第7話 喧嘩を売ってらっしゃるなら買いますけど
「はい、できたわ」
ゼストの前髪は眉の少し上くらいの長さで整えられた。綺麗な琥珀色の目がしっかりと見える。
「あ、りがとう、ごさいます」
俯きがちにお礼を言いつつ、たどたどしい感じでルティアナさん、とゼストはわずかに笑う。
「やだかわいいぎゅってしてもいいかしら」
「お嬢様のそのセリフに大変困惑しているようなのでやめてあげてください」
思わずルティアナの口から本音がぽろりとこぼれたところで、極めて冷静にマコトからつっこまれる。
「あらマコト、いたの?」
「いたんじゃなくて、来たんです。昼食の準備ができましたよ」
だから呼びに来たんです、とマコトが呆れたように続ける。
「カスタードパイは?」
「今料理長に焼いてもらってます」
あまりにも早すぎる迎えにまさか約束を破ったか、と疑ってしまったが、さすがマコトだ。仕事が早い。
「じゃあ行きましょうか、ゼスト?」
ルティアナの声に「はい」と小さく頷いた。
「……やっぱりぎゅっとしても」
「お嬢様、ゼスト様が怯えてますから」
ルティアナの本気の目にゼストは思わずマコトの後ろに隠れた。フランツとは別の危険を感じたのかもしれない。
ただぎゅっとしてぐりぐりしたいだけなのに、とルティアナは不満げだが、さすがに本人が嫌がることはしない。……してないつもりだ。
「昔、俺にも似たようなことしようとして、実際しましたよね」
「……そうだったかしら?」
と、わざとらしくとぼけるが、ルティアナにも覚えがあった、何しろ背が伸び始める前のマコトはそれはもうかわいかったから、ことあるごとに抱きついていた。
だってそこはほら、主の特権というか。
抱きつかれる側の心情など、ルティアナにはわかるまい。
他の三人の待つ部屋へ行くと、フランツが開口一番に「遅いぞ!」と言い放った。誰のせいだ。
「おお、まともになったなぁ」
しっかりと切りそろえられたゼストの前髪を見ながらギルベルトが感心したように呟く。
運ばれてきたのは軽食だ。昼間っからフルコースなんてお行儀よく食べていられるわけがない。まして出立前に満腹で動けないとか笑えないだろう。
普段ならばマコトと一緒に食事するところだが、マコトはしっかりと従者としての一線をひいて給仕をしようとしている。
だがそれでは、いつマコトが食事をとるのだ、とルティアナが口を開こうとすると、
「あの、俺作法とか」
知りませんけど、とゼストが小さく呟いた。不安げな様子にやだかわいい、とルティアナはついまた抱きつきたくなったが、さすがに耐えた。そう何度もゼストを怯えさせるわけにはいかないので耐えてみせた。
用意したのはあくまで軽食だが、整えられたテーブルはフルコースが並んでも遜色ないものだ。ルティアナたちにとっては豪華なテーブルも当たり前のものだが、貴族ではないゼストはそれに萎縮したのだろう。
「それでしたら、私も昼食をとるところでしたので、ご一緒にそちらでとりますか?」
マコトがゼストに微笑みかけながら問う。よかった昼食をとるつもりはあったのか、とルティアナが安堵する一方で、まてまて癒し《ゼスト》を連れてこの三人の中に置いていくつもりか、と叫びたくなった。
ゼストがマコトの提案に頷きかけたところで、フランツが口を開いた。
「そんな面倒なことをしなくても、作法など誰も気にせん。ここで食べればいいだろう」
この場の最高権力者のフランツがそう言えば、誰も文句は言えまい。もともとギルベルトは気にしないだろうし、リヒトは興味もなさそうだが。
「それと従者、おまえもここで食べればいい。どうせ普段はそうしているんだろう」
え、とその場の誰もが目を丸くした。――ルティアナまで。
マコトもどう反応してよいのかわからずにきょとんとしていた。まさかフランツからそんなこと言われるとは思わなかったのだ。
「なんだ、その顔は。前に俺がここに来たときは二人とも馬鹿みたいにべったりだっただろう」
「それは子どもの頃の話でしょう」
「奴は子どもとは言い難い年齢だったと思うが」
「それに王子がおっしゃるほどべったりしておりません」
「自覚ないのか」
ハッと馬鹿にするようにフランツが笑ったので、ルティアナもカチンとくる。これから共に旅をしなければいけない相手だ、穏便に穏便にと言い聞かせていたが、やはり腹が立つ。
