第30話 魔女の系譜

親愛なるリュシアンへ


 君からの手紙で魔石には秘めた可能性があると強く認識した。私の研究室で追試してみたが君の言う現象は容易に再現した。私のところでは魔導インクに浸した糸を魔力導線として用いている。これを環状の魔石に巻きつけて魔力を流す実験を行った。


 魔力を流す魔力導線とは別の魔力導線を環に通しておくと、魔石に流す魔力を反転させた場合に別の魔力導線に魔力が生じ流れる現象を発見した。これにより魔石がなんらかの状態Xを持つことが推定され、この状態は魔力を流す方向・強さによりプラス・マイナスの値を持つ。この状態Xが反転する際に魔力が生じるようだ。


 我々の研究室ではこの現象を用いて記憶装置を試作した。魔石の状態Xは少なくとも1日が経過しても保持されたままであることは確実だ。既存の記憶回路フリップフロップなどとは違って、魔法陣に魔力を流さなくなっても状態を保持する記憶装置として機能するだろう。


 また、魔石による記憶装置や、記憶回路フリップフロップを活用するにあたって演算を2進数で行うことが効果的である。2進数化による演算で平方根の演算を行える魔法陣の開発に成功した。現在は2進数化しての演算を中心に新たな魔法陣の開発を行っている。


 魔石の研究は我が弟子ジークリットによる功績であることを彼女の名誉のためにもここに記す。





 リュシアンはカロリング王立学校での学友であった。今も学校で研究を続けている。カロリング王立学校は西方のカロリング王国の首都パリシイにある。パリシイというのは古代ロマリアの言語で田舎者という意味らしいが、現代のパリシイは人工20万人を擁し人族随一の都市である。


 西方の魔女と呼ばれる、我が師ケリドウェンもこのパリシイに居を構えている。ケリドウェンは魔法陣の始祖にして、高名な錬金術師であった。錬金術の研究過程で血を伝わる魔力を活用した魔法陣のアイデアに至り、実際に機能するものであることを示してみせたのである。今は一線を退き楽隠居という風情らしいのだが、自宅に研究工房を作って研究は続けているらしい。いかにも魔女という暮らしぶりだそうだ。


 師匠は本業が錬金術師であった。魔導インクの油性化について意見を求めてみるのもよいかもしれないな。そう思いつくとペンを執る。




親愛なるケリドウェン様


 師匠、いかがお過ごしでしょうか。現在、レンズブルクのアカデミーで魔法陣の印刷を行うことができないかという研究に関わっています。魔導インクでの印刷を試してみたのですが、魔導インクと活字合金との相性の悪さから印刷はかすれ、魔力が通るような魔導回路を印刷することはできませんでした。


 一般的な活版印刷では印刷に際して活字合金と馴染みの良い油性インクを用いると聞き及んでいます。油性の魔導インクが作れれば問題は解決するかもしれません。魔導インクを油性化する方法についてアイデアがあればお教えください。





 古代ロマリアではその広大な領土に整備した街道を用いた駅伝が整備されていたという。その時代、郵便は一般人でも容易に利用することができたそうだ。ロマリアという巨大帝国ゆえにその膨大な資金力で駅伝を整備することができたのだろう。


 現代ではそこまで広大な郵便システムは存在しない。しかし、比較的近隣の主要都市間であれば定期的に大型の隊商が行き来しており、それを用いた郵便を用いることができた。これが僻地となると冒険者を雇って届けさせるぐらいしか手がない。南方ではタシス家による郵便事業が拡大中とのことだが、ここ北方のレンズブルクにまでは届いていない。


 いつもの隊商便で手紙を届けることを依頼する。隊商便は大型の隊商によって運ばれるため護衛もしっかりしておりかなり安全である。しかし、隊商のスケジュールで届けられるため運搬はのんびりしたものであった。伯爵らが政務とか軍務で用いるような手紙となると独特の配達ルートがあるようだ。もっとも、そこをエルフに狙われたということのようだが。




 現代ではまだ魔法陣の研究を行っているものはそう多くはない。魔法陣はまだ黎明期にあるといえる。ケリドウェンに師事した者が中心となっており、私もそのネットワークの一員となっている。ときおり研究成果を報告し、意見交換をする。この派閥を世間ではケリドウェン派と呼んでいるようだった。


 現状、カロリング王立学校とレンズブルク領立アカデミーが魔法陣研究の先端である。集団で研究を行っている機関はそれぐらいだろうか。その他となるとケリドウェンに師事し独立したものが数名。外国やエルフなどの亜人となるとわからない。少なくとも噂が聞こえてこないあたり、そう大規模な実用化集団はいないのではないだろうか。


 レンズブルクの演算魔法陣も、輸出するほど売れているわけではない。そもそもの魔法陣が高価なのもあるが、未だその価値は半信半疑なのかもしれない。


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中世~近世ぐらいの数学者などは手紙でやりとりしていたエピソードが出てきますが、現代ほど明け透けに成果を報告したりはしていませんでした。「俺、こんな問題を解く方法見出したけど、お前これ解ける?」みたいなやり取りをしていたようで、現代的なアカデミーの世界とは随分違いますよね。


 そりゃあ失伝して後世に彼は本当に解を得ていたのか?一般解じゃなくて特殊ケースの部分解を得ていただけじゃないか?とか研究されることになるというものです。成果が横取りされたりする心配がある時代だったというのもあるのでしょう。しかし、それがゆえに科学の発展が行ったり来たりと遅々として進まなかったのかな、という気がしますね。


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