第15話 お嬢様は心配性ですね
ラウゼン伯爵は満面の笑顔で一行を出迎えた。でっぷりと今にもはち切れそうなおなかがぼよんぼよんとゆれている。
「ようこそお越しくださいました!」
「急な訪問ですまない。世話になる」
フランツの言葉に大袈裟なくらいに「いえいえ!」と伯爵は答えていて、正直鬱陶しいくらいだった。悪い人ではないのだろうが、うるさくて仕方ない。
「……宿屋のほうがよかったかしら?」
「まぁ、王子が相手するんならいいだろ」
ルティアナと同様に大袈裟な伯爵に苦笑しながらギルベルトが小さく答えた。
きっと伯爵は、このたった数日の滞在を大きく膨らませて自分の功績として吹聴するのだろう。貴族なんてそんなものだ。
王子が自分の屋敷にやってきた、というたまたま転がり込んできた名誉に鼻息も荒くなっている。
「こちらは娘のエキドナです。何か不便があればなんなりとお申し付けください」
伯爵が傍らにいた少女を紹介した。金色の巻き毛に翠色の瞳の、可憐な少女だ。エキドナはにっこりと微笑んで優雅に礼をする。
その瞳はわかりやすいくらいにフランツに釘付けになっていた。あわよくば王子の寵愛を……という考えが透けて見えるようだった。
万が一王子がダメでも、リヒトもギルベルトも伯爵家からしたら願ってもいない相手だ。
「女性は女性同士のほうが盛り上がるかもしれないな。なぁ、ルティアナ?」
「まぁ、王子。可憐なエキドナ嬢に緊張でもなさっているの? どうぞお気遣いなく」
――面倒なものを押しつけてこないでくださいませ、いりません。
フランツが気を利かせたように見せかけて、面倒だからとルティアナにエキドナの相手をさせようとしたのは見え見えだった。まっぴらごめんだ。
普段ルティアナを名前で呼ぶことなどほとんどないくせに、親しげに名前を呼んだのもわざとだろう。
笑っているはずのエキドナからひんやりとした冷たい気配しかない。
「わたしはマコトについておりますから」
そもそもこの滞在だってマコトを休ませたくて頷いたのだ。面倒な令嬢の相手をするためではない。
「そうですね、一度怪我の具合を確認しましょうか」
ちゃっかりリヒトもマコトの看護側にやってきたので、彼もエキドナの相手はごめんだったのだろう。
彼の旅の目的を考えれば、女性に言い寄られることは面倒なこと以外のなにものでもない。
「申し訳ありませんが、こちらは疲れている者も多いので、部屋までご案内いただけますか?」
丁寧だが有無を言わさぬリヒトの声はたいへん効果がある。
こちらは遊びにきたのでもないし見合いに来たのでもない。休息をとりたいのだ、と。
「これはとんだ失礼を! こちらです」
ですが、と伯爵が言い淀んだ。
「一行は五名と記憶していたもので、部屋もそのようにしか用意していないのです。急いでもう一部屋用意させますので」
ルティアナは別にマコトと同じ部屋でよいけど、と口から出そうになったが、ここは宿屋ではない。伯爵にとってはルティアナはアークライト公爵の令嬢なのだから下手なことは言うわけにいかなかった。どんな尾ひれがついて噂されるかわかったものじゃない。
「あの、俺はマコトさんと同室でかまいません。大きな部屋は持て余すので……マコトさんがよければ」
おずおずとゼストが意見してきたことで、問題はあっさりと解決した。ベッドだけ運び込ませます、と伯爵も案外手際がいい。
「マコト、ではベッドを運んでいる間にわたしの部屋で包帯を変えましょう? リヒト様もよいかしら?」
「ルティアナ嬢の部屋への入室が許可されるなら」
珍しくリヒトにしてはからかいを滲ませたセリフだった。こちらがお願いしているんです、と思わずルティアナも笑みをこぼす。
エキドナ嬢への生贄は、フランツとギルベルトがいれば充分だろう。
「傷口が開いているということもないですし、大丈夫そうですね」
傷口を確認して、リヒトが再び包帯を巻き直す。ほっとしながらもルティアナはマコトにあれこれと質問していた。
「痛むところはない? 痺れているところとかは?」
「大丈夫ですって。お嬢様は心配性ですね」
「マコトには言われたくないわ」
心配性とか過保護とか。
頭部の怪我なのだからより慎重にもなる。きちんと診ておかないと、あとあとになって後遺症など出てくる可能性がある。
「……やっぱりわたしマコトと同じ部屋じゃダメかしら?」
「ダメです」
間髪入れずにマコトが却下した。むぅ、とルティアナは唇を尖らせる。
「ゼストと交換してもらうとか」
「ダメです」
「じゃあ、ゼストと一緒に寝れば」
