第20話 我ながら、少し博打すぎたかしら?
「……ルティアナ、話せるか」
フランツがいつもよりも心なしか優しい声音でルティアナに声をかける。
「……はい」
マコトにしがみついていたルティアナも顔を上げる。青い瞳は涙に濡れて、白い頬にも涙の跡が残っていた。
「おまえはどうしたい? こんなことが起きた以上、ここで旅から抜けて屋敷に戻ってもかまわないし……ギルベルトに責任を取れと言うのなら責任を取らせる」
フランツは冷静だ。冷静に選択肢を提示してくる。
責任を取らせる、というのはつまり、責任持ってギルベルトがルティアナと結婚するという意味だろう。
――それはもちろん全力で拒否する。
「……今夜の一件は、何もなかったものとしていただけますか」
ルティアナがはじめから望むのはそれだけだ。はじめから穏便にと言っているように。
「ですが、ギルベルト様を野放しにするわけにはいかないと思います」
ゼストがルティアナに割って入った。もちろん強姦魔だろうが暗殺犯だろうが、そのまま放置する気はない。
「ギルベルト様がわたしに近づかないようにしていただければ……王都までの任務を安全にしっかり全うできますわ」
ギルベルトがルティアナを襲った。ルティアナが作り上げた偽りも、隠した真実もそれは共通している。
王都に入ってしまえばギルベルト自身は手を出せない。それまで、他の三人がギルベルトを見張ってくれればいい、そう思ったのだが。
「なら、ギルベルト様がルティアナさんに近づけないように魔法をかけます」
予想外にもっと強力な方法がゼストから提案される。
「ルティアナさんに触れたら失神するほどの痛みが発動するものと、一メートル以内に近づいたら警告で痛みが発動するように」
それは魔法というか、呪いに近いものだ。ゼストなら可能だというのがまた怖い。
「それでいいのか」
再度確認してくるフランツに、ルティアナはしっかりと頷いた。
「……こんな男に嫁ぐのはごめんですし、妙な噂が流れても困ります」
ギルベルトに強姦魔の汚名を着せられようが知ったことではないが、この場合ルティアナの名にも傷がつく。下手に事を大きくされても困るのだ。
「……おまえがそう言うなら、そのとおりにしよう。それでいいな?」
フランツがリヒトを見て問いかけると、リヒトも頷いた。
ちらり、とルティアナがギルベルトを見ると、拘束されたままの彼はやってくれたな、とでも言いたげにルティアナを睨んでいた。
「……じゃあ、それを連れて戻るか」
はああ、と疲れたようにフランツはため息を吐き出してギルベルトを見る。
フランツとリヒトにギルベルトは連行され、魔法をかけるためにゼストもそのあとについていく。
そのまま流れるように部屋から出ようとしたマコトの服の裾を、ルティアナは反射的に掴んで引き止めた。
「お嬢様?」
「……あ」
何も考えていなかったのだから、マコトにどうしたと見つめられても答えられない。
「……もう少しついててやれ。何があるかわからないしな」
今日みたいに、と苦笑するフランツに言われてマコトも合点がいく。
ルティアナの流していた涙は演技だったかもしれない。だが、震えていた肩は本物だったのだろう。
「……では、そちらはお願いします」
物理的にギルベルトを取り押さえるとなればマコト以外に太刀打ちできるものはいないが、ゼストがいる限りはギルベルトの拘束は緩まないだろう。
「大丈夫です、任せてください」
――と、ゼストの怒りは依然おさまっていないらしい。頼もしい限りだ。
ぱたん、と静かに扉が閉まると、途端に静かになる。
「……お嬢様」
マコトの服の裾を掴んだルティアナは、床に座り込んだままである。マコトはルティアナに視線を合わせるように、床に腰を下ろした。
「手、震えてますよ」
「……あら?」
マコトがルティアナの手から服の裾を放させると、代わりというようにその手を握りしめる。
ルティアナ自身も、震えていたことに気づいていなかった。
「……我ながら、少し博打すぎたかしら?」
苦笑しながら、ルティアナは自分の手を見下ろした。マコトの手に握り締められているから、余計にわかりやすい。細かな震えは、ルティアナにも止められなかった。
「さすがに俺も寿命が縮みました」
あと数秒マコトの動きが遅かったら。そんなことを想像しては、息が止まりそうになる。
「……ありがとうマコト。助けてくれて」
「俺がお嬢様を守るのは当たり前ですよ」
だが、いくらマコトが潜んでいたとはいえ、ギルベルトの力量であればマコトが取り押さえる前にルティアナを殺すこともできただろう。
『――悪いな。恨まないでくれよ』
あの一言を告げるよりも早く、ルティアナの胸に、あるいは首に、短剣を突き刺すことができただろう。
「彼にも躊躇いがあった、と思っていいのかもしれないわね」
「だとしても許しません」
ほんの一瞬、それで勝敗は決した。ギルベルトを取り押さえてしまえば、ルティアナは自分の思い通りに事を運べる。実際、ルティアナの筋書き通りになった。
ギルベルトがルティアナを殺そうとした事実はかき消され、ギルベルトがルティアナに容易に近づくことはできなくなる――それがルティアナの望む展開だ。
