第23話 新型記憶装置

 かつての学友リュシアンからの手紙で、魔法陣を流れる魔力が魔石となんらかの相互作用をするという情報を得ていた。魔石は生物の心臓付近にみられる石状の物体で、特に価値のあるものとは見なされていない。使い道がないため骨などとともに投棄されている。環状に加工した魔石の中央に血に浸した棒を通し、左右から交互に魔力を流すと魔力の波の遅延が見られる。こうした現象についてアラン研究室でも興味を持ち研究テーマとした院生がいた。名をジークリットという。


 彼女は研究結果を論文にまとめていたが、曰く、血を浸した糸導線を魔石の環にコイルとぐろ状に巻きつけることで、魔力の鼓動の遅延を起こすことができる。これは、大規模な回路で魔力の位相を調整するために用いることができるだろう。彼女はコイルの巻き数と遅延のタイミングについて細かく実験を繰り返し、ある程度の法則性を見出していた。


 魔石の環は、環を左から右に魔力を通した時と、右から左に魔力を通した時で異なる反応を見せる。流れる魔力の向きが変わった場合にだけ、遅延の仕方が法則を外れる。魔石には目には見えない「何か」が生じているのは疑いようがなかった。


 ある日、彼女が私に言ったことは魔術史に残る転換点となる。

「先生、この魔石、状態を持ってるような挙動するんですけど、まるで記憶回路フリップフロップみたいですよね」

 魔石が記憶素子として使えるのではないかという発見の瞬間であった。


 記憶素子には少なくとも書き込みと、読み取りの2つの配線が必要である。ひとつの魔石の環にふたつの線を通した場合にどうなるか。左から右に魔力を流す。そして右から左に魔力を流すと……。もう一方の導線に魔力の波動が出力されたのであった。

「ジークリット君。魔石は凄い記憶素子になりそうだぞ……」

「でもアラン先生、フリップフロップ式の記憶回路のほうが作るのは簡単じゃありません?」

「いいか、フリップフロップは魔力を供給し続けている間しか情報を持つことはできないんだ。ところがこの魔石はどうだ?最初に左から右に魔力を流してから、次に逆方向から流すまでの間、特に魔力供給などはされていないんだ。どのくらいの時間情報を持ち続けれるのかは詳しく調べてみないと分からないが……。これはとんでもない発明だぞ」


 ジークリット君はどうにも価値が呑み込めていないようだが、この「魔石コアメモリ記憶装置」について研究を深めてもらうように依頼した。




 ホルシュタイン伯爵は王都へとやってきていた。貴族の集まりというのは煌びやかなようでいて深謀遠慮しんぼうえんりょの渦巻く恐ろしい世界である。社交の場で公然と喧嘩を吹っ掛けるような考えなしというのはなかなかいるものではないが、歴史を紐解くと、そうした信じがたい暴挙が行われて戦争に発展するような事例もあることにはあった。だがもちろん、そんなのは余程のことだから歴史に記されるのであって、日常の政治としてはもっと穏当な鞘当てである。


 人の多く集まっている中ではエルフの話題も簡単には出せない。エルフは人族の生活圏に一番近い亜人である。平原と森を分かち合ってきたため、近隣のエルフの勢力と懇意にしている領主も多い。レンズブルクはエルフと特別懇意というわけでもないが、通商を禁じるようなこともなく、それなりの交易がされている。とはいえ、実際に行き来しているのは交易商人ぐらいのもので、多くの市民にとっては近くて遠い隣人であった。


 ポンティニーのエルフ問題というのも、近隣の領主は注目しているが、言ってみればローカル地方いさかいにすぎないのである。どこぞのエルフの領地と、どこぞの人族の領地が戦争をしたとして、それはあくまでエルフと人族の領主同士の問題であって、人族が一丸となってエルフと戦争をするような話ではない。エルフとの全面的な断交などをしようものなら木材の輸入で彼らを頼っている都市などは薪がなくなって困り果てることだろう。


 ポンティニーに関連する領主と会談を行い、対エルフの警戒網を構築する。しかし、エルフが敵であるかについては慎重な情報交換が行われた。





「陛下、こちらが暗号魔法陣にございます」

 国王との会見は秘密裏に行われた。既存の暗号が出現文字の頻度から解かれうるという点、ポンティニーのエルフ問題について話し合いがされる。


「これは見事なものだ。しかし……。」


 ホルシュタイン伯爵の新しい暗号魔法陣は、どこの誰と共有して使うべきものか、非常に繊細センシティブな政治的配慮を必要とした。エルフが密書の運び屋を攫っては暗号解読をしているなどという情報は簡単に公開できない話題であった。


「この暗号機を余から下賜するという案は難しい。今は教皇派との関係が複雑なのだ。我が派閥に暗号機をばら撒いて、教皇派に渡さないというわけにはいくまい。」

 暗号魔法陣は国王陛下に献上されたが、その生産と配布については請け負ってはくれなかった。国王というのは貴族の筆頭ではあるが、強権を持っているわけではない。国王派を優遇するような措置の号令を取ると、微妙なバランス下にある他派との関係に亀裂が入る。


 よって、ホルシュタイン伯爵、ゴットルプ伯爵、メクレンブルク公爵の三領主が中心となり生産を行い、個別に暗号魔法陣をライセンスするあたりに落ち着いた。体裁としてはメクレンブルク公爵家が矢面に立ち、ポンティニー問題に関連する範囲で運用開始ということとなった。国王からは表立っての支援ができないと言われたが、暗号魔法陣自体は好意的に受け入れられた。


「表立って支援することが出来なくてすまぬな。せめて、暗号機については褒賞を出そう。何か欲しいものはあるか?」

 ホルシュタイン伯爵は魔術師アラン・トゥルニエの要望を伝える。国王は予想外の要望に頭を抱え逡巡する。

「陛下、この技術は今後の魔法陣の発展に不可欠なものです。あくまで魔法陣のための利用ですから、教皇派の領分を侵さないことを誓いましょう」

「……よかろう。くれぐれも教皇派を刺激せぬように」


 ホルシュタイン伯爵は大きな手土産を得ることに成功した。


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 磁気コアメモリの話でした。コンピュータの黎明期にあたる1955年から1975年頃に多用された技術で、半導体化される前の時代のメモリを担っていました。スペースシャトルの飛行制御にも使われたようですね。今でもメモリ内容を書き出す「コアダンプ」といった用語に磁気コアメモリ時代の名残があります。


 原理としてはフェライトコアに導線を通して電流を流すことで磁化させます。導線に流す電流がどちら向きかで2つの状態を書き込むことができ、情報の読み取りには書き込み操作を行って磁界の向きが変わると読み取り線に電流が流れるというものでした。読み取りをする際にメモリの内容が破壊されてしまうので、読み取った情報をさらにメモリに書き戻す必要があります。


 ドーナツ状のフェライトコアに導線を通したものをビーズの編み物のように規則正しく並べて作られる時期コアメモリですが、職人の手作業で作られていたようで、職人の仕事の技なのか1bitあたり1000円ほどしたものが、後期には1bitあたり数十円にまで下がったそう。その背景には日本の時期コアメモリ職人がいたとかなんだとか。

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