第19話 暦魔法陣プロジェクト

 古代キティラ共和国で作られたという暦機械の魔法陣による再現プロジェクトが動き出していた。天文学チームは星の動きの計算を監修し、魔術師チームはそれを魔法陣に落とし込む設計を担当する。


 作られる魔法陣は既知のどんな魔法陣よりも巨大なものとなるのは確実と見られていた。そもそも一般的に魔法陣は羊皮紙に描かれ、巻物スクロールの形を取ることが多い。羊皮紙は羊の皮であるわけだから、必然的に大きさの上限は羊の大きさのそれ最大で新聞紙1面程度である。そこで巨大な魔法陣となれば複数の羊皮紙を連結する必要が出てくる。


 先日、暗号機の開発の際に魔導インクを浸した糸で複数のパーツを接合させることに成功していた。なので、これを応用して複数の羊皮紙を本の形にまとめようと思う。綴じ部分に羊皮紙間の配線をするのである。魔法の巻物スクロールから、魔法の本へと進化させようという目論見である。


 今回の魔法陣は前例のないほどの大きさになるだろう。さすがに一人での記述ではどれだけかかるか分からないので、研究室の院生を動員してとりかかるつもりだ。ニコロ先生の実験装置では助手と二人がかりで記述していたが、あれは同じ回路を延々と繰り返すものだった。一人でやっていたら気が滅入ってしまうところだった。規模が大きくなればより大人数でやらねばなるまい。これは過去に例を見ないプロジェクトになると言えよう。


「複数の羊皮紙に分割して描かれた魔法陣は、最終的に本のような形にまとめることになる。このとき、別ページの魔法陣とは魔導インクを浸した糸で連結することになる。そのため、ページ間で糸を通す部分はおおまかに場所を決めてある。ここに配線を通すことになるから魔導回路の配置には気を付けること。また、ページの裏表や天地にも注意してくれ」


 羊皮紙を本に用いる場合、本来は両面に文字を書けるのが利点の一つだが、羊皮紙に描いた魔法陣を重ねて本の形にする場合はそうはいかない。魔法陣を両面に描くと本を綴じたときに魔法陣同士がくっつき意図せぬ回路となって動作不良を起こす。


「別ページに干渉するため、羊皮紙の両面を使った回路設計は使ってはいけない。どうしても回路のブリッジが必要になったら相談してくれ。まずは試作の設計をパピルスに描いて持ってきてくれ。それをたたき台に回路の方針について議論しよう」


 このプロジェクトは前人未踏の大規模魔法陣である。念には念を入れてあたっても慎重すぎるということはあるまい。




「アラン先生、この2進数の日数計算のやり方なのですが……。1年の長さが365日と24/100という話ですが、365は2進数で1 0110 1101になるのは分かるのですが、24/100をどう扱うのですか?」

「これは1 0110 1101の下に1/2を表すフラッグ、1/4を表すフラッグ、1/8を表すフラッグ……という桁を用意して考えるんだ」

「しかしそれでは1/100を表せませんよ?」

「2の倍数分の1で近似を算出していくんだ。2進数で10桁用意すると、10進数でおよそ3桁の精度が出せるから、今回は整数より下は10桁で統一しよう」



「アラン先生、1/2ハーフ, 1/4クォーターの桁を10進数に変換するときはどうしたら良いですか?分数で1/1024単位で出しますか?」

「うーん……。1/1000単位に直せるか?」



「アラン先生、緯度経度の情報はどういう数字にしておけばよいのですか?」

「レンズブルグの緯度は観測値で54.3を使おう。経度は基準があるわけでなし、レンズブルグを0度で基準にしてしまおう。レンズブルグからの相対位置で補正がかけれれば良いだろう」



「回路の長さが違いすぎて魔力の位相がズレすぎてうまく動きません!」



「こちらのページの魔法陣の出力結果が、桁が10桁ズレてるようです。掛け算をした後に桁を誤っている疑いがあります!」



「これ、月の公転方向逆になってませんか?」



「この魔導回路、どうしてもブリッジが必要になるんですが両面使っていいですか?」



「ここの記憶回路フリップフロップ、初期化忘れてます!動いたり動かなかったりします!」



「魔導回路が複雑化して1ページの大きさに収まりきりません!」




 ぐあああああ……!!!

