第14話 誰のせいだと思ってるの!

 眠るマコトの傍に寄り添いながら、ルティアナはずっと黙り込んでいた。俯いていると、長い黒髪がその横顔を隠しているように見える。

 フランツの予想とおり、マコトの頭に負った怪我はさほど大きいものではなく、改めて消毒して包帯が巻かれた。

 さきほどの戦いで負った小さな傷も手当をして、あとはマコトが目を覚ますのを待つばかりである。リヒトが医術に秀でていたのが幸いだった。

 マコトの手を握りしめながら、ルティアナは涙を乱暴に拭う。嗚咽を零さないように唇を噛み締めていた。

 そんなルティアナを見ながら、他の四人は彼女がまだ十六歳の少女であったことを今更思い出していた。


「……すっかり忘れてたが、姫さんも女の子なんだよなぁ」


 ルティアナは戦場でも冷静だったし、倒された魔物を見ても平然としていたものだから、ごく一般的な十六歳の女の子とは違うのだと思ってしまっていたのかもしれない。

 ただ強くなれる部分が他の人と違うだけだ。

「頼りにしている従者が怪我を負えば、不安にもなるでしょう」

 リヒトがギルベルトの小さな呟きに答えながら、フランツの怪我を消毒する。

 今回ばかりは全員が無傷というわけにはいかなかった。前線に出ていなかったゼストやルティアナも小さな切り傷や擦り傷はあちこちにあるはずだ。

 それもあって、手当もかねてこのままここで野宿しよう、とフランツは決断した。マコトに付き添って動かないルティアナを、誰も非難することなく火をおこして準備をしている。


「……ルティアナさん、ごはん食べてください」

 ゼストがスープを差し出すけれど、ルティアナはふるふると首を横に振る。

「食欲がないの」

 マコトを見つめて、ルティアナが小さく答えた。

「食べたほうがいい。姫さんのほうが倒れそうな顔してるぞ」

 ギルベルトがため息を吐きだしながら告げた。

 けれど、マコトが目を覚ますまでは繋いでいるこの手を離したくなかった。マコトの手はあたたかいし、死の気配などどこにもないけれど、でも、離したらどこかへ行ってしまいそうな気がして。

 ぎゅ、とマコトの手を握り締める。


 もっと自分が注意を払っていれば。もっと機敏に動けていたら。

 そもそも、黒髪をもって生まれていなければ。

 ……こんな旅に出ることもなかった。マコトがこんな怪我をする必要もなかった。


「ん、……?」


 マコトが小さく声を漏らして、黒い睫を揺らした。

「マコト!」

 現れた黒い瞳を見下ろしながら、ルティアナはほっと安堵する。拭ったはずの涙がまたじわりと溢れてきた。

「おじょう、さま?」

 マコトの目がルティアナをとらえて、掠れる声で呼んだ。

「い、たた。ああ俺、頭を打ったんでしたっけ? お嬢様? 怪我はありませんか?」

 身体を起こしながらマコトがルティアナに問いかけるが、ルティアナはぽろぽろと泣きだしてマコトの首に抱きついた。

「よかった……!」

 抱きついてくるルティアナの身体を支えながら、マコトは他の四人を見た。フランツが苦笑して肩をすくめ、ギルベルトも安心したように笑っていた。

「……眩暈や吐き気は?」

 リヒトがマコトのそばまでやってきて、冷静に問いかける。ルティアナはマコトに抱きついたままなのだが、リヒトはそれを完全に無視していた。

「ありません、けど」

「記憶に支障は? ここがどこだかわかりますか?」

「エヤン峡谷ですよね? 落石があってお嬢様を庇ったとこまで覚えてます」

「……大丈夫そうですね」

 リヒトはマコトの空いている手を取り脈を測りながらいくつかの質問をして、結論を出す。まだ安静にしていたほうがいいだろうが、命に関わる怪我ではないと思っていいだろう。

