第16話 堂々と喧嘩を売られたので高値で買っただけですわ?

 翌日も伯爵はぜひご一緒に朝食を! ……と誘ってきたようなのだが、フランツはさすがに断ったようだった。

「……起きてすぐにラウゼン伯爵の相手をするのは、無理だ」

 疲れた様子のフランツに、ルティアナも苦笑した。確かに眩しいしうるさいし、ただでさえ寝起きで少ない気力が削られそうだ。

 ゼストの熱は朝には下がっていたのだが、とりあえず念の為にもう一泊しようか、という話になっている。ここで無理をして悪化させては意味がない。

「本音としてはさっさと出発したいんだが」

 ギルベルトが疲れたように告げるので、あら、とルティアナは目を丸くした。

「熱烈にアプローチされてよろしいじゃありませんか。女性はお好きでしょう?」

「明らかに王子狙いのついでに媚を売られて楽しいわけねぇだろ」

「そういうものですか」

 ルティアナはエキドナとの接触は避けているが、彼女はフランツを狙っているらしいエキドナとフランツとともにいることの多いギルベルトはよく顔を合わせるのだろう。

 ルティアナとしては今日も滞在となるのなら、部屋でいそいそと薬草の仕分けや調合をしてしまいたいところである。旅の途中で見つけたものも摘んでおくものだから溜まってきたのだ。

 あとは家に手紙を送っておかなければいけない。城へ行くともなればドレスがいる。王都の別邸にあるもので事足りるとは思うが、ルティアナのドレスだけではなく、マコトの正装だって必要だろう。

 あれこれとやることはあるので、無駄なことに使う時間など一分たりともないのだ。




 朝食を終えて、薬草の整理をしているときだった。

 コンコン、といささか控えめなノックが鳴る。

「……どなたかしら?」

 使用人にはしばらく来なくてよいと伝えてあるし、マコトにしては声もかけずにノックだけというのはおかしい。

 首を傾げてルティアナは扉の向こうへ声をかけた。

「エキドナですわ、ルティアナ様」

 ――なぜここに来る。

 と浮かんだ疑問も飲み込んで、ルティアナはにっこりと微笑みゆっくりと扉を開けた。

「まぁ、エキドナ様。どんなご用でしょうか? 申し訳ありません、散らかしておりまして」

 エキドナはちらりと部屋のなかの薬草を見ながら眉を顰めた。そこは令嬢ならば笑顔で隠すところでしょうに、とルティアナは冷ややかに観察する。

「ルティアナ様とぜひお話したくて。よろしいでしょうか?」

「もちろんですわ。どうぞ?」

 ここで嫌だと言っても帰ってくれそうにないので、ルティアナは笑顔を張り付けてエキドナを部屋に招き入れる。こちらは滞在させてもらっている身なので譲歩は必要だ。すごく嫌だけど。

「フランツ王子やギルベルト様からお聞きしております。ルティアナ様は素晴らしい方だと」

「まぁ、そんなお世辞を真に受けないでくださいませ」

 何を言ったんだあの二人は、とルティアナは心の中で悪態つきながらもうふふ、と笑う。

「わたしにできることなど、たかが知れていますが……それでも、わたしにできることは頑張りたいと思っておりますわ」

 それは、本音だった。

 ただの飾りに、お荷物になるのは嫌だ。

 しかしルティアナがそう告げた途端に、エキドナの周囲の空気が変わった。


「……一人前に、旅の仲間にでもなったおつもりですか」


 ふん、とエキドナがはっきりと、吐き捨てるように呟いた。

「フランツ王子も、なぜあなたなどを信頼なさるんでしょう。ギルベルト様も、リヒト様も。図々しく自分の従者など連れて歩くような女を」

 暴言以外のなにものでもないが、ルティアナは笑顔のまま、まぁ、とわざとらしくとぼけてみせた。

「なんのことでしょう?」

「いい気なものですね、お姫様かなにかにでもなったつもり? あなたなんて所詮は聖女さまの身代わりのくせに、フランツ王子や他の男性に囲まれて守られてちやほやされて!」

 どこがちやほやされているのか問いただしたいくらいだったが、ルティアナは目を細めて笑みを消した。

「その黒髪がなければ、あなたなんて用無しなのに! ‪私のほうがあなたより立派に聖女さまの代わりとして役目をまっとうしてみせるわ! ええ、黒髪であればね!‬」

 まっすぐすぎるくらいの刃のような言葉に、ルティアナは艶然と微笑んだ。


「――エキドナ様がおっしゃりたいことはわかりましたわ」


 こんな役目、好きでやっているんじゃない。

 今までのように穏やかに領地で過ごしていたら、マコトはあんな怪我をしなかったのに。下手すれば命を落としていてもおかしくなかった。ルティアナはあの瞬間、死を覚悟したのだから。

