第14話 日食の計算

今日は天文学の講義に顔を出していた。


 暦の計算をする魔法陣の開発も研究テーマのひとつであるため、天文学についてもある程度理解しておく必要があるのだ。魔法陣を描く魔術師というのは、ただ魔法陣を描く技能に優れていれば良いというものではない。魔法陣を用いるのは人であるのだから、人が求めるものについて理解を深める必要がある。


 今日の講義は星の距離についてのものだ。アンネ先生が熱弁を振るう。


「今から1800年ほど前、古代キティラ共和国のアリスタルコスによれば、月の直径は大地の直径の1/3ほどである注)正確には0.27倍で1/4に近い、とのことです。彼は月食の際に月にかかる大地の影の大きさを観測して地球との大きさの比較をしました」


 月というのは丸く輝いているわけだから、大きさがあることは当然なのだが、果たして近いのか遠いのかもよくわからないので大きさが見積もりにくいものである。山にかかる雲に隠れてしまうわけだから、山よりも雲よりも遠くにあることは間違いない。


 北極星を観測することで緯度を求めることができるが、ふたつの町で緯度を求め、そしてそのふたつの町の距離と方角から南北の距離を求めれば、大地の1度あたりどのぐらいの距離であるかがわかる。そこから大地を1周する距離が求められ、円周から直径が求められる。こうして大地の直径が約9200マイルと求められる。ここから月の直径は1/3で3070マイルほどだろう。


 そして、その大きさのものが空のあのぐらいの大きさに見えるということから大地と月との距離を推定することが出来る。


「また、アリスタルコスは太陽の大きさと太陽までの距離についても推定しています。日食から月と太陽の見た目の大きさはほぼ同じであることがわかります。しかし、日食が起こるわけですから、当然ながら月のほうが手前に、太陽が奥にあります。月が半月のとき、大地と月と太陽が、月を直角とした直角三角形を描くと考えました。このとき、太陽の角度を測ることで月と太陽の距離を算出します。太陽の距離は月との距離の20倍、太陽の直径は大地の7倍と見積もりました」


 面白い。随分とスケールの大きな三角形だ。


「この数字はあまり正確ではないのですが、月と太陽の大きさについて推計した初めてのものとなります。私の観測では月の直径は大地の1/4程度であろうと見積もっています。また、太陽の距離は月との距離の300倍注)正確には389倍、太陽の大きさは月の270倍程度注)正確には400倍の見積もりです」


 毎度のことだが古代キティラ共和国の学識には驚かせられる。キティラの遺跡には精巧な石像が出土することがあり、そうした発掘品は高値で取引される。冒険者が一獲千金を狙って遺跡へと向かう話はしばしば聞く。以前、アンネ先生から聞いたキティラの暦の機械についての粘土板が発掘されたのもこうした冒険者達の手によるものだった。


「さて、星についてですが、いずれの星も月の裏に隠れてしまうことが知られており、少なくとも月よりも遠くにあることは間違いありません。太陽よりも遠くかどうかというのは、昼の太陽が眩しすぎるため計測することが困難です。水星、金星については太陽を回っているために太陽付近を行き来していると考えられますから、太陽の前を通過しているのではないかと予想されますが、いまのところ観測できたことはありません」


 アンネ先生は観測の名手として知られている。星の観測は精緻を極めると評判であった。そうしたアンネ先生の観測によるものであるから、少なくとも1800年前の数字よりはよほど正確だろうと思える。




 講義が後、私は天文学者アンネ先生の研究室を訪ねていた。暦の計算魔法陣に関する検討会である。うちの研究室とアンネ先生の研究室から有志を募ったところ院生たちによる研究チームが発足した。今日は初会合でまずは天文学の基礎知識をすりあわせる。


 現在知られているのは1年の長さが365日と24/100365.24日であること、月の周期が29日と53/10029.53日であること。これにより19太陽年 = 19 × 36524 / 100365.24 = 693956 / 1006939.56 と235朔望月 = 235 × 2953 / 10029.53 = 693955 / 1006939.55 でほぼ等しい。これをメトン周期といい、今から2000年ほど昔に古代キティラ共和国のメトンによって記されている。もっともメトンによればこの周期は6940日丁度とされていたから、このあたりの差は2000年の間の精度向上によるものである。


 12ヶ月 × 19年 + 7ヶ月 = 235ヶ月であるから、19年の間に7回の閏月を入れることで季節のズレを解消することが出来る。これが暦の基本的な周期である。これに加え、日の長さと夜の長さが同じになる春分・秋分と、夏至・冬至の日が加われば概ね暦として用いることが出来るだろう。


「古代キティラ共和国で作られた歯車による機械では日食や月食の予報までできたといいます」


 月が空を巡る軌道白道は、太陽が空を巡る軌道黄道に対して5度ほど傾いている。このふたつの円の交点を昇る側を昇交点ドラゴンヘッド、降りる側を降交点ドラゴンテイルという。日食が起きるのはその交点にて太陽と月が交差した場合である。月食は白道と黄道の2箇所の交点のうち、太陽と月が反対側に位置したときに発生する。


 とはいえ、日食が起こる範囲は狭く、離れた都市では日食の欠け方が異なったり、そもそも日食が起こらなかったりするので、おそらく古代の暦機械も大きな都市にあわせて調整されていたと思われる。対して月食は、月に大地の影が落ちればそれはどこからでも見ることが出来る。


 なお、月食は同時に起きているはずであるから、月食が起きる際の月の位置を観測すると経度を推定することが出来る。同じ日に北極星の角度を測るだけで緯度は測れるのに比べ、経度を測ることは難しい。月食の観測は経度を測る数少ない手がかりであった。問題は月食の影はぼんやりとしているため、月食の始まりを正確に判断することが難しい点である。つまり精度が悪い。また月食は頻繁に起こるわけではないのでチャンスは少ない。しかも肝心の日に天候に恵まれなければ観測できない。


 ともかく、暦の魔法陣を作成するためにはこうした天文学の知識を踏まえた上で、これをどのような回路で実現するかを考えなくてはならない。魔術師になるには魔法陣だけ描けばよいというわけではない。万能と専門性が求められる無茶な仕事であった。


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天文回でした。古代の天文学に対する知識は驚くほど進んでいるように思います。望遠鏡もない時代によくもまあ、と感心せざるを得ません。


メトン周期は実際の地球のものを用いています。都合の良い数字をでっち上げるのが困難といいますか、架空世界の異なる数字に対して歴史的にどのような考察がされたのかを考え始めるとやってられなかったというのが実情です。筆者の力不足ですね……。

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