第7話 新作披露
「アラン。これが君の新作か!」
温和なようでいて好奇心にあふれた碧眼。細身ではあるが筋肉質な初老の男性。
わが領主、ホルシュタイン伯爵の目が輝いているようであった。
古来より正方形の斜辺の長さはいくらか?というのは算術家の議題であった。今から2000年もの古代に√2が無理数であることが見出されたというのだから、悠久の歴史を感じずにはいられない。
今回私がお披露目したのは平方根の演算魔法陣だ。天文学者のアンネ先生と建築家のバルトロメオ先生から要望があったもので
さあデモンストレーションだ。
魔法陣の動力部分に左の手のひらを重ねる。体内で作られた魔力は心臓から血を通じて人体の隅々にまで送られる。その魔力は手のひらから魔法陣に伝えられ、魔法陣が鼓動する。
試作の魔法陣は木片に記したものである。数字の入力装置は試作版なので簡素であり手でスイッチを操作する必要がある。
「今回は新たな試みとして数字を2進数で扱っています」
「ふむ?2進数?アラン、それはどういう理由からくるものだ?」
「平方展開の筆算は伯爵もご存じかと思いますが、これを2進数にすることで回路を簡素化することができるのです。これは、以前お話ししていた
今までの回路は桁ごとの計算の回路をそれぞれ記述していた。そのため類似の魔導ゲートを延々と書き連ねる必要があった。当然、魔法陣の大きさも大きく大きくなっていく。魔法陣のサイズがあまり大きくなると、記述する板が大型になって不便になる。羊皮紙の場合は羊の皮であるから1枚の大きさに限界があるわけで、羊の大きさを超える大きさが必要となる魔法陣となると、継ぎはぎにするのか?という別の問題が出てくるのであった。
「今回は試作品ですから、数字を入力する部分は直接2進数でやる必要があります。これは今後、10進数から2進数に変換する魔法陣を加える予定です。まずは分かりやすく2を入力としてみましょう」
2の桁のスイッチを入れる。
「√2は正方形の斜辺の長さとして有名です。分数の近似値としては古くから
1 0101 1001 0100 0100 0101 と魔法陣に出力されていたが、果たしてその場の誰もがその結果が正しいのか即座に断じることができないでいた。
ペンで紙に書き写すと、2進数から10進数への変換計算をする。そしてようやく 1,414,213 の答えを得て安堵する。
「すいません。製品化に際しては出力側ももちろん2進数から10進数への変換魔法陣を加えるつもりですので」
バルトロメオ先生は渋い表情でつぶやく。
「このまますぐに実用することはできませんな」
バルトロメオ先生は南方の出身で、くるくると髪の巻いた彫りの深い渋い風貌だ。職人気質を絵にかいたような雰囲気を纏っていてどうにも話しづらい。ニコロ先生の算術の講義などで顔を合わせてはいるものの、ろくに会話をしたことはなかった。
ああ、失敗したな。デモンストレーションとしては手際が悪かった。せめて出力側の変換魔法陣を作ってからデモすれば良かっただろうか。この魔法陣の本質はなんら変わるものではないが、デモンストレーションの見栄えというものは大事で、同じことを言うにしてもパトロンの反応が悪ければ研究資金が貰えなかったりするのである。
「アラン。素晴らしい成果だ。バルトロメオ、実用化に際しての論点は明確だ。後は2進数と10進数の変換さえできれば良いのだろう?平方展開が即座にできるのだぞ」
どうやら伯爵には評価してもらえたようだ。伯爵のとりなしで、バルトロメオ先生にも頷いて貰え、一安心である。
「2進数と10進数の変換魔法陣はそれほど複雑なものにはならないでしょう。今月中には完成品をお見せすることができると思います」
「私も期待してますよ、アラン先生。まずは天文部に回していただいて、うちで実地テストしてみましょう」
アンネ先生にもフォローしてもらえたようだ。まずまずの成果と言えるだろうか。私は天文部の院生相手に講座を用意しなくてはならないな、などと今後の対応を思い浮かべていた。
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この時代は小数ではなく分数で数字を表していたため作中の表記が面倒くさいことになっています。分数表記に小数点表記のルビを振るなんて使い方をすることになろうとは。また近似値で分数を扱っているようなケースでは近似値が本来の値とどのぐらい近いのかが分かる桁まで記載するようにしています。
しかし、小数点はなくとも古代バビロニアの数学では六十進法の位取り記数法が用いられており小数の概念は古くからあったようです。ヨーロッパでは17世紀頃までエジプト式分数に固執していたため、数学の発展が遅れたという説もあります。こうした数学のための道具が不備である中、さまざまな計算を行っていたわけですから当時の人たちは凄いですよね。
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