「つまりはわたしよりもエキドナ様のほうが聖女の代わりを務めるのにふさわしい、けれど代わりを務めるために必要な黒い髪ではないからわたしが妬ましい」

 エキドナの髪は金色だ。黒には程遠い、この国ではごく一般的な色。ゆえにこんな面倒事に巻き込まれることもなく、無責任にルティアナを妬むことができる。


 ――馬鹿馬鹿しい。本当に、馬鹿馬鹿しい。


「いいですわよ? こんなものでよろしければ差し上げますわ」

「……え?」

 ふふ、とルティアナは首を傾げて微笑み、薬草の整理に使っていた鋏を手に取った。

 耳の下でひとつに結っていた黒い自分の髪を掴み、迷いなんて感じさせないくらいの潔さで、ばっさりと髪を切り捨てる。

「きゃあ?!」

 目の前で髪を切り捨てられた上に、ルティアナから黒い髪の束を差し出されて、エキドナは恐慌状態だった。


「なんだ、どうした!?」


 エキドナの悲鳴が聞こえたのだろう。フランツや旅の一行が駆け込んできた。その目には肩にも届かないほどの長さで無惨にも短くばらばらになった髪のルティアナと、怯えるようなエキドナの姿が飛び込んでくる。

「……なにがあった」

 鋭いフランツの眼差しに、ルティアナは「まぁ」と冷やかに微笑んだ。

「たいしたことではないんですよ? エキドナ様がぜひに聖女の代わりを務めたいとおっしゃるので、わたしの髪を差し上げますからどうぞお好きにと」

「だからって髪を切るかおまえは……」

「あら、堂々と喧嘩を売られたので高値で買っただけですわ?」

 ――ねぇ? とエキドナに問いかけるが、彼女はびくりと肩を震わせた。ばたばたと騒々しくなり、伯爵や使用人がルティアナの部屋に集まってくる。

 ルティアナはさきほどの威勢とは打って変わって萎縮するエキドナに、一歩近寄る。エキドナは良くも悪くも貴族の令嬢らしく、気位だけは高くて自分の想像の範囲外の出来事には弱い。

 ただルティアナに嫌味を言いたくて――できればルティアナを蹴落としたくて、それだけだったのだろう。こんな大事になるとも思っていなかったはずだ。

 けれど静かな怒りに燃えたルティアナは、獲物を逃がすつもりはない。

「わたしよりも聖女の代わり見事に務めてみせると、おっしゃったではないですか。どうぞ? 代わってくださいな。たくさんの魔物に囲まれてもエキドナ様ならわたしよりもお役にたてるのでしょう?」

 ルティアナは微笑みを崩さない。けれどその静かな怒りは地を這うように足元から迫ってくるようだった。

「や……わ、わたし」

 がくがくと震えはじめるエキドナに、ルティアナは呆れたようにため息を吐きだした。

「こんな程度のことで怯えないでいただけるかしら? あなた、自分が誰に喧嘩を売ったのかわかっていらっしゃらないの?」

 ルティアナはぼさぼさの髪で、質素なドレスで、けれどもどんな女性よりも優美に笑みを浮かべた。

 姿だけを見れば、どう考えても危害を加えられたのはルティアナなのに、彼女にはそんな弱々しさは感じられない。

「あなたは『ただのルティアナ』に喧嘩を売ったのではなくてよ? このわたしに牙をむくということは、アークライト公爵家に牙をむくということ。それがわからないほどのお馬鹿さんなのかしら?」

 王家に次ぐ権力を持つとも噂されているアークライト家と、たかが一伯爵家では同じ土俵にも立てない。エキドナはそこをしっかりと理解していなければいけなかった。そもそも喧嘩を売っていい相手ではないのだ。

「も、申し訳ありません! 躾の行き届いてない娘でして……!」

「――あら、ラウゼン伯爵。なにをそんなに慌てるのです?」

 急ぎ謝罪してルティアナの機嫌をとろうとする伯爵に、ルティアナはやんわりと告げる。

「わたしは、魔物との戦いで髪を切られただけですわ?」

 ねぇ? とフランツに同意を求めてきたので、フランツはひどく苦々しい笑みを浮かべて頷いておいた。

 ルティアナの発言は、今回は何もなかったことにしてやる、と暗に告げていた。ラウゼン伯爵には宿を提供してもらった恩もある。ルティアナもそこまで鬼ではない。

「エキドナ様とは……残念ながら仲良くはなれませんでしたけど」

 添えるようなささやかな呟きに、ラウゼン伯爵もエキドナもびくりと肩を震わせる。


「……今日、準備が出来次第すぐに出立する」


 見かねたフランツがその場をおさめるように、そしてひどい頭痛に耐えるように静か告げた。

「あら、わたしは予定通り明日の出立でもかまいませんけど?」

「俺がかまう。他も準備しろ」

 この肉食獣に怯えるような親子を前にあと半日以上過ごせというのは、心臓にも胃にも悪い。どちらにとっても気が休まらない。

 ルティアナもこれ以上は何も言う気にはなれなかった。


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