番外編

番外編1 聖女召喚前のとある雨の日の話

 一行が宿屋についたと同時に、強い雨が降り始めた。屋根を打つ雨音がうるさいくらいだ。

「ギリギリで間に合ったなー」

 濡れずにすんでよかった、とギルベルトがベッドに腰を落ち着けて笑う。あと五分でも遅れていたら濡れ鼠が六人出来上がっていただろう。

「明日にはやんでいるといいんですがね」

 予定が狂う、とリヒトは浮かない顔だった。

 マコトは荷物を整理しながら窓の外へと目を向ける。叩きつけるような雨と、重たい色の雲。

「……雷でも鳴りそうですね……」

 と呟くと、空は不穏にもゴロゴロと音をたてた。そうだな、というフランツの相槌を聞きながら、マコトは一人部屋のルティアナのことを思い出す。


 ――雷、鳴らないといいけど。


 しかしその願いは虚しく、夕食を終えて就寝する頃には天候は悪化していた。ピカッと光ったあとに、地面を割るような音が響き渡る。

「あーうるせぇなー」

「寝てしまえば気にならないでしょう」

 旅を続けていると、自然と誰もがベッドで眠れるときにはたっぷり休むことにしている。男たちで集まって会話を楽しむようなこともないからだ。

 早々に大部屋の灯りは消されて、ギルベルトはいびきをかきはじめている。外では雷がまた鳴った。

 マコトは悩んだ末に起き上がる。

「……マコトさん?」

 隣のベッドで寝ていたゼストが寝ぼけた声で呼びかけてくる。

「……少し、出てきますね」

 どこへ行く、とはさすがに告げられなかった。




 暗い部屋のなかに光が飛び込んだかと思うと、その後に大きな音が響く。

「……っ」

 悲鳴を噛み殺してルティアナは毛布を頭からかぶった。宿屋で、この時間に悲鳴をあげたりしたら他の客に迷惑だ。

 普段ならこんなとき、マコトがいた。昼間だろうが夜中だろうが、雷の音がやむまでルティアナのそばにいてくれた。しかし今は旅の途中で、ルティアナは一人部屋だ。耐えるしかない。

 ベッドの上で毛布をかぶり、雷の光と音から逃れようとしていると、コンコン、と控えめなノックの音がした。

「――お嬢様? 大丈夫ですか?」

「マ、マコト……?」

 のそのそと頭を出して扉の向こうに声をかける。大丈夫じゃなさそうですね、という苦笑いが聞こえた。

 ルティアナは毛布にくるまったまま、鍵をあける。扉をあけるとマコトがしょうがないな、という顔で立っていた。

「マコ……きゃあっ!」

 マコト、と言おうとしたところでまた雷が鳴る。ルティアナは涙目でマコトに抱きついて小さく悲鳴をあげた。

 あー……とマコトは天を仰ぎながらため息をこぼして、ルティアナを抱きかかえたまま部屋に入る。ルティアナが落とした毛布を片手で拾い上げてルティアナを包んだ。

「こんなことだろうと思ったんですよね。お嬢様、昔から雷だけはダメだったので」

「だ、誰のせいだと思ってるの!? 雷さまにおへそとられるのよ!?」

 幼いルティアナは雷なんてまったく怖くなかった。けれどマコトが、雷さまを随分と脚色してルティアナに話して以来、彼女は子どものように雷に怯えている。

 だってほら、この世界には避雷針なんてなさそうだし、甘く見てると危ないんじゃないかな、とマコトとしては親切心から危険性を教えたつもりだったのだが。

「はいはい、すみませんでした。責任持ってこうして来たじゃないですか」

 正直、この時間帯にベッドの上で抱きつかれているというのは苦行以外のなにものでもないのだけれど。

 これは大きな子どもだ、と自分に言い聞かせて平静を保つ。いくらふにふにと抱き心地がよくても子どもだ。大きな子どもだ。

 雨音は夜の闇のなかで響いている。

 ピカッと光るたびにマコトは暇つぶしにいち、に、と数を数えては近かったな遠かったな、などと考えていた。ゴロゴロ、という音のたびに肩を震わせるルティアナの背中や頭を撫でる。その度にほっと安堵するようにルティアナの身体から力が抜けるのがわかってしまうから、なんとも言えない。

