第2話 貨幣の計算

 ホルシュタイン伯爵との会食は緊張感のあるものだ。伯爵は単にアカデミーの出資者というだけではない。伯爵自身が学問を趣味としており、アカデミーは伯爵領の学術機関というだけではなく、伯爵の娯楽でもあった。学生に交じって講義を伯爵が傍聴していることがしばしばある。


 無学なパトロンであれば、いいように取り入って金をせしめるような者もでてくるわけだが、伯爵領のアカデミーではそうはいかない。伯爵自身の学識は相当のもので半端なごまかしがきくようなものではないからだ。また学生に交じって講義を受ける伯爵は、同時に学生たちとも交友が深い。学生たちに広まるうわさも伯爵の耳には届くものと考えておかねばならない。


 しかし、それゆえに、不正らしい不正はなく、アカデミー所属の研究員同士で切磋琢磨するような健全な場となっている。私も算術はニコロ氏に学ぶところが多い。分野を跨いだ交流が持てることがこのアカデミーを心地よいものにしていた。それゆえ、伯爵の評判は研究員の中ではとても良い。伯爵の人柄はまた学生を通じて市井しせいの人々にも好意的に広まっていた。



 私の仕事としては魔法陣の研究のほかに一般向けの公開講義がある。院生向けの講義では魔法陣の構築の講義を行っているわけだが、受講者が多いのは一般向けの魔法陣の計算手としての技能を教えてる講義だ。


 この講義には主に貴族や商家の子弟・子女が通っている。実のところ、魔法陣の歴史は浅く、その評価はまだ定まっていない。しかし、そこは伯爵の御威光により魔法陣の推進が行われており、眉唾ながらも新し物好きな者達がひとつ様子を見てみるかというノリでやってきているのだった。もちろん、魔法陣を用いて税務や経理といったことを楽に行えるようになるという触れ込みにある程度の期待を持っているわけであるが。


 ときに、商家においては女系相続が主流であるという。「婿取りの家なら融資するが、息子が当主だったら融資しない」などという話も聞く。曰く、ボンボン息子は家を潰す。できる番頭を婿に取ることが良しとされるのだという。もちろん、商家の令嬢の方も子を産めば良しというものではなく、女当主として相応しい知識・教養が求められた。いかにも商人らしい実利主義ではないか。魔法陣とやらが便利と聞けばどれ試してみようのはこうした実利主義からやってくるのだろう。


 講義のスタイルとしては、冒頭私が座学を行い、その後は助手に任せて演習を行っている。結局のところ、物事を学ぶには地味な反復練習が欠かせないのである。


 こほん。


 講義では舐められてはいけない。私はアカデミーの研究員という立場だ。大きく息を吸って、吐く。よし。


「今日は、前回の演習の誤りが多かった部分を改めて解説しよう。貨幣単位の両替。これは難問だが税務にせよ会計にせよ、これを避けては通れない。君たちお金は好きかね?」


 講義室に笑いが起こる。


「お金が好きならばこのことはよく知っていると思うが、デナリウス銀貨が12枚で1ソリドゥス。ソリドゥス金貨20枚で1リブラである。さて、リブラ大金貨はデナリウス硬貨で何枚か?」


 さすがに商家の子が多いとあって皆すっと手を挙げる。前列の子を指して答えさせる。


「デナリウス硬貨で240枚です」


「そのとおり。これは、お金の好きな君たちにとっては常識だ。1ソリドゥス = 12デナリウスというのは、単純に言えば金1の重さに対して銀12の重さで交換されるということである」


 少なくともここ300年は金銀の交換比率は1:12ということになっている。


「1リブラというのは20ソリドゥスだが、これは高額決済のための単位といえる。1リブラというのは重さの単位でもあり、要するに1リブラの重さの銀から240枚のデナリウス銀貨が作られるということになる。実際には鋳造の手間があるのでデナリウス銀貨はもう少し軽いのだが」


 おどけた表情をしてみせるとまた笑いが漏れだした。よい雰囲気だ。こうした雰囲気はありがたい。生徒はよく講義を聞いてくれている。反応が硬い講義はだめだ。


「ここで演算魔法陣の演算器の使い分けが必要になってくる。演算器に12倍と1/12があるのは、1ソリドゥス = 12デナリウスの計算のための機能だ。同様に20倍と1/20があるのは1リブラ = 20ソリドゥスの計算のための機能である。4倍と1/4があるのは銅貨の計算用。君たちも一生懸命稼いでリブラ - ソリドゥス計算をたくさん行うようになりたまえ」


 1リブラは大金である。デナリウス銀貨といえども、銀貨であるから日用品の売買ではやや大きな買い物でなければ使われない。1デナリウス(銀貨) = 4セステルティウス(銅貨) = 16アス(銅貨) = 64クワダランス(銅貨) となっており、庶民が扱うのは主に銅貨だ。鶏2羽で1デナリウスといったところか。1リブラ=240ソリドゥスであるから、鶏480羽でようやく1リブラである。ぎりぎり1リブラに達したという程度ではリブラ単位で帳簿をつける必要はない。変換が面倒なだけである。100リブラ単位で商いをするようにならないと扱わない機能かもしれない。


 このあたりの貨幣の計算はなかなか大変なのだが、それでも国内通貨だけの話であればまだ簡単な方である。隣国の貨幣となると、貨幣の重量が異なってくるので両替のレート計算がより複雑でややこしいものとなってくるのである。しかしそれは次回以降の講義内容であるから今は黙っておこう。生徒たちは無事に魔法陣の使い方をマスターできるだろうか。


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中世の貨幣単位は古代ローマの貨幣単位に引きずられていました。1リブラ(libra 金貨) = 20ソリドゥス(solidus 金貨) = 240デナリウス(denarius 銀貨) というのがヨーロッパ各地の貨幣に影響を与えています。


フランスでは1リーヴル(livre) = 20スー、ソル(sou, sol) = 240ドゥニエ(denier)、イタリアでは1リラ(lira) = 20ソルド(soldo) = 240デナロ(denaro)、イギリスでは1ポンド(pound) = 20シリング(shilling) = 240ペニー、ペンス(penny, pence)といった具合です。


このややこしい貨幣単位はやはり金と銀との交換比率が影響しているようです。作中でも触れている通り、金1 : 銀12 という重量での交換が 1ソリドゥス = 12デナリウス に影響しているようです。もっとも、貨幣価値などは時代で変化しますし、金貨・銀貨の重さも時代でさまざまな変化を遂げます。銀貨のみが発行されるような時代もあったようですが、会計上は金貨のソリドゥス、デナリウス相当の単位が用いられたりし続けたようです。いろいろとややこしいですね。

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