第22話 弾道学
「アラン君!魔法陣を作ってくれたまえ!」
突然、研究室に飛び込んできた人物は開口一番そう口走った。
「落ち着いてください。ニコロ先生。順を追って説明してください」
このところアラン研究室は落ち着きを取り戻していた。未曽有の大プロジェクトに入れ込んでいた私はペース配分を誤って体調を崩すに至ったが、周囲に支えられて適切なペースを見出せるようになった。並行作業するほどの余力があるかは分からないが、門前払いするほど切羽詰まっているわけではなかった。ニコロ先生がわざわざうちの研究室までやってきたのである。話ぐらいは聞こうじゃないかと思えるぐらいには精神状態は回復していた。
「落体の法則が見いだせたぞ、アラン君! 弾道計算をやって欲しいんだ!」
「このあいだ玉を転がしていたアレですか」
以前、斜面を転がる物体の運動を観察するため、一定時間ごとに移動距離を記録する実験器具を魔法陣で構成したのであった。落下する物体の運動の記録をつけることは困難であるが、斜面を転がる物体であれば速度は随分と遅くなる。そこに魔法陣をもって脈で時間を測りながら正確な位置計測ができる実験器具をしつらえたのだ。ゆったりとした斜面での計測から、急斜面での計測まで、様々なケースでの物体の運動を計測し、そこに法則を見出したというわけである。
「落体の速度は時間に比例している。加速度は一定だったんだ。斜面を転がる場合は正弦を乗じたものになる」
物体が落下するときにどんどんと速度を増していくのはそういう法則だったのか!
「投石機の場合は、横方向の動きは一定だった。縦方向は落体の運動法則に従う。いつか君の言っていた、縦の動きと横の動き、まさにそれだ」
ニコロ先生は早口でまくしたてる。
「同じ投石機で石を投げる場合、計算上、最初の速度は石の重さに反比例する。同じ投石機なら投じる力も角度も同じだから、石の重ささえ測ればどこに落ちるか計算できるはずなんだ!」
興奮気味に語ったニコロ先生だったが、少なからずこの実験に手を貸していた自分にはその内容はおおむね理解できた。ニコロ先生が解き明かしたという落体の法則を用いれば、投石機で飛ばす石の着地点が分かるというのだ。これはとても興味をそそられる
「ニコロ先生、私にやらせてもらえませんか?」
私が躊躇しているさまを見て手を挙げたのは、助手のクラウス君だった。ニコロ先生の実験装置を作るときには私と一緒に1/4インチの間隔の魔法陣を延々と刻んだ彼である。彼ならば確かに概要は把握している。
「アラン先生は今、暦の魔法陣でお忙しい。私もアラン先生の演算魔法陣の技法は一通り学んでいます」
しかし、クラウス君か。やれるだろうか?2進数の小数演算の回路はマスターしている。問題ない。小数の乗算だって除算だってできる。うーむ。やれるんじゃないか?しかし……。なんだかこの面白そうな話を持っていかれるのは悔しい……!
「ニコロ先生とアラン先生に監修に入ってもらえればやれると思うのですが、どうでしょうか」
私の顔色をみてクラウス君は続ける。監修か。監修で入れば面白いところは関われるか。だったらこれは譲ってやってもいいか……?私はなんせ暦を仕上げないといけないからな……。いや、しかししかし……!
「クラウス君といったかね?ぜひ頼む!」
気が付くと、私が逡巡している間にニコロ先生はすでに話を決めていた。はっと顔を挙げると、そこではニコロ先生とクラウス君ががっちりと手を取り合っているところだった。
一日の仕事を終え、アカデミーの食堂で夕食を取る。
「ところでクラウス君、こないだ話題にしていた三角関数の魔法陣の話なんだけがね。バルトロメオ先生が『三角関数表でやってるのと同じ精度が出りゃ十分だ』って言ってたんだよね。三角関数そのものを算出しなくていいのかもしれない」
「バルトロメオ先生ですか。平方根の魔法陣の時には渋られたと聞きましたが。案外話の通じる方なんですねえ。それにしても……。三角関数表そのものを最初から値として持っておくってことですか。随分と割り切ったやり方ですねえ……。でも確かに実用上はそれで十分なのかもしれません。そもそも今手作業で計算するときがそうなのですからね」
「ああ。考えてみれば円周率を定数で持つのと同じと言えば同じだからな。円周率だって円周率自体を求める演算を魔法陣でやらせているわけではないじゃないか。定数として記述してあるに過ぎない。そう割り切ったらそれでよい気がする。しかし三角関数となると1度刻みでも各90個とかだろう?いや45度までで反転して使えばいいのか。じゃぁ45個の正弦・余弦を持つ感じか。それでも多いよなあ」
「実用性を考えたら0.5度刻みの値ぐらい欲しくないですか?」
「羊皮紙に2進数の三角関数表を延々と描く羽目になるぞ」
「そうはいってもそれで実現できるのだから確実な話ですよ。何番目のやつか魔力信号を送ったら、そこの三角関数の値を返すような仕掛けはできますよね?回路が単純化できると良いのですけども」
「魔法陣でデータの検索をするのか」
「実現できれば便利でいいと思いますよ」
クラウス君の意見はなかなか鋭い。弾道魔法陣で目下課題となるのは三角関数であったが、私は以前バルトロメオ先生とのやりとりで得たヒントを彼に伝えていた。そして、弾道魔法陣については彼に任せることにしようと思った。もちろん、実証試験とかにはばっちり参加させてもらうつもりだ。三角関数部分はうまくいけば測量の演算用魔法陣にも流用できる。うまいやり方を実証できると良いな、そう考えていた。
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ニコロ先生の落体の法則が完成したようです。
史実ではガリレオ・ガリレイ(Galileo Galilei 1564年~1642年)が落体の法則を発見しました。作中世界では史実より先行していることになります。魔法陣で計測することが功を奏した、ということにしておきましょう。
現代のコンピュータだと三角関数はテイラー展開で求められるため、0.5度刻みなんて制約もなくいくらでも具体的な近似値計算することができます。しかし、1990年代あたりではそんな計算力がなかったので、事前に三角関数表を作って回転処理の計算を行ったりしていたのでした。また、複素数の掛け算による回転処理であれば四則演算で回転処理が行えるので便利なのですが、複素平面はノルウェーの数学者カスパー・ベッセルによって1797年に出てきたということで、中世では虚数はオーパーツ過ぎるかと思います。
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