ベッドをさらに運び入れる手間がかからないし、とルティアナが告げる。視界の端でゼストがふるふると必死に首を横に振っていた。
「ダメですってば」
「……じゃあマコトと寝れば」
「なおダメです」
怪我人から安静にする時間を奪うつもりか、とマコトがため息を吐きだす。
「小さい頃は一緒に寝たこともあったし、野宿のときだって隣で寝てるじゃない」
「それとこれは全然、まったく、違います。ダメなものはダメです。お嬢様の評判に傷がついたら俺は旦那様になんと言えばいいんですか」
「評判なんて正直どうでもいいけど……」
噂だけで人を判断するような人間と付き合っていても時間の無駄だ。ルティアナの縁談には影響が出るだろうが、娘を可愛がる公爵も噂を鵜呑みにするような男に娘をくれてやる気はないだろう。
「……とにかくダメです。隣の部屋なんだから我慢してください」
「……じゃあ何かあったらすぐに呼ぶのよ?」
「それはこっちのセリフです」
ルティアナを呼んだところでどうなるというのか、とマコトは苦笑した。これではどちらが護衛なのかさっぱりわからない。
「ゼストがいてくれるから安心だけど……ゼスト?」
ルティアナが声をかけると、ゼストはハッとしたように「はい?」と答える。心なしか顔が赤い。
「……ゼスト、あなた具合悪いんじゃない? 少し熱っぽい感じが」
ルティアナがゼストの額に触れると、平熱よりも高いようだった。やっぱり、とルティアナが呟く。
「へいき、です」
「疲れが出たのかもしれませんね」
ゼストもどんなに優秀な魔術師とはいえ、まだ十二歳の少年だ。旅で気が休まることもなかったし、戦い続きだった。ここにきて少し気が抜けたのかもしれない。
「熱冷ましと滋養回復の薬草があったわね。薬を作りましょうか」
「お願いできますか」
ラウゼン伯爵に頼めば医師を呼んでくれるのだろうが、そこまで彼に借りを作るのも考えものだ。あとでフランツあたりが面倒な目に遭いそうなので、できる範囲はやってしまおう、とルティアナは荷物から薬草を取り出す。
薬学だって頭に入れてある。なぜならこっそりと抜け出した先でルティアナかマコトがちょっとした怪我をしたとき、すぐに対処できるように基礎は完璧だからだ。
「ベッドの準備ができたらすぐに休んだほうがよさそうね。それまでわたしのベッドを使っていていいわよ?」
「いや、それは」
いいです、と思いのほかしっかりとゼストに断られた。まだ使ってないから清潔なのに、とルティアナが零しても頑なにソファで充分ですと答えた。
それからすぐに隣の部屋にはベッドが運び込まれて、マコトとゼストは移った。
「休息のために滞在させていただくのだから、マコトもわたしのことは何もしなくていいわよ」
着替えはそもそも一人でできるし、旅の支度も問題ない。いざとなれば伯爵家の使用人がいる。
――でも、お嬢様自分の髪の手入れが大の苦手じゃないですか、とマコトが反論する前にルティアナは部屋に戻ってしまった。
夕食は伯爵が気合を入れて準備してくれたそうなのだが、ルティアナは慎んで辞退した。
「生憎、豪華な晩餐に参加できるようなドレスは持ってきておりませんの。マコトやゼストと一緒にいただきますわ」
怪我人であるマコトも、熱を出したゼストも、当然晩餐には参加しない。
「そんなに格好が気になるのなら、エキドナ嬢にでも借りれば……」
「いや、無理だろ胸の部分とかが」
残念なことにこの場にマコトがいないので、ギルベルトの下品な物言いにつっこむ者がいない。フランツの耳には都合よく届いていないようだし、リヒトは眉を顰めるだけである。
「息が詰まりそうな食事はまっぴらです、と言えばおわかりになるかしら?」
「……おまえだけ逃げる気か」
エキドナの相手がよほど疲れたのだろう、恨みがましい目でフランツに睨まれたが、ルティアナは笑顔で拒絶した。
――あなたに媚を売ることに必死な令嬢に、必要以上に睨まれたくありませんもの。
と素直に言わないだけマシというものではないだろうか。エキドナとの会話が始まった場合、メンバーを考えてみても、フランツが救いを求めるのはルティアナになるだろう。ギルベルトは面白がるだけだし、リヒトは無視するに決まっている。
フランツは助かるからいいかもしれないが、エキドナは面白くないだろう。怒りの矛先はルティアナに向かう。
そのまま笑顔でフランツの申し出を拒絶し続け、結局ルティアナはマコトたちの部屋に運んでもらった食事を三人でとった。
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