第55話 徒弟

「アラン先生たちはもうじきポンティニーでしょうかね?」

 アラン研究室の助手を務めるクラウスは、不在のアランの代理で研究室をとりまとめていた。


 レンズブルクのアカデミーはやや閑散としていた。天文部のアンネ研究室の半数以上は皆既日食の観測隊として旅立ってしまい留守である。魔法陣のアラン研究室のあるじであるアラン・トゥルニエも観測隊に同行して不在であった。


 また、レンズブルクのアカデミーに隣接する騎士の宿舎も観測隊の護衛で半数ほど不在であり、どうにもがらんとしている。いつもの喧騒がなく、どこかさみしい。


 とはいえ、アラン研究室ではホットな研究課題がいくつかあり、アラン不在でも院生は精力的に研究をおこなっている。しかし、室長代理のクラウスは別種の悩みを抱えていた。




 アラン研究室は三角関数表の印刷に成功したこともあり、本格的な魔法陣の印刷量産化がすすめられていた。計算魔法陣の印刷化も行われ、表示装置の印刷化も行われた。もはや基本的な演算魔法陣は手書きする必要がなくなってきてしまった。


 魔術師の徒弟は、入門後の修行と生活費稼ぎを兼ねて、魔法陣の写経をすることが常であった。しかし、ここにきて売れ筋商品である演算魔法陣は印刷化によって高品質低価格となってしまい、新米魔術師たちが生活費を稼ぐことができなくなってしまったのである。


 アカデミーで預かっている以上は面倒を見なければいけないが、仕事もなしに給金をやるわけにもいかず、さりとて新米魔術師にやれる手頃な仕事がなかなかない。


「試作段階の魔法陣の複製をやらせるにしても、最近はだんだん複雑なものになってきましたしねえ……。危なっかしくてなかなか任せられないんですよね。」


 結局、魔力変換トランスのコイルを巻いたり、魔石コア記憶装置メモリの配線をしたり、印刷した魔法陣の切ったり貼ったりといった雑務をやったりして過ごしている。これでは魔術師なんだか手芸をやっているのだか。


 それほど印刷機の影響は大きなもので、既存の仕事が、コスト構造が、まるっと変わってしまう状況であった。




 アラン研究室を手芸部のようにしているのはジークリット女史の研究している、魔力変換トランスによる長距離通信技術と、魔石コア記憶装置メモリによるところが大きい。どちらも魔導インクを浸した糸を魔力導線として用いる。その糸を張り巡らせる作業が手芸のそれである。


 そんなジークリット女史の下で手芸をやっている駆け出し魔術師がマルグリットだ。彼女は針仕事が得意だということで、魔力導線の引き回しでその器用さを発揮していた。先輩たちに重宝がられて可愛がられているが、それが彼女の魔術師としての技術向上につながっているかは甚だ怪しい。雑務に終始しているのではないか? 室長代理のクラウスとしては気がかりであった。


「え? 現状の不満ですか?」


「ええ。最近は魔法陣を写す仕事が減ってしまって駆け出しのあなた達の食い扶持が稼ぎにくくなっていますからね。修行としましても先達の魔法陣を見て写しながら解釈していくことは効果が高いと思います。そうした修行をあまりさせれていませんし」


「う~ん。でも切って貼って魔法陣が仕上がるんだから今の方が楽でいいじゃないですか」


 は? 近頃の若者はッ!?


「いや、マルグリット君。あなたねえ。切って貼って魔法陣を組むなんてのはここレンズブルクのアカデミーだけでしか通用しない話ですよ。それでは魔術師としてやっていけないでしょう?」


「今、レンズブルクで魔法陣を学んだら外には出れないって噂ですけど?」


 うぐっ。確かに今のレンズブルクは魔術に関しては機密の塊。印刷機についても箝口令を敷いていた。彼女らが国外で独立しようなどとしても許されまい。レンズブルクでレンズブルクのやり方で仕事ができるなら末永く働いてもらうことになるだろう。しかし、彼女らに悲観した様子はまるでなかった。食い扶持があるかもわからない田舎で暮らすよりは、レンズブルクの都市の中核たるアカデミーで生涯を過ごすほうがよほど幸せな人生設計だということなのだろう。