「……お嬢様?」

 マコトが首にしがみついたままのルティアナに声をかけても、ルティアナは離れようとしない。むしろぎゅうぎゅうとしがみつく力が強くなった。

「姫さん、心配してたぞ。そりゃあもう」

 ギルベルトが笑いながらマコトにそう告げる。

 そばにいるゼストはスープの入った碗を持ったまま、どうしたものかと固まっていた。おそらくルティアナの分の食事だろうと見ていなかったはずのマコトはすぐにわかった。

「お嬢様、俺はもう大丈夫ですよ? ほら」

 そっとルティアナをひき離すと、ルティアナの顔は涙でぐちゃぐちゃだった。マコトは苦笑しながらルティアナの頬を指で拭う。

「ひっどい顔ですよお嬢様。あのあと顔を拭いてないでしょう。埃やら泥やら涙やらですごいことになってます」

「誰のせいだと思ってるの!」

 俺のせいですね、とマコトはさらりと答えを告げて、用意のいいリヒトから濡れたタオルを受け取った。それでやさしくルティアナの顔を拭っていく。

「食事もとってないんでしょ。好き嫌いなんて十歳で卒業したと思っていたんですけど」

「……好き嫌いじゃないもの。食欲なかっただけだもの」

 大人しく顔を拭われるがままのルティアナが、憮然とした表情で答えた。

「じゃあミルクを温めましょうか。蜂蜜もいれて」

「……マコトが作ったのじゃなきゃ嫌」

「はいはい」

 すっかり甘えん坊になっているルティアナの髪を撫でながらマコトは微笑む。

 マコトはすぐにミルクを温め、荷物のなかのとっておきの蜂蜜を混ぜる。ゼストが持っていたスープは温め直してマコトが頂くことにした。

 ルティアナはマコトの膝にちょこんと座ったまま、こくこくとミルクを飲んでいる。

 昔怪我したときもこんな感じだったなぁ、とマコトは苦笑した。

 あのときもルティアナは屋敷の使用人たちを散々困らせたけど、今回も他の四人はどうしたらよいか分からず困ったことだろう。

 いや、今も困らせている。

「……気持ちはわかるんだが、いちゃつきすぎだろ」

「目に入れなければいいんですよ」

 顔をひきつらせているギルベルトと、無関心のリヒトにマコトもなんと説明すべきか苦笑した。

「幼児返りしているようなものなので気にしないでください……」

 昔から、マコトが怪我をするとルティアナはべったりと離れなくなるのだ。今回も人目を気にするつもりはさらさらないらしい。

「よくあるのか、それ」

「ええ、まぁ。わりと。お嬢様と遊んでいて木から落ちたり、お嬢様を誘拐しようとしたやつに斬られたり? 俺もけっこう怪我していましたから」

 木から落ちたルティアナをかばっては下敷きになったときは骨折したり。普通とはかけ離れたお嬢様だったルティアナに付き合ってマコトもかなり無茶をさせられたのだ。

「庇わなくていいって言っても、あなた聞いてくれたことないじゃない」

「当然です。俺は従者ですから」

 きっぱりとマコトが言い切るが、ルティアナはむう、と唇を尖らせた。

 従者だから、なんて。そんなものは理由にならない。

 ルティアナは従者に死ねと命じた覚えもなければ、命をかけろと言ったことも一度たりとてないのだ。


「……今回はやはり少し骨が折れたな」


 フランツがため息を吐き出しながらぽつりと告げた。

「少しいったところに、ラウゼン伯爵の邸宅がある。そこに一泊か二泊かさせてもらおうと思う」

 宿屋よりはいいだろう、というフランツの決断にリヒトがわずかに眉を動かした。

「いいんですか?」

「伯爵も知っている。問題ないだろう」

 聖女がまだ召喚されていないと知っている、ということだ。――ルティアナがその代わりである、と。

「それから王都に戻っても十分間に合うだろう」

 むしろここで無理をして進むより、しっかり休んでから急いで王都に向かったほうが効率がいい。

「いいな?」

 確かめるようにフランツが全員を見た。異を唱えるものはいなかった。


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