山のように出てくるトラブル。私は文字通り頭を抱えていた。


 院生を手足のように使って作業をさせれば作業が並列化される。魔法陣を描く作業は並列化によって高速化するが、魔法陣の作成というのは当然ながら魔導ゲートの文様を描くだけではない。どういった魔導ゲートの組み合わせにするかを考えることこそ、魔術師の本懐であろう。論理ゲートの記述を院生に任せたことで、考え答えを導き、試して成否を確認するという試行錯誤のプロセスが、まさに濃縮されて大量に私に迫ってきていた。


 解決のための指示出しは基本的に私がやらねばならない。助手のクラウスぐらいならともかく、院生にあまり複雑な魔法陣を任せることはまだできなかった。

クラウス助手君。魔法陣は最終的に本の形にするわけだから、ページの両面を使うことはできない。魔導回路のブリッジなしで組めるならそれが一番なんだが……」

「しかし、ブリッジなしで魔導回路を組むのはやはり無理ですよ!制約が厳しすぎます!ただでさえ難しい魔導回路をブリッジなし制約でやれって無茶ですよ!」

「むむむ……。いっそ2ページを一組にするか……?」

「そんなことするぐらいだったら裏表使って魔法陣書いて、ページとページの間に絶縁入れた方がマシですよ。2ページを重ねてくっつけたら下のページの魔導回路見えなくなって作業やってられないですよ?裏表両面使った魔法陣の方が絶対楽です!」

確かになあ……。助手クラウスの言うことも一理ある。


「アラン先生、ここの魔導回路なんですがブリッジ使っていいですか?」

「エミール、回路のブリッジの話はクラウス君にも同じ相談をされて対応方法を伝えてあるから、クラウス君に話を聞いてみてくれ」

 類似のトラブルを別の院生から相談されることも増えてきた。仕方がないので、夕暮れ刻に定期的にミーティングをひらいて、いま出ている課題と対策について認識を合わせるようにする。


「ブリッジが必要になるケースが増えてきた。当初の方針を転換して羊皮紙の両面を使うことにしよう。隣のページとの絶縁に間に紙でもはさむことにする」

歓喜とブーイングが沸き上がる。一生懸命ブリッジしなくていいように考えてたのに~というブーイング。正直すまんかった。


 ああ、院生達のサポートしているだけで日が暮れていく。自分の魔法陣になかなか手を付けられない。一番難しい日食演算回路は木炭で描いたラフ書きのままであった。


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未曾有の大魔法人プロジェクトのマネジメントに疲弊するアラン先生の回でした。プロジェクトの規模が大きくなるとコミュニケーションコストが爆発的に増えていきます。同じような問題が複数のメンバーから繰り返し報告されたり、軌道修正の認識違いで再調整を繰り返したり……。


この時代、小数点は発明されていませんが、ここでは固定小数で対応する方針としたようです。人類に浮動小数はまだ早い……。


アランの開発チームは日中だけのお仕事です。明かりに乏しい中世の夜にはオイルランプなども使われてはいましたが、日が暮れてからランプの明かりで筆仕事するなどというのはよほどの場合だけだったのではないでしょうか。


ガラスは存在していましたが、非常に高価で、限られた権力者でもなければガラス窓はつけれなかったようです。領主が留守にするときには取り外して倉庫に保管されたなんて話もあるようです。庶民の家では窓は木戸が一般的で、明かり採りに皮を貼った窓などもあったようです。窓ガラスの普及は17世紀初頭に石炭で加熱する溶解窯が発明されるのを待たねばなりません。


ガラス窓のお屋敷とか校舎とかは文明的には近世になるでしょうね。中世だとSkyrimの世界のような建物でしょうか。

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