第13話 存分にやりなさい
エヤン峡谷はかなり深い谷だ。崖の遥か下を流れるアルムント川は流れが速く、今でも地形を削っていると言われているほど。
「足場がかなり悪い。気をつけろよ」
安全なところで馬を繋いで、そこからは徒歩での移動だ。馬に乗って動き回れるようなところではない。ギルベルトが先頭を歩いて全員に注意を促した。
「お嬢様、気をつけてくださいよ」
それでもなお念を押してくるマコトに苦笑しながら、ルティアナは素直に頷いた。
既に周囲からはこちらを伺うような気配がしている。警戒した魔物たちがルティアナたちの様子を伺っているのだろう。
短絡的に襲いかかってこないということは、それだけ知能があるということだ。これは少し苦戦するかもしれない、とルティアナは渋い顔をする。
離れた場所にいたほうが今回は危険だと判断して、ルティアナはゼストの傍で他の三人に守られるような形をとっている。微々たる力だが魔法を使って応戦もすることにした。
――ぞわりと粟立つような魔物と戦いの気配。
知らず知らずのうちにルティアナの手は震えていた。さすがにこんな戦いの中心に立ったことはないし、この間はまだ頭を働かせている余裕があった。
「だいじょうぶですよ」
震えるルティアナの手を、すぐ傍にいるゼストが握りしめた。年下なのに、ゼストの手はやっぱり男の子の手だ。ルティアナよりも大きくて骨ばっている。
「ルティアナさんのことは、ちゃんと守りますから」
不安を和らげるようにゼストが笑う。
す、と心のなかに芯が通るような感覚がした。
「マコト」
「はい、お嬢様」
間髪入れずに応えてくる声に、ルティアナは微笑んだ。
わたしを守って、ということは簡単だ。けれど、やはりこの場において戦力になるマコトをルティアナの護衛に回すというのは愚かな選択に思えた。
「手加減は必要ないわ。存分にやりなさい」
だからルティアナは、自分を守れとは言わない。マコトに戦えと命じる。
それだけできっと、マコトは全力を尽くして戦って、全力でルティアナを守るのだと信じている。
「今回は指きりしてないもの、わたしもちょっと暴れても許されるわよね?」
にっこりと、ルティアナは余裕の笑みを浮かべる。マコトがちらりと振り返って苦い顔をしたが、そんなものは知らない。見なかったことにした。
マコトがルティアナを守ろうとするのなら、その心配がないようにルティアナも目の前の敵を排除するだけだ。
「『焼き尽くせ業火!』」
溢れるように現れる魔物を前に、ルティアナは繊細な呪文など考えている暇はなかった。
魔法の行使は単純にセンスがいる。魔力量は常人よりも多いルティアナは、コントロールが苦手なので詠唱なしでの行使はできない。隣にいるゼストはルティアナの放つような簡単な魔法は無言のうちにできてしまう。
ルエルの森のように大きな魔法で一掃するには場所も悪く、いささか効率が悪い。
「……ゼスト、このまま続けて。わたしは戦うより支援にまわったほうがいいみたい」
少し息を切らしてルティアナが囁いた。前線で戦う四人の負担が大きいのなら、そのフォローが必要だ。戦いが長引いてきているからなとさら。
ゼストは何も言わずに頷いて、再び魔法を放った。
そうしてルティアナは体力の回復や力の増幅、果ては武器に魔法をかけてできる限りのことをした。四人の手をすり抜けて近づいてくるような魔物があればもちろん容赦なく魔法で叩き潰す。
一時間ほど連戦を続けて、数はかなり減った。
終わりが見えてきたところで、ルティアナもほっと安堵の息を吐き出す。
「……あとは一掃します。一か所にどうにか集めてください」
ゼストも疲労の色を滲ませながらそう告げた。前線で戦う四人が振り返らずにこくりと頷く。
応戦しながら魔物をうまく誘導していくギルベルトやマコトと、それに零れた魔物を切り伏せるフランツと、射抜いていくリヒト。
