第49話 物騒な話だな
毛布に包まって、アカリは胎児のように丸く膝を抱えた。
眠気なんてやってこないけれど、こうするほか誰にも顔を合わせずにいられる方法がない。
戻ってきてすぐに、寝るね、と告げたアカリに、マコトは微笑んだあと頭を撫でた。……それだけだった。
突き放したのではなく、アカリの気持ちを汲んでくれたマコトのやさしさにまた泣きそうになった。
アカリは、向こうにいる家族を思い出しては怖くなる。友達を思い出しては悲しくなる。アカリが愛したものが元の世界には溢れていて、無条件でアカリを愛してくれる人々がたくさんいる。
けれど分かっているのだ。たいへんなことばかりで、危ないことばかりだけど、それでもこの世界だって、この世界に生きる人のなかにだって、アカリを愛してくれる人はいるんだって。
――マコトやルティアナや、フランツがそうであるように。
けれどそれはアカリがこれから築いていかなければならない絆で、それは、簡単なことではなくて。
不安は考え始めたらキリがない。
例えばこの世界で誰一人としてアカリの味方がいなくなったとき、アカリは果たして自分を「ナガミネアカリ」だと自信を持って言えるだろうか?
もしも帰らないという選択したあとで、日本で過ごした日々が幻だったと言われたら、自分を構成している何もかもを否定されたら。
異世界で生きることを選ぶということは、自分の根っこを掘り返して、別の場所に植え替えることに似てる。
もし植え替えた先でもとの色とは違う色の花が咲いたとき、どちらが本当だったのかなんて、わからなくなる。
アカリはごく普通の女子高生で、それゆえに弱い。
だから選べない。
何もかもを投げ打って、それでもこの世界で生きるのだという決断を出来ない。
*
心がどんなに沈んだとしても、旅は進む。
アカリとフランツはまるで何もなかったかのように今までと変わらずに接していた。それが、ルティアナの目には少し痛々しく見える。
「最後は聖剣、ですね……」
緊張した面持ちでゼストが呟く。
「そういえば、聖具ってものすごく日本のものっぽいんだけどそれって聖女が日本人だからなのかな」
「日本っぽい?」
「こっちの世界のものではないだろうなって感じ。この紐だってそうじゃない?」
アカリは一番小さい宝玉の箱を持ち上げて見せる。
「……そうね、そういった紐はこの国にはないと思うわ」
やっぱり、とアカリは思う。
「聖具については、初代聖女が自らの持ち物に魔法をかけたって伝承が残っているから……もともと日本のものだとしても、不思議ではないわね」
「そうなると、聖具を使って帰還の魔法を閉ざすことも可能なんじゃないですか?」
ゼストが不安げに口を開いた。
帰還の魔法は、召喚されたものを送り返すことで閉ざされる。召喚されたものというのはつまり異世界のものであればなんでも良いということだ。
「理論上は可能かもしれないわね。でも、聖具に触れられるのはアカリだけだし……」
そもそも聖具はもう何百年もこの世界で守護の魔法の要となっていたものだ。『異世界のもの』と認識されるか怪しい。
「どうであれ、教会の手に渡すわけにはいかないな」
「そうですね」
聖具そのものどころか、アカリ以外は箱にも触れることはできない。かといって警戒を怠るわけにはいかない。
「……もうすぐ最後の神殿だ。見えてきたぞ」
御者台からギルベルトが声をかけてくる。
ごくり、とアカリは唾を飲み込んだ。手のひらはうっすらと汗をかいている。
焦る心を落ち着かせるようにアカリが何度か深呼吸を繰り返すうちに、幌馬車は止まる。
「……ゼスト、リヒト様。馬車に残っていてくださいますか」
「ええ」
「分かりました」
ルティアナの言葉になんの迷いもなく頷くリヒトとゼスト。今までそんなことしていなかったのに、とアカリは首を傾げた。
「……なんで?」
「聖具に触れることはできなくても、馬車ごと奪うことは可能でしょうから」
苦笑まじりのルティアナの説明に、アカリはさっと青ざめた。ありえない話ではない。
「魔法が必要ならわたしがいますし、接近戦に関してはマコトとギルベルトがいれば十分です」
ゼストほどの力はないとしても、戦うことになれていない神官たち相手ならルティアナがいれば事足りる。アカリの身の安全と聖具の安全、その二つを考えるのならばこの分担は妥当だ。
「物騒な話だな」
フランツはため息を零しながら呟く。もとより彼は神殿に向かう側だ。一行の代表ともいえる王子不在はさすがにおかしい。
