第55話 わたしも、愛してるわ
その特別な日のはじまりは、光と花が溢れていた。青空は眩しく、吹き抜ける風はやさしい。人生で最高の一日に相応しい陽気だ。
真っ白なドレスに身を包んで、ルティアナはやって来た訪問者に微笑んだ。
「――いらっしゃらないかと思いましたわ」
その言葉に、相手は苦笑する。
「友人の晴れの日に欠席するほど、俺は薄情者じゃない」
青い瞳が細められる。フランツはここ数か月ほど、表舞台にはほとんど出ていなかった。
「そうですね」
「俺もそろそろ、のんびりしているわけにもいかないだろうしな」
大神官クレメンスが起こした騒動から数か月が経った。投獄された大神官はつい二か月ほど前に獄中で息を引き取った。もとより重い病を患っていたらしい。
旧ゼヴィウス公爵領に関しては王家が直接視察をして、荒れ果てた状況を改善するために役人を派遣したという。
ルティアナとマコトは駆け落ちすることもなく、あっさりと婚約を認められた。というのも反対したら本気で駆け落ちしかねないと思われたからでもある。
アークライト公爵はもとよりそうなるだろうと思っていた、と苦笑していた。
リヒトももともとの願いの通り、無事に婚約した。驚くべきことに相手はなんと、ルティアナの兄と王太子が片思いをしていた令嬢だったのである。ここでようやく王家とアークライト家のジンクスは見事に破れた。
ギルベルトは相変わらずだが、孤児院への支援を堂々と始めたらしい。
ゼストは新しくなった設備のもとで楽しそうに研究に没頭している。彼が一番よくルティアナに会いに来てくれるのだ。
「ルティ」
その愛称でルティアナを呼ぶ人は、この世界に一人しかいない。――いなくなった。
振り返りながら微笑むと、フランツが「ルティアナ」と声をかけてきた。
「しあわせか」
「――ええ、もちろん」
しっかりと頷くと、フランツは微笑んで「そうか」と答えた。
「――あなたはしあわせかしら、マコト」
夫となる人の手を取りながら、ルティアナは問いかけた。公爵家の結婚式ではあるが、一族と親しい者だけの小さなものにした。これからルティアナとマコトは、領地の中にある別邸で暮らすことになる。
「どうしたんですか、今更」
「今更ではないわ。ずっと思っている。あなたに大事なものを手放すことになったから」
「またそれですか」
ルティアナは何度でも思う。本当によかったのだろうか。大切な家族ではなく、ルティアナを選んで。この世界を選んで。
「ねぇルティ。俺はきっと、何度問われても同じことを答えますよ」
マコトはしあわせそうに微笑んで、ルティアナの目を覗きこむように見つめた。
「あなたのいない世界なんて、いらない」
そうして落ちてきた口づけに、ルティアナは泣きたいくらいにしあわせを感じていた。
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木漏れ日が眩しい午後だ。ルティアナは屋敷の庭を散歩しながらやさしく吹く心地よい風に目を細めた。
「かあさま! 早くきてください!」
ぱたぱたと駆け回る息子が手を振る。真っ黒な髪は父親譲りだ、とルティアナは思うのだけど、フランツやギルベルトにはおまえらどっちも黒髪だろ、と笑われる。
そのたびにルティアナはよく見ろと主張する。違うのだ、黒髪といえども違いがある。
「レオン、あまり走り回ると転ぶわ」
言った先から息子は転んだ。もう、と助け起こそうとルティアナが近づくより早く、息子の後ろからやってきたマコトがひょいと抱き上げて立たせた。
「ルティこそ、あんまりあちこち歩き回らないでください。一人の身体じゃないんですからね」
「過保護ねぇ……」
相変わらず、とルティアナ早く笑った。大きくなったお腹を撫でる。これでも妊婦になるのはもう三度目だ、慣れたものである。
マコトの腰にはぴったりと七歳になる長女がくっついている。
「天気がいいんだもの、このままみんなで日向ぼっこでもしましょうか」
ふふ、と微笑みドレスが汚れることなど気にもとめずにルティアナは芝生の上に腰を下ろした。
「お母さま、花かんむりを作ってください!」
娘がタンポポを摘んで持ってくる。むむ、とルティアナは困りながら逃げ道を探した。
「花かんむりならお父さまのほうが得意でしょうに」
「お母さまがいいんです」
ね、と笑う娘に負けてルティアナは不器用ながらに花かんむりを作り始めた。危なっかしい手つきに夫が笑っている。
「花が足りないわね」
「レオ、とりにいきましょ!」
お姉さんらしく弟の手をとって娘は駆け出した。
「ユリアがお転婆なのはルティに似たんでしょうね」
「……マコトが甘やかして外に連れ出してばかりだからでしょう」
お転婆だったのは否定しないが、これでも淑女教育は完璧である。
マコトはくすくすと笑って隣に腰を下ろす。庭に咲いているタンポポを宝探しのように摘んでいる子どもたちを眺めながら、ルティアナはそっとお腹を撫でた。
「ルティ」
「なぁに?」
マコトの指先がルティアナの黒い髪を一房持ち上げて、くるくると手の中で弄ぶ。
「愛してます」
「今朝も聞いたわ」
「聞き飽きました?」
「いいえ、ちっとも」
あれから十年近く、毎日のように聞いているけれど、不思議と飽きるということはない。
「わたしも、愛してるわ」
十回に一回はルティアナからも返さないと不機嫌になる旦那さまにキスをして、微笑む。
子どもたちの笑い声が響く。
幸福な、なんてことのないいつもの昼下がりだった。
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