第35話 観測計画

「大丈夫です、アラン先生。ここ過去の観測記録と照らし合わせても正確に再現できていますよ!」

「本当ですか、アンネ先生! これで、ようやく完成か……!」


 天文学のアンネ研究室で暦魔法陣の算出する星の動きが観測データに沿うものか検証を行っていた。これもまた地味な作業である。過去の日食・月食の観測結果と魔法書の示す結果が合致するかを付き合わせていくのである。


 レンズブルクでの観測結果と照合した後は、他の土地での観測結果との照合であった。月食は月に大地の影が落ちたものであるから、その時に月が見える状況にあれば全世界的に見ることができる。月食の記録は過去の暦法と現在の暦法とのズレを検証するための道しるべともなるものだった。


 対して日食は月の影が大地に落ちたものであるから、大地と月の大きさの差もあって観測できる範囲は狭い。特に完全に太陽が隠れる皆既日食は長い歴史の記録を紐解いてもそう多くはないほどの稀有な現象であった。


 日食の予報となると緯度・経度の影響は大きい。今から500年ほど前、ウィザードマンの司祭ビールーニーによる計測によれば大地の半径は3940マイルと計算されている。都市間の測量による距離の差、星の観測によって得られる緯度の差、そして大地の大きさを勘案して日食が予測された。


「南方、おそらくポンティニーあたりは皆既日食になりそうですね」


 日食は珍しい現象である。日が欠ける様は、私は人生で一度だけ見たことがある。木漏れ日が三日月のようになる様はとても不思議な現象だった。欠けるだけでも珍しいが、完全な日食、皆既日食ともなれば、生涯に一度遭遇できれば相当に運が良い。


 日食が皆既日食になるか、あるいは金環日食になるか? 月というのは実は常に同じ大きさなわけではない。月は大地を中心に円を描いている。円は中心からのだ。ゆえに、月は大地に近い時もあれば遠い時もある。近くであれば、見かけの大きさは太陽よりも大きい。そして、遠くであれば太陽よりも小さくなる。月が遠くにあるとき、太陽の真ん前を月が通過すると、ちょうど細い腕輪のように見えることがあるという。これが金環日食である。


 月が描く円の中心のズレは、。このズレの方向は1年に約3度フラフープのように動く。月が一番近くなる周期を近点月といい、月の満ち欠けの周期を朔望月という。223朔望月は239近点月であり、この周期をもって食がほぼ同じように生じる。これをサロス周期という。サロス周期は6585と1/3で、整数にはならないので、3サロス周期、約54年を1周期とするエクセリグモス周期を用いる。これにより、太陽と月の位置がほぼ同じように周期的に繰り返され、食の予報が可能になるのだ。


「この魔法陣の精度は信頼できます。観測しにいかない手はありませんよ!」


 専門家垂涎の出来事だろう。私も専門というわけではないが相応に天文学を齧った身である。興味がないわけがない。とはいえ、無断で遠出するわけにもいくまい。伯爵に話を通しておくか。あの伯爵のことだから自分も行くと言い出しかねないが。





「アラン、よくぞ知らせてくれた! 私も行くぞ!」

 そらみろ。こうだ。

「そうはおっしゃいましても伯爵、政務はどうされるのですか!」

「アンネ君、政務のことには口を出さないでくれたまえ。それをどうにかするのはこっちの仕事だ!」

 これは本気だぞ……


セバスティアン執事、どうにかして都合をつけるぞ! アラン君も同行を許可しよう。君の傑作の成果を確認しに行こうではないか! ふたりとも、観測隊の計画を練っておきたまえ!」


 半年後とはいえ、大事になってきた。しかし、随行許可が出たのは幸運だ。こんな出来事はそうあるものではない。観測隊を出すとなれば、その時その場所その瞬間でしかできないことをことごとく成さねば勿体ない。可能な限りの観測の準備をしておかねばなるまい。




「なあ、アラン先生、どうしたんだ?」

「暦魔法陣に問題でもあったんだろうか?」

「いや、あれはもっと何か楽しそうな苦悩という感じだぞ」


「お前ら、聞こえてるぞ!」

 院生どもめ!


「半年後ぐらいになるが、ポンティニーに行く予定だ。その間は留守にすることになるから気に留めておいてくれ」

「ポンティニー? アラン先生、鍛冶職人に宗旨替えですか?」

 ポンティニーは高炉で有名であった。


「いや、もっと愉快なことが起こりそうでなぁ。日食だ」

「「「日食!?」」」

「日食ってあの、太陽が月に隠れて欠けるという、あの?」

「そうだ。暦魔法陣による計算ではポンティニーあたりが皆既日食となる予定だ。レンズブルクでも部分日食にはなるはずだぞ」


 おおぉ、と感嘆の声があがる。


「私、日食って話に聞いたことしかないですよ」

「俺も」


 アカデミーにいるのは学問を志すような連中だ。日食に興味を惹かれないわけはなかった。とはいえ、天文学をやっていないものを連れて行くわけにもいかず、アラン研究室では観測にいくのは私だけになりそうだな。講座とかはクラウス君助手に頼んでおかねばならないか。まだ先とは言え、忙しくなりそうだ。


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 日食の話でした。史実で言うところのアンティキティラ島の機械を魔法陣で再現するというものですが、アンティキティラ島の機械はサロス周期までをも考慮に入れた精密なものだったようです。

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