第10話 買い物

 気晴らしに街区へ買い物に出る。ホルシュタイン伯爵領の中心都市レンズブルグは川に面した城塞都市である。中心のレンズブルグ城は数百年の歴史があり、城壁も幾度も拡張がされてきた。


 川に近い小高い丘にレンズブルグ城がそびえたち、脇の小高い場所にはアカデミーと衛兵の宿舎がある。さらに低い場所には街区が広がっており、城に近い旧市街、その外側に増設された第二市街。第二市街の外側には運河を兼ねた堀が作られていたが、そのさらに外に増設された第三市街がある。


 城に近い旧市街は現在では貴族街の様相であり、第二市街が高級市街、第三市街は比較的家賃の安い地域である。これは内側のほうがより安全であることによる。また、工房などは騒音や城壁外からの資材の運搬の都合で外へ外へと移されたため、第三市街に位置している。市場は城壁外からの運搬の都合上、第二市街と第三市街の間の運河の両岸に形成されていた。



 たびたび拡張がされたとはいえ、街区は手狭になってきており、第三市街といえども建物は3階建てのものが増えてきていた。建築家のバルトロメオ先生は次の市街地の計画を練っているのかもしれない。



 職人街の近くの雑貨屋を訪れる。羽ペンの買い出しだ。羽ペンは使っているうちに先が潰れてくるため削り直して使う。何度か削るうちに短くなるので消耗品である。一日中魔法陣を描き続けていると1日の間に数本使いつぶすことすらある。一般的なガチョウの羽のものをグロス買い144本しておこう。


 小刀を研ぐのに使っていた砥石が歪になってきたので下取りに出して新しい砥石を買う。刃物を研ぐ際に砥石も方も削れてくるためデコボコになってしまうのだ。砥石屋では下取りした砥石同士を擦り合わせて削り、面出しして平らな砥石にする。これをまた売るというわけである。


 木工工房に顔を出し、木片を買い付ける。これは重くなるのでアカデミーに配達してもらうように依頼する。鉋で平面にされた板が望ましく、ニスは塗られていないものが良い。ニス塗りの板だと魔導インクをはじいてしまう。



 雑貨の買い出しを終えると飲食街に向かう。アカデミーの食堂で食事は出るのだが基本的に粗食である。せっかく街区にまで来たのだ、たまには旨いものを食べたい。肉だな、肉!


 レンズブルグはホルシュタイン領の中央都市であるから、周辺の農村から食料が集まってくる。肉は塩漬けや干し肉にされて運ばれてくるものも多いが、生きたまま運び込まれるものもあり、屠畜場で牛・豚・羊が肉に加工されている。鶏やガチョウ、ウサギぐらいの小型のものだと料理屋の裏手で締められることも多い。大事なのは、ここレンズブルグでは塩漬けではない新鮮な肉も供給されているという部分だ。


 鶏などは生きたまま運ばれ、必要となった時点で締めることができるためそれほど大きな都市でなくとも、塩漬けではないローストを食べることができる。一方、牛・豚・羊となると肉の量も相当であるため、少人数では腐る前に食べきれるはずもなく、どう加工して保存するかを考えなくてはならない。一般には塩漬けか干し肉なのだが、塩漬け肉のスープや干し肉をもどしたスープというのは絶賛するほど旨いわけではない。


 生肉というのは加工されていない分手間がかかっていないから安いか?というとそうではない。新鮮な肉を都市に供給しようとしたらどうにか生きた状態で連れてきて腐らないように近隣で加工して腐る前に料理しなくてはならない。そのための施設や体制を作るのに非常に手間がかかっているのである。牧場で干し肉に加工して木箱に詰めて運ぶほうがトータルではずっと楽なのだ。


 それでもやはり生肉をローストしたものに比べれば塩漬け肉や干し肉はかなわないと思う。地方ではお祭りの日でもなければなかなか食べられない贅沢である。だから人々は新鮮な肉に安くない金を払うのである。つまり、何が言いたいかというとレンズブルグの料理屋の食事はなかなか旨い。



 今日の夕飯は牛の頭蓋骨が看板の牛骨亭と呼ばれる店にした。第二街区にあるこの店の看板メニューは大きなローストビーフの肉塊である。注文すると切り分けて出してくれる。付け合わせは定番のザワークラウト。飲み物はリンゴ酒アップフェルヴァインを頼みカウンターに座る。店は賑わっているが、この店はやや高級な部類なので粗野な喧騒ではない。


「はい、ローストビーフとリンゴ酒アップフェルヴァインお待ち!」


 店主がにこやかに皿とジョッキにフィンガーボウルをだしてくれる。ローストビーフを頬張るとぴりっとした辛みと良い香りが鼻に抜ける。


「これは……。もしかして胡椒かい?」


「ええ!先日伯爵の船が戻りましたからね。胡椒が出回ってるんですよ!いい香りでしょう?」


 胡椒と言えば空恐ろしい値段だったと思うのだが……。


「以前に比べると随分と安く出回ってますよ。伯爵のキャラック船は大きいですからね。相当な量を運んできたらしいですね。途中の関税もかからないし、陸運の頃とは比べ物にならない値段ですね。うちみたいな店で使えるぐらいなんだから!」


 やはり船となると輸送力は段違いなのだろう。伯爵が船に行った投資は大成功だったと言えるのではないだろうか。


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アランはアカデミーの研究員ですから相応の給金を貰っているようです。やはり肉というのは高価ですから庶民はなかなか口にできなかったようです。このころの城塞都市は近世ほどの人口密度にまでは達しておらず、ひどい悪臭と不衛生とまでではなかったようです。環境悪化の最大要因はやはり人口密度ではないでしょうか。


大航海時代前にもシルクロードなどによる行き来や交易はありました。しかし、陸運では量が運べませんし、関税などで遠方の交易品は随分と高く付いてしまったようです。正倉院にはペルシア製品が収納されていたりしますし、奈良時代にはペルシア人が来日していた記録があります。大航海時代以前の時代でも少数とはいえ広く行き来があったというのは凄いですね。

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