第49話 ドラゴン

「いくんですか、伯爵……!」

「ああ、行くとも、アラン」


 ホルシュタイン伯爵は是が非でも皆既日食の観測をしたかった。そのためには戦争くらいどうにかしてしまうのがエーリク・ホルシュタインだった。


「エルフ共に一泡吹かせてやるぞ!」

「おおおおぉぉ!!!」


 観測隊の指揮は高かった。観測隊という名のレンズブルク軍はデルメンホルストで補給を済ませると先行する測量隊とデルメンホルストに追いつくべく行軍を開始する。






「気をつけろ。上空にドラゴンがいる」


 デルメンホルストを出て数日経った頃の事であった。護衛長が注意を促す。見上げると上空をぐるぐると回る影があった。


「ドラゴンは集団になっていれば襲ってはこない。皆、はぐれないように注意しろ。単独行動はするな!」


 ドラゴンは人を二人抱えて飛ぶことはできないのだそうだ。ひとりが丸呑みにされたなら、それ以上襲うことはない。ドラゴンから逃げたければ隣の奴より速く走れ、などという。ドラゴンは片翼で10ヤード約9.1m以上の大きな羽をしているが、重さは600ポンド約272kgほどと、見た目よりは随分と軽い。人ひとり分ぐらいがドラゴンが持てる重さの限界なのかもしれない。とはいえ、我々人族にしてみれば突如空から襲い掛かってくるドラゴンは脅威である。


 都市の近くにもときどき出現する。ドラゴンが現れると畑仕事もひとりではできないのだからたまったものではない。隙を見せなければ闇雲に襲ってくる魔物ではないが、1対1で襲われると死を覚悟しなくてはならない。


「そういえばドラゴンの血を使って魔法陣を描くと輝きが違うという話を聞いたことがあるな」

「そうなんですか? アラン先生」


 おそらく与太話の類であろう。どの生き物の血が良いか?といった研究論文も見たことがあるのだが、極端な性能差は見られないとのことだ。


「まあ、高級な魔法陣のことですから、ドラゴンの血を使っている――などと言えば箔が付くと考えた人はいるかもしれませんね。与太話の類ですよ」


 通常1日の行軍は10マイル約16km程だが、今日は13マイル約20.9kmほど進んだようだ。行軍の速さを決めるのは一番遅い部隊である。ここでは輸送部隊の荷車だ。日が暮れる前に野営の準備を始める。天幕を張り、薪を集めて火を起こす。馬は水辺に連れて行き水を飲ませる。


 オートミールと干し肉、ビーツのスープ。食べているうちに日が暮れる。夜になればやることもない。折角だから天体観測をすることとなる。


 日没を基準に月の位置を計測する。太陽が天を動く道を黄道こうどうという訳だが、月が天を動く道は白道はくどうと呼ばれる。白道は黄道より5度ほど傾いている。新月の時、月はちょうど太陽の方向にある。しかし、白道が傾いているためぴったりとは重ならない。故に、普段は日食が起きない。この新月の瞬間からどれだけ経過したかが「月齢」で、その日の月齢を言う場合は正午時点での月齢を指す。これは太陽と月の位置関係で計測することができる。月の位置を測っているのであって、月の満ち欠けの程度を測っているわけではない。


 また、北極星を観測し、緯度を求める。南北方向への移動は北極星を観測することで容易に距離を測ることができる。緯度が1度違えば南北方向に69マイル約111km移動したということになる。レンズブルクとポンティニーでは1度以上違ってくる。緯度の移り変わりを見てポンティニーに近づいていることを実感できた。


「やはり黄道と白道の交点で日食が起きそうですね」


 月を観測しながらアンネ先生がつぶやく。計算での皆既日食の予報と、実際の観測はよく合っていた。今は上弦の月であるが、あと二十日ほど経つと新月の瞬間に日食が起こる。月の満ち欠けがもう一巡すると起こるのだ。


「皆既日食が起こると、そこだけ夜が来たように暗くなるそうです。昼だというのに星が輝いて見えるのだとか。観測しにくい水星もこの時ばかりは簡単に見えるそうですよ」


 それは楽しみだ。水星というのは太陽の近くにあるため観測が難しい。角度にして20度程度しか離れない。日没の直後か、夜明け前にしか観測することができないのだ。太陽の視直径が0.5度程度なので、太陽40個分といったところか。


 魔法陣のディスプレイを備えた天体観測機器は今日も快調であった。惑星の位置観測などを終えると天幕に入って外套がいとうにくるまり眠る。野宿に比べれば風を防げるし、不意の雨でも濡れずに済む。さあ、明日も行軍だ。






 観測隊レンズブルク軍に先行していた測量隊はトロアまであとすこしといったところでデルメンホルスト軍と合流した。トロアが包囲されたとの報が伝えられその進退を迫られていた。


「我々は測量を続けます。トロアが見えたときにまだ包囲されてるようなら引き返しますよ」

「何を言っているんだ!! トロアに近づけばエルフに襲撃されるかもしれないのだぞ!!」

「我々は測量隊ですので」


 そういって測量隊の隊長ゲーアハルトはその場を立つ。残されたデルメンホルスト軍の面々は呆れ果てていた。


「なんなのだ、あいつらは!」

「レンズブルクのアカデミーは変人ぞろいとは聞くが……」

「こうも非常識だとは……。測量だか観測だか、がどうしたというのだ」






「隊長、こんなところで引き返したりしませんよね?」

「もちろんだ。我々はだからな。何においても測量を完遂かんすいさせる」

 測量隊隊長ゲーアハルトは静かに、そして力強く決意を宣言する。測量隊の一同はその決意を受け止め、そして誰一人と異議を唱えるものはいなかった。


 デルメンホルスト軍は測量隊と分かれトロアへと急ぐ。測量隊は着実に測量をしつつ、ゆっくりとトロアへと向かっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る