第32話 年末の過ごし方
祭りの期間中のアカデミーは閑散としており、帰省できないほどの遠くからきた学生が若干たむろしている程度であった。学生たちも思い思いに羽を伸ばしているようである。年末というのはのんびり過ごすというのが常識である。
自分はどうしているかというと、
しかし、人のいない研究室はこの時期では寒すぎるので、最小限の道具をもって食堂に陣取っていた。食堂はかまどで火をたくことができるので暖かい。アカデミーには暖炉を備えた談話室のようなものはないので、一番温かいのは食堂だった。遠方からきていて帰省できない学生たちも食堂にたむろしている。食堂の主たるコックも祭り期間中の食堂の利用については煩いことは言わなかった。
家を建てるにあたって、暖炉を据え付けるのは大変で、暖炉は高級品であった。金持ちの嗜好品で、煙突の数で税金がかかるような高級品である。アカデミーのような大きな建物ではいくら火を焚いたところで火の周りぐらいしか温められない。館内全体を温めるなど不可能で、暖かいところに皆が寄り添うのは必然であった。
「寒くなってくると指先がうまく動かないですよね……」
印刷技師のマリエッタ先生も彫金道具を手に食堂に陣取っている。活版印刷は魔導インクが活字合金となじまず鮮明な印刷が行えないでいた。インクの研究も行っているが、一朝一夕に結果が出るものでもない。今は別の印刷技法を試してみるという話になっていて、凹版印刷を試みていた。
凹版印刷は挿絵などに用いられる印刷技法で、細かな線を鮮明に出すことができる。金属の板に傷をつけ、その凹み部分にインクを置いて平面部分は拭い去る。これを圧して印刷する。
凸部分にインクをのせないといけない凸版印刷の場合はインクは活字合金に馴染む、粘りのあるものでなくてはならない。一般の印刷は油性インクの採用により解決されたが、魔導インクでは解決策がみつかっていない。
対して凹版印刷は金属板に彫られた溝に残ったインクを用いて印刷するものだから、既存の魔導インクでも印刷がうまくいくのではないかという期待があった。
「うまくいったとして、凹版の原版を作るのは大変ですから、何を刷るかが悩みどころですよね。部品として沢山利用されるものでないと量産する意義が薄いわけで」
しかし、自画自賛だがアラン研究室の今年の成果はなかなかのもので、魔法陣の基礎研究という意味では大きな進展があった。演算魔法陣を印刷で刷ってそれと接続して魔法陣を作るという方法が考えられる。そう考えると候補はいろいろ考えれる。複数の魔法陣を組み合わせて目的の魔法陣の手足とし、真にその魔法陣特有の部分のみを手描きする。そんなシナリオをも可能となるだろう。
「まずは演算だろうなあ。演算回路は何をするにもしょっちゅう描く羽目になる。みないつも
「なるほど、演算ですか。演算と言ってもいろいろありますが」
「とりあえず基礎の加算器でも作ってみるか。うちの熟練の魔術師なら飽きるほど描いただろう、2進数加算魔法陣だ」
紙にさらさらと加算器の魔術回路を描く。とりあえず2進数8桁のものでよいか。幾度となく描いてきた魔法陣だから諳んじて描くことができる。マリエッタ先生は珍しいのか滑るペン先を食い入るように見ている。
「流石ですね、アラン先生。凄い手際です」
近くに陣取っていた
「下手をすると印刷の方が遅いかもしれませんよ……」
「いやいやいや、印刷できれば何個も同時に刷れるでしょう!?」
お手本を手渡すとマリエッタ先生はしげしげと眺めていた。彼女の手元には試し刷り用の1桁の簡単な加算器と見比べていた。
「はあ。1桁でも彫るのが結構な作業なのですけどね……。8桁は大変だなあ……」
「アラン先生の淀みない魔法陣の構築が異常なんですよ。魔術師だって回路を描くのは大変なんですよ」
ヘンリックが苦情を言ってくるがそんなことを言われてもしょうがない。
ふと顔を上げると思った以上にギャラリーができていた。魔術師以外のアカデミーの学生には物珍しかったか。勇者降臨祭で学生に肉を奢って以来、なんだか妙に慕われている。他研究室所属でも魔法陣を使うことはあるかもしれない。魔法陣の啓蒙ぐらいはしておくべきだろうか。
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アラン先生、肉のお兄さん状態ですね。
凹版印刷は15世紀半ばごろに登場したようです。鎧などに施された彫刻に墨でエッジを際立たせたりしたものを、写し取ったことから始まったのだろうと言われます。
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