストから薪を受け取った。そしてルティアナの分をゼストと半分ずつ持つ。

「手伝いますよ?」

「大丈夫ですわ、ありがとうございます」

 リヒトが親切に申し出てくれたが、彼は既に野兎を手に持っている。それに薪を拾いに行った本人が手ぶらというのは、どうもカッコ悪い。

「この接近禁止の魔法、そろそろ解いてもいいんじゃねーのか……」

「寝言は寝てから言ってください。アカリにもかけてもらおうか悩んでいるくらいですのに」

 一番下半身が節操なさそうなのはギルベルトである、というのはわりと共通の認識だ。女性の身の安全は確保しなければ。

「さすがに護衛対象に近づけないのはやりずらいからやめろ。それに俺はガキに興味はねぇよ」

「わたしと一つしか違いませんけど」

 ことあるごとにガキだのとアカリを言っているが、年齢的にはルティアナとそう変わらない。

「……ルティアナさんと比べると、少し幼い印象はありますよね」

異世界人――というより、日本人は童顔なのだろう。マコトも二十歳のわりには幼さが滲んでいる。

「アカリのあれは……きゃっ」

 足元の木の根に足をひっかけて、ルティアナは転びそうになる。手をつこうにも両手に抱えた薪を咄嗟に放り投げることはできない。

 ――あ、転ぶ。と思ったときに、腕を掴まれる。

「大丈夫ですか?」

 リヒトが転びかけたルティアナの腕を掴んでいる。片手でしか対応できずにリヒトもやりにくそうだが、ルティアナは笑って体勢を整えた。

「ありがとうございます、リヒト様」

「いえ」

 そのやりとりに、ギルベルトは苦笑する。危ないとすぐに反応したのはギルベルトも同じだが、触れられないのだと思うと腕は動かなかった。


「ルティ!」

 野営地が見えた頃に、マコトが血相を変えてルティアナに駆け寄ってくる。

「何があったんですか! 怪我は!?」

 騒ぎはここからも気づくレベルだったらしい。相変わらず心配性なマコトにルティアナは苦笑して「ないわよ」と答えた。

 マコトはほっと安堵の息を吐き出して微笑む。

「おまえは本当に狙われるな」

「好きで狙われているわけじゃありません」

 フランツの軽口にこたえながら、ルティアナは集めた薪を置く。ルティアナの傍にはアカリが心配そうに歩み寄ってきていた。

「ルティ大丈夫!?」

「平気よ」

 その姿を見ていたギルベルトに、マコトがそっと忍び寄る。

「なんだ?」

 マコトがギルベルトに寄ってくるのは珍しい。

「あげませんからね?」

 何を、とも。誰を、ともマコトは言わない。

 しかしギルベルトは心の中を暴かれているようで、息を飲んだ。

「なんの話だ?」

 ギルベルトが誤魔化そうと笑みを作れば、マコトはにっこりと微笑み返す。

「さぁ?」


 ――おい姫さん。こいつ絶対性格悪いぞ。

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