第48話 派兵

 レンズブルクの測量隊は予定通り3日間デルメンホルストに滞在した後、ポンティニーに向けて出発した。その5日後、デルメンホルストに飛び込んできた情報は、タンブルのエルフ達によってトロアが包囲・封鎖されたというものだった。


「先日、ジュゴルのエルフ共がタンブルに軍を送った話はこれではないのか?」

「間違いあるまい。しかし、エルフ共め、大それたことを」

「人族の都市を奪ってどうするつもりだ? あやつら、ついに平地で暮らそうと考えだしたのか?」

「まさか! 奴らが都市を占拠したところで、畑を耕せるわけでもあるまい。街を維持できるものか」

「だいたい人族の領民はエルフに占拠されたとしておとなしく従うだろうか」


 今現在のトロアの領主は可もなく、不可もなくといった評判のようだ。よほど領民の人気のない領主ならば、たとえ新領主がエルフだろうと歓迎するかもしれない。しかし、ほどほどの領主であれば、領民がエルフの支配を受け入れるかは疑問であった。


 トロアはポンティニーとの交易の中継点となる。トロアが包囲されたとなれば、ポンティニーとの交易品は当面は入っては来るまい。ポンティニーの交易品と言えばなんといっても鉄であった。


「このままトロアが包囲され続ければデルメンホルストでは鉄が不足してしまう。トロアを解放するための軍を派遣するべきでは」

「援軍の要請は?」

「ありません。都市が包囲されて使節を出せないのでは」

「包囲の知らせはトロアへ向かった行商人が持ち帰った情報のようです。トロアの中とは分断されていそうですね」


 ゴットルプ伯爵は静かに目を閉じ考慮に沈んだ。部屋はしばらく沈黙に包まれる。


「派兵しよう」


 トロアが包囲され続けると流通が滞りデルメンホルストの鉄が不足する。もし、トロアが陥落でもすれば、ポンティニーの鉄はずっと流通しないままになる恐れがある。トロアを包囲しているエルフも、外からの援軍を見れば撤退する可能性は高い。


 レンズブルクのホルシュタイン伯爵やシュヴェリーンのメクレンブルク公爵も鉄の流通路という点ではトロアを解放したいことだろう。しかし、距離的にレンズブルクは遠く、シュヴェリーンはさらに遠い。比較的近い我が領からの派兵が時間的にもコスト的にも優位だ。トロア解放で戦果を挙げておけば、戦費の回収として、かの地へ流れる鉄に関税をかけるぐらいは出来るだろう。うちが鉄の流通を回復させたのだぞ、と。


 そういえば、レンズブルクの測量隊は大丈夫であろうか?


 ジュゴルのエルフがタンブルに援軍を送った情報を得たときから、わが軍は備えてはいた。準備にはそうかかるまい。測量隊は測量をしながら進んでいるから、まだトロアへの道のりの1/3ほどだろう。途中でわが軍が追いつくだろう。ここは保護して引き返すように伝えてやるべきか。






 ホルシュタイン伯爵率いるレンズブルク軍――もとい、皆既日食観測隊はこのときすでにゴットルプ伯爵領近くまで来ていた。領内に入る前に先触れを走らせる。デルメンホルストを経由地として補給を行い、トロアを経由してポンティニーに入る旅程である。


 レンズブルクの使者がデルメンホルストに着いたのは、デルメンホルスト軍が出立した直後であった。すぐ近くまでホルシュタイン伯爵がやってきてることにゴットルプ伯爵は驚く。間が良いのか悪いのか。レンズブルクの使者にトロアの情報を伝え、ホルシュタイン伯爵とデルメンホルストで会談を行いたいと伝令させた。


 先触れが戻り、トロア包囲を聞くと、ホルシュタイン伯爵は馬にまたがる。


「騎兵を何人か供につけよ。すぐさまデルメンホルスに向かうぞ!!」


 徒歩の観測隊と軍、荷馬車を置いてホルシュタイン伯爵はわずかな御供と駆けだす。このあたり、即断即決はさすがホルシュタイン伯爵であった。




「アラン先生、何が起きているんです?」

 天文学者のアンネ先生が不安げに尋ねてくる。


「ポンティニーの手前にトロアという都市があるのですが、そのトロアがエルフに襲撃を受けているらしいのです」

「大変じゃないですか!」

「そうですね。このままだと日程的にポンティニーに辿り着けない……」


 同行のレンズブルク軍は当初の観測隊の編制より大幅に増員されている。軍はそのままトロア解放に向かい、我々観測隊はデルメンホルストで引き返すことになるかもしれないな。


 そのための会談にホルシュタイン伯爵は向かったのだろう。先に出ているはずの測量隊はどうしているだろうか? デルメンホルストで足止めされているのだろうか。それとも先に進んでいるのだろうか。


 月と太陽の位置関係がおなじになる周期としてサロス周期6585と1/3日で約18年がある。しかし、1/3日の端数があるため日食が近い場所で観測されるためには3サロス周期、約54年を待たねばならない。今回の観測機会を逃すと、次のチャンスには生きているかもわからない。観測隊としては多少の無茶をしてでも観測を成功させたいものだが……。






「ゴットルプ伯爵! 状況はどうだ!?」

「ホルシュタイン伯爵。随分と早かったな」

「知らせを受けて本隊を置いて馬で駆けてきた。それよりも状況だ」


 ホルシュタイン伯爵の勢いに周りはみな気圧されしていた。


・レンズブルクの測量隊がデルメンホルストを出発してから5日後、トロア陥落の報が届く

・その2日後、デルメンホルスト軍がトロアに出発

・その更に2日後、ホルシュタイン伯爵がデルメンホルストに到着 ←イマココ


 トロアまでは通常の行軍であれば10日以内に着くだろう。測量隊の行軍速度は半分程度とみられ、おそらく明後日ぐらいにはデルメンホルスト軍と合流していると思われる。


 トロアは包囲・封鎖されている。城壁のある都市であるから、そう簡単には陥落するまい。援軍をみれば包囲しているエルフ軍も不利とみて引くのではないか。


「ふーむ」


 ホルシュタイン伯爵は思案していた。トロアを早期に開放したい。一生に一度のチャンス皆既日食を逃すわけにはいかない。


「我がレンズブルク軍も直ちにトロアに向かう。ここで物資の補給をさせてくれ。それと、用立てて欲しいものがあるのだが」


 早々に参戦を決めると、準備に取り掛かかろうとする。


「まて、ホルシュタイン伯爵。まさか君が陣頭に立つ気ではあるまいな!?」

「何か問題でも? いくさは貴族の仕事でしょう?」


 恐るべき胆力というべきか。観測隊などと酔狂だと思っていたが、その護衛部隊でそのまま戦場に立とうというのか。勇猛果敢とは良く言ったものだ。酔狂な学問好きかと思えば、軍を率いることもこなすというのか。


 デルメンホルストの文官を借りて、軍需品を揃えさせる。本隊が到着したら補給を済ませてすぐさま出立するのだという。ホルシュタイン伯爵の辣腕ぶりにデルメンホルストの面々は恐々としていた。


 勇猛なるホルシュタイン伯爵にさいわいあれ!

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