「喧嘩を売ってらっしゃるなら買いますけど」
「お嬢様、落ち着いてください。他の方々も困っていらっしゃるので」
フランツとルティアナが口論を始めたら、出立は夕方どころか明日になってしまう。
「よろしければ、お言葉に甘えて同席させていただきたいのですが」
マコトが面白がって見ていたギルベルトや興味を示さないリヒト、ぽかんとしているゼストに問う。うぐぐ、とルティアナも怒りの矛をおさめるしかない。
「さっさと食おうぜ。マナーだろうが作法だろうが、誰がいようが、気にしねぇよ」
代表してギルベルトが答えたので、マコトは「ありがとうございます」と微笑んでルティアナの隣に座った。
フランツは相変わらずルティアナを警戒しているし、ギルベルトやリヒトは個人主義なのかあまりかかわろうとしてこないし、癒しのゼストは会話は苦手――と、お世辞にも和やかな食事とは言い難いが、これは慣れるしかないだろうとルティアナはひとつ小さくため息を零した。
食事を終えて、さて行きましょうか、というところで、まずルティアナは外に用意されていた馬車を見て真顔になった。
「……これは?」
王家の紋章などはついていないが、上流の貴族しか使わないような豪華な馬車だった。
まさかこれで旅をするつもりか、と問いただしたい。そもそもこの屋敷に来るところまで四人はそれぞれ馬に乗っていたではないか。ゼストはギルベルトの後ろに乗せられていたような気がするけれど。
「見てわからないのか。馬車だ」
「そうですわね。どう見ても馬車ですが」
冷めた目でルティアナは馬車を見つめる。
「おまえが同行するのであれば必要だろうとわざわざ用意させたんだ。少しは感謝しても――」
「わざわざ来ていただいて申し訳ありませんが、お引き取りくださいな」
フランツの言葉を無視して、ルティアナは御者に声をかけた。
「おまえ少しは人の話を聞け!」
「魔物討伐の旅に馬車なんて使えるわけがないでしょう。マコト、わたしの馬を連れてきて」
「姫さん馬に乗れるのか?」
へぇ、と驚いたようにギルベルトが問いかけてきたのでルティアナは「もちろん」と答えた。
今だって馬に乗るつもりで動きやすいようドレスではなくズボンをはいているというのに。上に羽織っているコートが足首近くまであるからわかっていないのか、この男たちは。
それとも単にドレスよりは動きやすい恰好だとでも思っているのか。旅をなめるな。
「お嬢様」
馬を二頭連れてきたマコトに、ルティアナは微笑みながら「ありがとう」と一頭の手綱を受け取る。葦毛の、ルティアナの愛馬だ。
「…………ちょっと待て。なんで馬が二頭必要なんだ?」
フランツがマコトが手綱を握るもう一頭を指差して口を開いた。
「なんでって……」
きょとん、とルティアナが何を言っているのだろう、と目を丸くした。
「マコトが乗るからですけど?」
「なぜ従者が馬に乗る必要がある」
「マコトも一緒に行くからに決まっているじゃないですか」
当たり前のことのようにルティアナが言ったのだが、フランツが馬鹿か! と叫んだ。大きな声に怯えたのはゼストくらいで、目の前で怒鳴られてもルティアナは驚きもしない。
「余計な人間を連れていけるか! 足手まといだ! 当然のように連れて行くな!」
「あらやだわたしったら」
フランツの言葉にルティアナは今更気づいたというように、振り返ってマコトを見た。
「マコトの意思を確認していなかったのだけど、ついて来てくれる?」
「もちろん。聞かれるまでもありません」
まぁそうよね、とマコトが同行しないかもしれない、なんて可能性はルティアナのなかでは欠片も存在していなかった。
「いやいや姫さん、王子の言う通り足手まといは必要ないんだよ」
「――ただでさえ貴女という足手まといがいるわけですし」
リヒトの紫色の瞳が、ひんやりとルティアナを睨みつけた。
ルティアナの役割は戦いではない。ただ旅の一向に『黒髪の聖女』がいると国民に思わせるためだけの、お飾りだ。彼らはルティアナになんの期待もしていないのだろう。
護身術も身に着けているものの、ルティアナ自身は足手まといかもしれない。だが、
「……足手まとい? マコトが?」
ルティアナは口元に手を添えながら、艶然と微笑んだ。
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