「物騒なことにならなければよいですけど」
「ルティの嫌な予感は当たるから嫌ですね」
マコトの言葉にルティアナは苦笑した。
最後の神殿に到着すると、神殿外には武装した神官たちが並んでいた。
「……なぜ武器を?」
「お恥ずかしいことに、このあたりの治安は悪いもので……物乞いならまだしも、盗っ人が忍び込んでくることもあるんですよ」
フランツが問いかけると、神官は苦笑まじりに答える。しかしぴりぴりとした空気はそれだけではないような気がした。
殺気ではない。たが敵意は確かにある。
その証拠に、マコトもギルベルトもすぐに剣が抜けるように警戒していた。
馬車にはリヒトとゼストがいる。これ以上分断するわけにはいかないとルティアナたちは四人で神殿に入った。
聖具はやはり、神殿の奥に安置させている。
アカリは一人で聖具に歩み寄り、細長い箱を開ける。それは剣というにはいささか短い。
箱に組紐はなかった。しかし箱を開けてみると、今までとは違って袋に包まれている。剣道部が持っているやつみたいだ、と思いながらアカリは持ち上げた。
聖剣は、短刀と呼ばれるものではないだろうか。女性が護身用に持つような大きさだ。
これで聖具はすべて集まった。
聖剣を箱にしまわずにアカリが振り返る。黒い髪がふわりとなびいて、フランツはその一瞬を目に焼き付けた。
アカリがルティアナたちのもとへ駆け寄ろうとした瞬間だった。
「聖女さまを保護せよ!」
神官の声とともに、神殿のあちこちに隠れていた男たちがルティアナたちを囲う。その手には武器があった。
「『其は影。光と対なるもの。闇を導くもの。我が声に応えて捕らえよ』」
ルティアナの歌うような呪文とともに、アカリに近づこうと神官の影がまるで生き物のように動き出し、足に絡みついて動きを封じる。
その声を合図にマコトやギルベルトは剣を抜き、フランツはアカリのもとへ駆け寄る。
襲いかかってきた男たちは皆神官だ。大半はルティアナの魔法によって拘束され、それ以外はマコトやギルベルトに切りふせられている。動ける者は残りわずかだ。
「残念ですわ、神官さま。友好的とまではいかなくとも、穏便に済むと思いましたのに」
緊迫した空気のなかで、ルティアナの艶やかな声が響いた。
「……気づいていたのか」
「あれほどあからさまな敵意に気づかないわけがないでしょう」
戦い慣れていない者とは違い、マコトやギルベルトはそういった気配には敏感だ。ルティアナだって、この旅を通して身に迫る危険には以前に増して気づくようになってきている。
「聖女を保護、とまだのたまいますか。教会はそれほど権力が欲しいのかしら」
ルティアナは責任者である神官の男をまっすぐに見据えて微笑んだ。
「さて、まどろっこしいこと嫌いなんです。さっさとはっきりさせましょう。……裏で手を引いているのは誰なのかしら?」
「なんのことかわかりかねますな。これは、我々が独断でやったこと」
なるほど、口を割るつもりはないらしい。
ルティアナの細い指が顎に添えらる。小首を傾げる仕草は愛らしいけれども――ひやりと背筋が凍るようだった。絶対零度の微笑みとはまさにこのことだ。
「独断で? 聖女さまを保護して? どうなさるおつもりでしたの?」
たとえ聖具を守る神殿とはいえ、独断で聖女を保護し利用するなんて考えつくだろうか。そもそもこの武装した神官たちも、いくら治安の悪い地域とはいえ多すぎる。本来神官は争いを好まないはずだし、戦うとしても彼らは魔法を使うはずだ。
「……困りましたわね。話してくださらないのなら、こちらも拷問でもなんでもしなくてはいけませんわ。わたし、血生臭いこともけっこう存じてますのよ?」
神官が頑なに口を割らずにいると、ルティアナの隣に立つマコトが無表情で剣に手をかける。
鞘から覗く銀の輝きに、周囲の神官たちはヒッと声を上げた。
「指を一本ずつ折りましょうか? それとも切り落としましょうか? 煮えたぎった油のなかに落としましょうか? ……どんな方法がお好みかしら?」
ルティアナは慈母のような微笑みを浮かべたまま、おそろしい拷問方法をいくつも挙げてくる。
しかし神官はルティアナを睨み返した。やれるものならやってみろと言いたげな目に、ルティアナはそれ以上の決意をもって問い質す。
「答えなさい。指示を出したのは大神官クレメンスですわね?」
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