ある程度集まってきたところでゼストが強い風の魔法でさらに密集させた。魔物が散らばる隙も与えずに、ルティアナが放つ何倍もの威力の炎で魔物を焼き尽くした。
チリチリと肌を焼くような熱気に、すべてが終わったことを知る。
「っ! お嬢様!」
ルティアナが気を抜いたところに、ガラガラッと頭上から落石があった。激しい戦いの影響か、それともただの偶然か、そんなことを考える暇はなかった。
ルティアナは咄嗟にゼストの背を押して突き放す。そのまますぐに動こうとしたけれど、足にうまく力が入らなかった。
――ダメだ。これは死ぬかもしれない。
そう思った瞬間、視界を覆うようにマコトに抱きしめられた。
「マコト!」
ルティアナが叫ぶと同時に、落石がルティアナを抱きしめるマコトの上に降ってきた。マコト越しに感じる衝撃に、ルティアナは悲鳴をあげる。
崩れ落ちるマコトの身体を支えようとするが、重みに耐えかねてルティアナはそのまま座り込む。
マコトの肩を揺らしても、彼は動かなかった。どろりとした液体が、マコトの額から滴り落ちる。
「……マコト? マコト!? しっかりして!!」
ルティアナの叫び声が響き渡る。
何が起きた。どうしてマコトは血を流して倒れている。混乱する頭では何もわからなくて、ルティアナはただ泣きながらマコトの名前を呼んだ。
ぽたぽたと、溢れ出した涙が血で汚れたマコトの頬に落ちる。
「動かさないでください、止血します」
リヒトが駆けつけてきて、マコトをゆっくりと寝かせる。
ゼストがはっとしたように傍らに駆け寄ってきてマコトの額に手をかざした。ぽう、とあたたかな光があふれて血が止まっていく。治癒魔法だった。本人の生命力を引き出すものなので、普段は乱用はできないが、緊急事態だからだろう。
「ありがとうございます」
手当を続けているリヒトが手早くゼストに礼を言って、頭に止血帯を巻く。リヒトの手際の良さにゼストはほっと安堵したが、ルティアナはそうではないらしい。
マコト、と小さく名前を呼ぶ。
真っ青な顔は、今にも倒れてしまいそうに見えた。
「ひとまず移動しましょう。魔物がゼロになったとは言えませんし、また落石があるかもしれない。ここは危険ですから」
リヒトがそう言いながら慎重な動きでマコトを抱えようとして、ギルベルトがそれを手伝った。
ぽろぽろと涙を零しながらルティアナはそれを見上げるしかできない。頭がまったく働かなくて、座り込んだまま立ち上がる気力すらなかった。
「……ルティアナさん」
ゼストがそっとルティアナの肩に触れる。けれどルティアナはそれにも反応できなかった。
涙で視界が歪む。マコトから流れた血の赤が頭から離れない。
「ルティアナ」
フランツがルティアナの正面に回って、ぺちり、とその頬を軽く叩いた。痛くはない。痛みを感じないほど感覚が麻痺しているのか、それともそこまで強く叩かれたわけではないのか。たぶん、両方だろう。
「しっかりしろ。あの従者なら大丈夫だ」
頭部への怪我は傷口が小さくとも出血量が多い。さきほどのマコトの怪我は、ほんの少しの治癒魔法ですぐに傷口がふさがったので大きな怪我ではなかったのだろう。
手早く止血したので貧血のおそれはあっても出血死は免れたはずだ。
「……だいじょうぶ」
ぽつり、とフランツの言葉を繰り返すようにルティアナが口を開いた。迷子みたいな声だった。
「ああ、大丈夫だ」
「…………ほんとうに?」
縋るようなルティアナの弱々しい声に、フランツはもう一度しっかりと「大丈夫だ」と繰り返した。
そうしてゼストの手を借りながら、ルティアナは立ち上がる。
濡れた頬の上にまだ涙は伝っていって、その肩はさきほどまで戦場に毅然として立っていたことなど思わせないほど、小さかった。
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