 二の句が継げないクラウス。そして、その様子を見ていた周囲の院生は噂は本当だったんだなと心得る。研究室の魔法陣はどれもこれも重要機密であることはみな理解していた。ならばこそ、誰も取り乱すことはしない。その院生たちの様子を見てクラウスは理解した。いささか幼くて頼りないような院生の彼らはすでに覚悟を決めているのだと。それだけの求心力がいまのアラン研究室にはあった。


§


 その夜、アラン研究室の室長代理であるクラウスは、建築家のバルトロメオとその助手ユルゲンと呑んでいた。


「僕にはもう最近の若者とどう接したら良いのか分かりませんよ」

「クラウスさんも苦労していますねえ。若い丁稚でっちの子なんて、田舎には二度と戻れないぐらいの悲痛な覚悟をもってやってくる子も多いですからね」


 ユルゲンも若い後進に苦労したのだろうか。


「お前たちは景気いいんだから、そう心配することはねえだろ。俺達だって職人を抱えちゃいるが、長年働いてくれた職人の面倒見るぐらいはできてる。それができないようじゃその業界はお終いだな」


 バルトロメオが苦々しい顔でつぶやく。我々がアカデミーで研究に没頭できるのはひとえに暮らしが保証されているからだ。こうして酒場でくだを巻いていられるのもホルシュタイン伯爵のおかげである。伯爵に目をかけてもらえるのは我々がレンズブルクの役に立てているから。昼にマルグリットとやりあった話もつまるところ、マルグリットがレンズブルクの役に立っているのだから良いではないかという話だった。


 しかし、そうは言ってもクラウスには不安があった。魔法陣の歴史は浅い。西方の魔女ケリドウェンが魔法陣の基礎理論を確立してからほんの20年ほどしか経っていない。ようやく魔術師の世界も技法が定まってきたと思った矢先に魔術師アラン・トゥルニエが魔法陣の世界を激変させてしまった。


 ならばこそ、今の印刷された魔法陣を切って貼ってするそんな技術もまたすぐにひっくり返ってしまうのではないか……?


 クラウスはそんな予感を感じていた。


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 最近の若い者は会でした。


 IT業界はここ20年で仕事のやり方が激変したと思いますね。まあIT業界にかぎらず相応に変化があったとは思いますが。スマートフォンという便利なものが普及したのもあって、勤怠の連絡がLINEで行われるようになったとか、現場写真みたいなものもスマホでパシャパシャ撮られるようになっただとか、そういう地味で確実な変化というのがあったと思います。


 仕事のやり方が変わってくると、そこでひとつの産業がつぶれていたりするわけです。今や保存アイコンとしてのみ残っているフロッピーディスク💾のアイコンも無くなった産業と言えるでしょうし、CDという物理的な光学メディアも今や虫の息。ダウンロード販売が主流になりつつあります。本に至っても、物理的な紙の本はどんどんシェアを縮めている。反対に電子書籍がシェアを伸ばしている、といった世界の変貌があります。


 さて、魔導インクで地味に魔法陣を描いていた時代は終焉が近そうです。印刷技術によってCPU相当の演算魔法陣が刷られ、三角関数表がROMとして刷られ、ディスプレイが刷られ、フリップフロップ式の一次メモリも刷られ、その組み合わせでコンピュータのようなものが作られる、そんな時代がやってきそうです。


 その時に魔術師の役割はどのように変わっていくのでしょう? プログラミングの世界も穿孔テープに穴をあけてデータを入力しマシン語を操ってやっていた時代から、プログラミング言語を操る時代へと変貌していきました。作中のIT革命はどのように進んでいくのでしょうか。


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 新作「異世界で名前をhoge');INSERT INTO role (name,role) VALUES ('hoge','god');--にしたら神になれた」を書き始めました。


https://kakuyomu.jp/works/1177354054922060166


 異世界をクラッキング(一般の方々は「ハッキング」という表現の方が馴染みがあるでしょうか)してしまう、IT系の異世界ファンタジーです。こちらもぜひご覧ください。

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