第46話 観測隊の出発

 ポンティニーで皆既日食が起こるだろうという予報を聞いたホルシュタイン伯爵は是が非でも観測隊に同行すると言っていたわけだが、政情はかなり怪しくなっている。


 もともとポンティニーとその南方のエルフの都市モルヴァンとの間に小競り合いが起きていたわけだが、ポンティニー北東部にあるエルフの都市タンブルに向かって、レンズブルク近郊にあるエルフの都市ジュゴルが派兵したというのだ。ジュゴルとタンブルが戦争をするわけではなさそうであるから、連合軍として何かするのだろうと見られていた。


「地理的に考えると西方のガティネ大森林あたりにジュゴルとタンブルの連合軍で挑むという可能性は?」


「地理的にはあるかもしれませんが、両地域が険悪であるとか諍いが起きているという情報はありません。エルフの政治はよく分からないものですが、そのような侵略があるものなのでしょうか?」


「タンブルのエルフの王は野心が強いという噂はあるが……」


 いずれにしても確信が持てる情報はない。ここのところ新たな暗号機が開発されたおかげで情報が途中で漏洩するようなことはなくなったが、逆にエルフの情報を掴めているわけではない。エルフ達の秘密の手紙を奪取するほどにエルフの都市に間者を潜り込ませることができているわけでもないし、そこまで対エルフの諜報に力を入れているわけでもない。


 そもそも、人族とエルフでは住むに適した土地が違うのだ。人族は森でエルフに敵わないし、エルフも平原で人族には敵わない。ゆえに棲み分けがされてきた。森は木材を産出するから、その権利をめぐって人とエルフが争うことはあったが、軍を出せばそれぞれの地の利があるので易々と奪えるものではない。人族によって支配される森というのは少なく、あったとしても小規模なものだ。棲み分けがされているからこそ、力を入れて諜報をするほどのこともない、と軽んじられていた。直接の競争相手ではないのだ。


 平原での戦闘は人族有利ではあるものの、そもそも平原すべてを人族が掌握しているわけではない。防衛に適した地形は少なく、城壁を作るには多大な労力がかかる。ぽつぽつとある城塞都市と、その周辺の集落で行われる農業・酪農といったものが都市の生活を支えていた。都市から離れた僻地の平原はエルフ達の放牧に用いられることもあった。


 ようするに、広い範囲を占有するほどの軍事力など、誰も持っていない。都市から遠く離れた誰も使っていない平原に、エルフが放牧しに入ってくるのを追っ払うような軍を駐在させるような労力なんぞ割いてられないのである。兵士に食わせる食料だって馬鹿にならないのだ。大々的に土地を収奪するならともかく、多少は多めに見ておけ、こっちも多少は森に入るんだから。それが別種族との距離感であった。





「アラン先生、日食の観測隊はどうなるんでしょうね?」

「うん? ああ、エルフに不穏な動きがあるという話か? 近くでエルフ同士の戦争があったりなんかすると巻き込まれないかが不安ではあるな」

「でも日食だぜ! それも皆既日食! 行かないなんて勿体ない」


 政治・軍事は伯爵様の領分だが、その動揺は研究員にまで伝わってきていた。測量隊はすでに出発してしまっているし、天体観測をする本隊の出発予定日も間近に迫っている。観測機器の準備も進められているし、荷馬車や野営道具の手配なども始まっていた。世紀の瞬間を観測するためである。多少のリスクは負ってでもポンティニーにたどり着いて観測を行いたいものだ。


 観測のチャンスは少ない。観測機器も複数揃え万一に備える。何か所かに分散して観測したいところであるが、分散するとなれば護衛の兵も分散せざるを得ず、場合によっては厳しいかもしれない。最善が無理なら次善を目指したい。せっかくの遠征である。成果はできるだけ欲張りたい。




 観測隊は想像よりも大規模になっていた。政情不安から護衛の軍が肥大化したのだ。300人ほどになるだろうか。すわ戦争か? というほどであった。


「我がレンズブルクの誇るアカデミーは技術の発展に寄与してきた!

この度の観測隊はレンズブルクの文化の発展をさらに推し進めるものとなるだろう!」


 伯爵が声を張り上げてスピーチをする。調査隊も兵隊も聴衆も、歓声を上げて喜んでいた。我らがホルシュタイン伯爵がなにかやってくれるぞ、という期待が熱気となっていた。この行軍のために様々な物資が集められたこともあり、レンズブルク市は好景気に沸いていた。そこに新型の演算魔法陣が売りに出され、金に余裕ができた商人はこぞって買い求めた。レンズブルク市では魔法陣が急速に普及していく。


 景気の良いレンズブルクに行商にきた商人もレンズブルク土産として演算魔法陣を買い求める。レンズブルクの魔法陣は徐々に世界へと波及していくことになる。




「レンズブルクから増援がだされたようです。市内からの情報では300はいるとのこと」

「さらに出してくるか……!」

「名目としては観測隊とのことですが」

「なんなんだ一体! 観測隊だと!? 何を観測するというのだ! 連中はふざけているのか!?」

「先遣隊の方は非常にゆっくりとした行軍で、ようやくデルメンホルストに辿り着いたとのことです」


 ゆっくりとした行軍? いったい何をしようというのだ? タンブルに送ったわが軍はそろそろ到着した頃だろう。時間が稼げているのはありがたいが、さらなる派兵とは。野戦陣地の構築が間に合えば防衛側である我らエルフ連合が優位であろうが、呼応してデルメンホルストも派兵すると戦力的に厳しくなるやもしれぬ。


 主力が抜けたレンズブルクを強襲して背後からつつく? 無理だろう。主力がいないといってもあのレンズブルクの分厚い防壁を突破なんぞできるものか。正面切ってジュゴルはお前らの敵だと宣言してどうする? 我らとて正面切ってレンズブルクとやりあいたいわけではないのだ。






 ポンティニーの北東部、交易都市のトロアは騒然としていた。


 夜のうちに川の上流から10艘あまりの武装船団がやってきて、あっというまにトロアを取り囲んだ。翌朝、トロアの城門は開かれることはなかった。


 雲の厚い暗い夜だったこともあり、見張りは闇夜の包囲作戦に気づくことはなかった。夜明けが近づき空が薄明るくなってようやく異変に気づき、慌てて防衛体制を整えるというありさまである。


 そうこう間に、城門の前には柵が立てられ櫓が組まれ、しっかりとした野戦砦が作られてしまっていた。川から資材を運び込み、電撃的にトロアは包囲・封鎖されたのである。

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