「大人しく口を割ってくれればよかったんだけど」
「……本当に脅されていたかどうかはわからないじゃないですか」
ギルベルトがルティアナを殺そうとしたという事実はあり、教会から彼が脅されていたという証拠はない。
「それに、そこまでする必要があったんですか?」
マコトが未だ前を閉めていないルティアナの胸元から目をそらしつつ問う。かなり目のやり場に困っているマコトの様子に「ああ」とルティアナは肩にかけられたマコトの上着に袖を通してボタンをしめ始めた。
「だって、叫ぶだけじゃ押しが足りないじゃない? こんな姿のわたしが泣いていたら、誰がどう見たって結論はひとつしか生まれないもの」
フランツは正義感の強い人なので、ギルベルトがルティアナを襲ったとあれば無視できないし、ルティアナの味方になるだろう。そしてリヒトは潔癖な性格からして、女性を襲うなんて下劣な行為をしたギルベルトを援護することはありえない。
そして彼らには不本意ながらも一度泣き顔を見られている。『ルティアナも泣くことがある普通の女の子だ』という認識は既に植え付けられているから、効果は増すはずだ。
「まぁ、そのとおりになりましたけど……王子の提案通り、屋敷に戻ってもよかったでしょうに」
ここで旅を抜けてもいい、というフランツの提案と、ゼストの静かな激昂ぶりは予想外だった。
「そんなことしたらわたしとマコトで屋敷に帰るまで何回襲われるかわかったもんじゃないわ」
「守ります」
「根本を断たなきゃ意味ないでしょう?」
きっとマコトならルティアナを守りきれる。けれど屋敷まで逃げ切っても、きっと安堵はできない。
「……根本って、教会に喧嘩売るんですか?」
まさかとは思うが、まさかをやってしまうのがルティアナである。そしてマコトが思ったとおり、ルティアナはにっこりと笑ってもちろん、と頷いた。
「売ってきたのは向こうでしょう。わたしはね、売られた喧嘩は高値で買い取る主義なの」
「……知ってます」
「王都に着けば、『魔物に襲われて公爵令嬢が亡くなった』っていう便利な言い訳は使えなくなるし、人目もあるから暗殺は難しくなるわ。何より陛下のお膝元だしね」
教会も、好き勝手には動けない。
教会は聖女の子孫として慕われるアークライト家の存在が教会の威光を曇らせていると主張したいのだ。
「震え、止まりましたね」
くすり、と笑みを零してマコトが呟いた。
向き合うような形で座りながら、自然と手は握り合っていた。マコトの言うとおり、ルティアナの手はもう震えていない。
「あら、ほんと」
いつもの調子で話していたおかげだろうか、殺されかけた、という恐怖もどこかへ吹き飛んでしまった。
「もう夜更けですから寝てください。傍にいますから」
「……あんなことのあとにすやすや眠れるほど太い神経はしてないわ」
恐怖は薄らいだが、目は冴えている。とても今から眠れるとは思えないし、眠ったとしても悪夢を見そうだ。
「どうせあと何時間かで日が昇るもの。昔みたいに夜通し話でもしてましょ」
毛布だけずるずるとひっぱって、ルティアナはマコトにくっついて一緒に毛布にくるまった。マコトが屋敷に来たばかりの頃、どちらかが眠れない夜にはこうして二人で毛布のなかで夜更かししながら話をした。
「さすがにいろいろまずい気がするんですけど」
「なにが?」
「……いえ、いいです、もう……」
はぁ、とため息を吐きながらもマコトは逃げない。ふふ、とルティアナは満足げに笑った。
「怖い話でもしますか?」
「なんでこのタイミングで怖い話をしなきゃいけないの。そうね、マコトの元の世界の話をして」
またですか、とマコトは苦笑した。
ルティアナが何かマコトに話してとねだるときは、いつだってマコトのいた、生まれた世界の話を求める。
「妹さんとお姉さんがいるんでしょう?」
「そうですよ、どっちとも二つずつ離れてます」
「ふふ、だからマコトは面倒見いいのよねぇ、きっと。三つ編みとか、出会った頃にはもう完璧に編めたもの」
こてん、とルティアナはマコトの肩に頭を乗せながら呟いた。
「妹の髪でやってましたからね」
両親は共働きだったから必然的に姉や妹と一緒にいることが多くて、自由奔放な姉に代わって妹の面倒はわりとみていた。
「お姉さんには勝てなかった」
「そう、ねーちゃんは最強だったんですよ」
小さな王女様でした、とマコトはいつも笑う。
ルティアナを甘やかすときのマコトは、兄の顔をしていて。ルティアナのワガママに振り回されるときのマコトは、弟の顔をしている。
「……かえりたい?」
囁くような小さなルティアナの声が、部屋に響く。ランプの灯りに照らされるルティアナの横顔は、どこか寂しげだった。
「何言っているんですか、俺、もう人生の半分もこっちにいるんですよ?」
十歳でこの世界に放り出されてから十年、この世界で生きている。文化も習慣もすっかり身にしみついた。
帰りたい、なんて。
もう何年も思ったことはない。
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