 ルティアナは弱味を人に見せない。公爵令嬢として育った彼女は、人々が作り上げた『ルティアナ』の像を崩すことを良しとしない。

 だからこんな風に震えてしがみつく彼女の姿を知るのは自分だけだ、という優越感が少なからずマコトにはあった。ルティアナを慰めるのもその涙を拭うのも、今は従者の自分の役目。たとえそれが従者としての領域を越えたものだとしても。

 ぽんぽん、と子どもをあやすように背を叩いていて、ルティアナが静かになったな、と気づく。

「……お嬢様?」

 呼びかけてみると、すーすー、と穏やかな寝息が聞こえた。その手はしっかりとマコトを掴んだままだ。

 いつの間にか雷の音も随分遠ざかった。だからか、と納得する一方でマコトはこの状況をどうするかと頭を悩ませた。

 離れないルティアナ。そして眠る主のぬくもりは、マコトに緊張を与えながらも睡魔を呼び寄せてくる。

 夜明けは遠い。

「あー……」

 ため息をひとつこぼして、マコトはルティアナの肩から落ちた毛布を引き寄せた。

 こんな長い夜を過ごすのは、何回目だったかな、と苦笑しながら。



「……おまえ、夜いなかったよな?」

「なんのことですか?」

「いなかったよな?」

 早朝、きっちり雨はあがった。

 うつらうつらと夢と現実をいったりきたりしながら、マコトはルティアナの部屋から大部屋に戻った。もちろん気配に敏い奴には気づかれるだろうとは思ったが、説明してやる必要はない。

「おはよう、マコト。ごめんなさい、昨日はまた迷惑かけちゃったわ」

「もとは俺の責任ですから、お嬢様が謝ることはないですよ?」

 いやでもこの年で雷に怯えているのは、と頬を赤くしているルティアナを見て、ギルベルトは顔をひきつらせた。

「おま、おまえら! いくらなんでもそういうことはやめろよ!?」

「そういうこと?」

 なんのことだとルティアナは首を傾げた。だってルティアナがマコトにくっついて寝るなんて野宿の時は当たり前になっている。今更だ。

「耳を貸す必要はないですよお嬢様、ギルベルト様は下卑た想像しかできない残念な方なので」

 ルティアナの耳を塞いでマコトはにこやかにギルベルトの株を落とす。ルティアナが冷めた目でギルベルトを一瞥していた。

「何を騒いでるんだおまえらは」

 呆れた様子のフランツにギルベルトがいやな、と顔をひきつらせた。

「姫さんたちが随分楽しい夜を過ごしたみたいなんでねぇ!?」

 ギルベルトのセリフにルティアナは柳眉を歪めた。

「楽しいわけないでしょう。こっちは雷がやまなくて困っていたのに」

 おかげでルティアナは少し寝不足だ。付き合わせてしまったマコトにも申し訳ない。

「……は? 雷?」

 ぽかん、とした顔でギルベルトは呟く。

「………ギルベルト、おまえはその思考回路をどうにかしろ」

「いやおまえ、若い男女が夜に二人きりって!」

「この二人に限って、それは、ない」

 フランツが強調しながら断言する。

 ええまぁそうですね残念ながら、とマコトは心の中で同意した。


「おはようございます、ルティアナさん」

「おはよう、ゼスト。晴れていい朝ね」


 にこにこと楽しげに会話する二人を見ながら、人騒がせな朝だ、とフランツはため息を吐き出した。

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聖女代行、死亡フラグを叩き折ります! 青柳朔 @hajime-ao

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