第15話 解けない暗号機

 暗号魔法陣の試作4号機を作っていた。


 ヒントは古代キティラ共和国の暦機械である。2000年近くの昔に歯車の組み合わせで作られたという暦機械は日食や月食の予報までできる精巧なものであった。機械による計算機とも言える。欠点は歯車の機構を作るのが大変で、コストとして高く付く。それを思えば20年ほど前に西方の魔女ケリドウェンにより魔法陣が開発されると、その制作の容易さに皆が飛びついたのも自然な流れであったろう。


 金属の加工というのはとても大変である。加工性からして高価な青銅を用いることになるだろうか。熱して叩いて板を作る。そこから歯車にするために円形に切り出すわけだが、タガネで叩いて地味に外周に穴を開けて切り離す。それからギザギザの外周をヤスリで削って丸め、そこに今度は作図して歯車の配置を決め、またひとつひとつヤスリで削って歯車の山を作っていく。面倒くさいと思うだろう?実際とっても手間がかかるため、職人に発注するととんでもない値段になる。


 歯車の機構自体は水車や、時計塔に用いられているが、こうした大型のものは木材で作られている。軸受けなどに部分的に鉄を用いて耐久性を高めたりすることもあるが、青銅の歯車となると小型の高級品に限られる。


 古代キティラ共和国の時代2000年ほど前には魔法陣の技術はなかったわけだから非常な手間をかけて青銅の歯車で機械を作ったわけだ。魔法陣で同等の機能性を実現すればコストは劇的に安くなる。家が建つような値段から馬を買うほどの値段になるだろう。激安である庶民には手が出ない


 なので魔法陣を開発するとなれば機械のようなものとは決別して純粋に魔法陣で完結させるものである。というか、歯車は時計職人のような専門家の技術であって複雑な歯車に通じている魔術師なんぞいるのだろうか?いたとすれば相当にレアで多芸な変な人物と言えよう。


 そんな歯車を敢えて使おうと思う。とはいえ、複雑な歯車の組み合わせを設計することなぞ出来ようはずもない。私が使うのはごく簡単なものだ。円盤を回転させるだけの簡単な仕掛け。試作3号は3枚の円盤によって複雑な換字表を作っていた。その換字表を回転させれるようにする。魔法陣と歯車機械の融合。邪道であるが、おそらくこれがもっともシンプルな構成だ。


 回転を魔法陣の回路で表現するのは難しい。接点1と接点2に、接点2を接点3に、とつなぎ替える魔導回路を作るのは大変である。30ある接点にひとつずつ隣とのブリッジを作る必要があり、その全てのブリッジをひとつのスイッチで切替えれるように回路を組む。これでひとつ隣とつなぎ替えることが出来る。これを30段重ねにして、30個のスイッチを操作すれば魔導回路だけで回転を実現できるだろう。30個のブリッジを30段、900個の回路を延々と魔導インクで回路を書かねばならないとてもやってられない




 フードをかぶってレンズブルグ城の馬番の小屋にとやってくる。秘密の地下室で伯爵との密談だ。

「これが試作4号です」

「ということは、課題を解決したということだな!」


 伯爵の目は相変わらずの鋭さであった。


「試作3号をベースに換字表の円盤を回転させる機構を組み込みました」

「回転……?」


 伯爵はその意図を探り当てようとしているようだった。が、密談の場である。会食のときほど悠長にしていられないので伯爵の答えを待たず解説を始める。


「換字表をセットして右側の文字のボタンを押します。そうすると別の文字の部分が光って置き換え文字が出力される。これは試作3号と同じです。そこで回転ボタンを押して換字表全体をひとつ回転させます」

「なるほど……。1文字置き換えるごとに換字表を回転させていくのか!」


 暗号文全体を見た場合に、元の文字と置き換えた文字が1対1の対応付けではなくなる。故に文字の出現頻度による暗号解読を不可能としていた。


「最初は複雑なことをあれこれ考えていたのですが、求められるものはもっと単純なのだと気づきました」

箱型のスクロールではない魔法陣もそうだが、そこに機械的な仕組みを組み込むとは斬新だな。しかし、回転を魔法陣で表現するとなればこの大きさでは済むまい。このぐらいの仕組みであれば生産もしやすかろう」

「生産体制はどうなさるのです?」

「うむ。よそでやることになるだろう。レンズブルグで作るとなると君の身が危ういしな。生産は王国全体で秘匿することになる。幸い、君の設計はパーツが複数ある。特にこの円盤が良い。この生産さえ秘匿すれば暗号が破られることはまずあるまい。なにより円盤の作りが単純なのが良いな」


 レンズブルグが暗号魔法陣の出どころだとすれば、設計者は筆頭魔術師の私と推定されるのが筋というものだろう。そうなると確かに暗号魔法陣の秘密を探る間者に付け狙われることになりかねない。そう考えると伯爵の、いや、王国の配慮はありがたいものだと言えるだろう。


「君の働きには満足している。報酬として給金と研究費を増やしておくが、不自然な豪遊目をつけられることは避け給えよ?研究に必要なものがあれば遠慮なく相談したまえ。出来る限り便宜を図ろう」


 試作機に伯爵は満足してくれたようである。試験運用と生産サンプルとして試作機と同型のものを数セット用意すること、また、生産のための設計図を要求された。それを納めれば、あとは本件のことは忘れて秘密にせよ、とのことであった。


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暗号機の納品でした。この暗号機は多表式換字暗号機の一種で周期換字式と呼ばれるものです。ヴィジュネル暗号という方式を魔法陣で実現したもので、史実で類似の機械としては第二次世界大戦のときにナチス・ドイツが用いていたことで有名なエニグマが挙げられるでしょう。作中のものはエニグマに比べると単純で、復号が面倒だったり、ローターの回転が手動だったりするのですが、利便性と生産のしやすさでこのあたりが落としどころではないでしょうか。


ヴィジュネル暗号は出現頻度による暗号解読に対して強くなりましたが、それでも解読が不可能というわけではありませんでした。チャールズ・バベッジ(Charles Babbage, 1791年12月26日 - 1871年10月18日)によるヴィジュネル暗号解読のエピソードが知られています。


同じ並びの文字列をさがし、その周期から換字表の周期を推定します。周期がわかれば、周期ごとの文字を取り出し、出現頻度を調べることでどの文字が何に相当するかを推定することが出来ます。この手法はカシスキー・テストと言われています。これは周期が短いほど解読しやすくなります。


なお、エニグマは3枚の円盤がまとめて回るのではなく、カウンターのように順繰りに回るため周期は10万字以上にも及び、カシスキー・テストによる解読は困難でした。いずれにせよ、アランの暗号魔法陣は中世末期の文明度からすればオーパーツ的なもので解読は困難だと言えるでしょう。

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