第25話 徒弟

 アカデミーのアラン研究室に新たな院生がやってきた。


 魔術師は鍛冶職人などの徒弟制度と同じようなシステムとなっている。師匠を見つけて入門するわけだ。いまのところレンズブルクの都市内には独立フリーの魔術師はおらず、アカデミーのアラン研究室が唯一魔法陣を取り扱っている。


 これは、いかにホルシュタイン伯爵領の中心都市であるレンズブルクといえど、魔法陣の需要はその程度であるからだ。計算魔法陣などは税吏の役人や商人御用達ではあるが、年に100枚も売れない。魔法陣は高く10ソリドゥス程度はする。価格としては馬を買うのに近い。もっとも、馬と違ってさらに維持費がかかるというわけではないのだが。


 なぜそれほどの価格になるのかと言えば、本と同じで、魔術師が手書きでひとつずつ作っているからである。一度購入された魔法陣は、数年は使える。魔法陣の文様が擦り切れてしまったりすると動かなくなるが、経年劣化で動かなくなった魔法陣のメンテナンスも魔術師は行っていた。高い買い物であるからして、アフターサポートも重要なのである。


 この魔法陣の筆写というのが見習い魔術師の修行を兼ねた仕事というのが習わしであった。


「アラン先生の魔法陣は独特だからね。演算魔法陣を書き写しながら、魔術ゲートの意味を読み解いていくのが最初の修行だ。もっとも、いきなり本番というわけにはいかないから、最初はパピルスに部分的に写してある程度描ける自信がついたら羊皮紙で本番だ。ちゃんと動くものに仕上げれて、売れたらお小遣いが貰えるぞ」


 魔術師になる、といっても実家が裕福ではない者であれば生活をどうするかは当然の心配であった。徒弟制度において親方は弟子の身柄を預かることになるが、無料飯ただめしを食わせ続けるわけにもいかない。なんらかの仕事をさせて食い扶持くらいは稼がせ、その傍ら技術を教えていくものである。


 羊皮紙は高価なので素人にいきなり羊皮紙で練習させるというわけにはいかなかった。魔術ゲートの文様はなかなか複雑で、素人目にはゲートの種類も見分けがつかない。ある程度慣れてゲートの種類を見間違えたりすることがなくならないことには羊皮紙を使わせるわけにもいかない。当面は練習で羽ペンをすり減らしてもらうことになるだろう。


「演算魔法陣は売れ筋ではあるね。ここのところ技術的な発展もあって新機能が追加されているんだが、追加されるたびに買い替えていく人もいる。中古品でも買う人はいるけどもね。商人の人は1ソリドゥス = 12デナリウスみたいな貨幣計算用の機能が付いたものを好むね。商人向けに売れなくとも伯爵からまとまった数の納入依頼はあるから、目下食い扶持には困らないところだな」


 クラウス助手が動向を説明している。当のクラウスが開発中の三角関数までを組み込んだ魔法陣が完成して販売に漕ぎつけたとなれば、またその魔法陣を筆写する仕事が増えることだろう。とはいえ、高級品は複雑だからこそ高級品なのである。見習いの習作には安物の演算魔法陣があっているだろう。理解が進めばより難しいものにも触れさせてあげたいところだが。



「クラウス君、そういえば弾道計算の魔法陣は進んでいるのかい?」

「ええ。三角関数部分は三角関数表を持たせる方針にしましたし、新しい未解決問題みたいなのはないですからね。順調にいけばひと月とかからないでしょう」

「頼もしいな。完成したら試射とかするのかい?」

「もちろん。ニコロ先生がノリノリでしてね。もちろんアラン先生もお呼びしますよ」


 投石機カタパルトというのは組み立てられたものを運搬するわけではない。戦場にほど近い現地で木材を調達し、現地で組み立てて運用される。要するに運搬が大変なのである。レンズブルクでも軍事訓練として投石機カタパルトを用いているが、これは訓練用なので幾度となく組み立てと分解が繰り返されていた。こうした練習を経て、実戦では現地でスムーズに資材調達し、組み立て、運用するというわけである。


 弾道魔法陣の開発は、半ばニコロ先生の趣味で落体の法則から弾道計算を行いたいという好奇心からのものであったが、実現すれば非常に価値があるものであるというのも分かっていた。運用を想定するならば、弾道魔法陣はあらかじめ作成したものを持っていき、投石機カタパルトを現地で作成しそこに弾道魔法陣を組み込む。個別に飛ばす力を計測するなどして調整してから運用、という流れになるだろう。


 こうした運用に際して専門的な調整が必要な魔法陣というのは扱いが難しい。衛兵達に魔法陣の使い方を教育して、訓練を行う必要があるだろう。こういうケースでは、何かとよくわからないだの、うまく動かないだの、質問が飛んできてサポートする仕事が大変というのが相場なのである。そこはまあ、種担当はクラウス君なのだから、彼に一手に引き受けてもらうとしよう。


「クラウス君、忙しくなりそうだな」

「??どうしたんですアラン先生?」


 開発するばかりに気を取られて、運用のことなど頭にないのだろう。まあ一度苦労してみるといいんじゃないか、と敢えてそこには突っ込まないことにした。


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 中世の時代の本はとても高価だったようです。


 写字生が一日に書く分量は150〜300行程度で、聖書を写すのに年間に1冊~2冊程度という生産能力だったようです。これは逆説的に本1冊に職人1年分の人件費が乗っているわけで、本を買う値段が家を買うほどの値段だったというのも頷けます。


 作中の演算魔法陣は本ほどのページ数はありませんが、ひとつ仕上げるのに1週間はかかるというぐらいのイメージです。年間で言うと50ぐらいの生産ペースでしょうか。年間100枚の魔法陣が売れるとすると、専属でやるとして二人ぐらいの労働力を投じなければなりません。アラン研究室内でもちまわりで分担してやっている感じでしょうか。

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