第38話 ディスプレイ

「アラン先生! これを見てください!」


 ヘンリック君であった。一般学生向けの講義を終えて研究室に戻ってきた私に自信満々に声をかけてきた。彼は年末の勇者降臨祭の時に帰省していなかったので肉を奢ったのだった。その時に話題に出ていたのは勇者の伝記に登場する「遠くに離れた人の姿を写す板」で、魔力の光をもってすれば似たようなことは出来るかもしれないという話をしていたのだ。


「どれどれ。研究の成果が出たか?」

「これは自信作っすよ!」


 魔法陣には数字が重ねて描かれている。ヘンリック君が魔法陣に魔力を通し、フラグ操作をするとそこには数字が浮かび上がった。


「魔力の光を数字の表示に応用したのか。これは分かりやすくていいな」

「魔力の鼓動の平滑化に苦労したんですよー!」


 魔力は生物の心臓から送り出されていると考えられている。手のひらを通じ魔法陣へと魔力を供給するのだが、当然ながら人間の脈に合わせて魔力の波ができる。この波を用いて演算回路などは動いているのだが、逆に表示のために魔力を用いようとするとこの脈動が邪魔であった。


 魔力の波の平滑化に用いられるのは魔石の粉末から作られた魔石顔料である。血から作られる魔導インクで平行に線を引き、その間を魔石顔料で埋める。すると、魔導インクを流れる魔力の鼓動は位相にずれが生じる。これを利用しうまく魔導回路を作ると波を平滑化することができた。平滑化は完璧ではなく、いくらか脈動するが、文字がはっきりと光ってさえいれば読み取る上ではなんら支障がない。


「ああ。なかなか綺麗に出るものだな。これはいいぞ。今まで学生相手に魔法陣の結果の読み解き方を教えていたが、そんなものは必要なくなるな」

「それっす! 今の演算魔法陣をこの表示装置ディスプレイで作り変えたら馬鹿売れ間違いなしですよ!」


 ヘンリック君の俗っぽさにはいささか呆れるが、しかし実際のところビジネスとしては非常に価値のあるものとなるのは間違いないだろう。彼は案外、そういうところに目端が利くのかもしれない。


「また印刷したい魔法陣が増えてしまったな」

「やっぱり、マリエッタ先生に弟子を募集するんすか?」

「そうだな。印刷技師になって彫金とかやるのが好きだという者がいれば良いのだが」

「働き口があるなら、やろうって子はいくらでもいるでしょうに」

「職人としてやれるかどうかはなあ……。相応の修行が必要になるし、モノにならないなら育てる労力が全部無駄になるんだぞ。魔術師見習いだって見込みがあるかも分からないようなのに一か八かで教えるとか無理だろう? それともヘンリック君、君が教えてみるかね?」

「いやー。弟弟子が増えるにしても人は選びたいっすねえ」


 いささかお調子者ではあるが、ヘンリック君も見込みがあると認められてアカデミーにやってきたのだ。学問と無縁な者との隔絶したは彼もなんとなくわかっているだろう。好きで学問をやっている者は、両親に強制されて学問をやらされている者とは雰囲気が違う。魔術師は変人だと言われることがあるが、少なからず常人離れしていないと魔術師なんぞ勤まらないのではないか。私はそう思っていた。


「彫金をやってる職人さんから引き抜いたら怒られるか」

「彫るだけなら発注した方がいいんじゃないですか?」


 確かに原版を彫る人手だけなら仕事として依頼すれば良い。総合的な印刷技師としての人材は必要だが、目先の原版作成については鍛冶ギルドあたりを通してみるとするか。






「アラン、手広くやっているようじゃないか!」


 伯爵の目は愉快そうであった。ここのところ、レンズブルクのアカデミーでは次々と成果があがっていた。学問が趣味の伯爵ではあるが、趣味だけでアカデミーに集う多くの人材に無駄飯を食わせ続けるほどのことはできない。アカデミーの研究がレンズブルクという都市に文化と富をもたらしていることが伯爵の気をよくしていた。


「魔石コア記憶装置メモリの生産は服飾ギルドの協力をとりつけています。魔法陣の印刷に関しては凹版印刷の原版の作成を依頼しようと思っています」

「機密保持は大丈夫かね?」


 うっ。アカデミーは半ば閉鎖空間で誰でも自由に出入りできるわけではない。しかし、職人街の工房なんぞは誰もが出入りができるようなところであった。


「アラン」


 伯爵は声を潜める。


例の件暗号機で間者を炙りだすことができてな。アレ暗号機覿面てきめんに効いたよ。しかしね、うちレンズブルクは連中には随分と好かれているようだ。本当はアレ暗号機も国王に押し付けたかったんだがそこまでは出来なかった。メクレンブルク公爵がある程度引き受けてはくれたがね。レンズブルクはかなりマークされている」


 魔石コア記憶装置メモリは漏れたところで容易に量産して活用できるものでもない。しかし、凹版印刷の原版は持ち出されるとヤバい。最先端の魔法陣の原版となるとその価値は相当なものである、と釘を刺された。原版の彫金の外注はダメか。


「印刷技術の活用がはっきり可能であると分かった以上、人を増やすのを躊躇ためらう理由はない。アラン、募集は事務方に任せておきたまえ。ある程度、素性も洗っておかねばならんしな」

「原版の作成はアカデミー内で秘匿ですか」

「そうなるな。魔法陣はただでさえ価値のあるものなのだ。それを量産できる印刷の原版となればその価値はリブラ大金貨で何枚になる? 印刷技術については君の研究室の魔術師たちにも緘口令かんこうれいを敷いておきたまえ。あまりべらべらとしゃべるものでもない」


 改めて、自分がレンズブルクの重要な機密を扱っているのだ、ということを思い知らされた。レンズブルクで現在発展を続けている魔法陣の技術はレンズブルクの重要な産品となりうるのだ。南方のビーズ細工が秘技として秘匿されるのと同じように、レンズブルクの魔法陣もまた秘技なのだ。


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 ニキシー管でした。あるいは電卓の液晶などに使われている7セグメントディスプレイをイメージしてもらうと良いかと思います。


 魔力の鼓動は交流電流っぽいイメージで書いています。今回の地味なテーマとしては平滑回路なのですが、話題が地味すぎて盛り上がりに欠ける……。工学のウケの悪さってのはそういうところなのでしょうかね。

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