第37話 印刷の価値
いろいろと苦難はあったが、三角関数表を魔法陣化することに成功した。魔法陣を小さくするために工夫を凝らしすぎて失敗した私は、苦渋の決断で複雑にしすぎた魔法陣を破棄し、やり直しすることにした。この失敗は心に刻んで、今後は動作確認も含めて楽ができる方法を模索するようにしたい。
ともあれ、手戻りで時間がかかってしまったものの、作ることはできた。この複製を手伝ってくれたアルミンにはこの複製を作る仕事を依頼する。複製するのも大変ではあるが、いい稼ぎにはなるだろう。
そんなこんなで私が手間取ってる間に
「これは凄いな。寸分たがわず同じ魔法陣が量産できるとなれば、まさに世界が変わるな」
「これ、1日に何枚ぐらい刷ることができるんです?」
「私一人でやるなら50枚ぐらいでしょうか」
「50枚も!? このぐらいの魔法陣なら手描きで1日数枚がやっとですよ!」
印刷の力は凄まじい。原版を作る労力は手描きの魔法陣を1枚作るのに比べれば非常に手間ではあるが、原版が出来てさえしまえば、まさに作り放題というところだろう。
「素晴らしいな。みんな、これから加算器を使いたいときはこの印刷版魔法陣を使ってみてくれ」
「これで8桁加算器は使い放題ですねえ」
「ゆくゆくは演算魔法陣は印刷で一発になるんですか?」
「そうしたいが原版を作るのが大変だからな。
話をしつつ、各々、印刷された演算魔法陣の動作確認を行う。心配されていた印刷のかすれなどによる断線もなく、10枚とも綺麗に動いているようだった。
「しかし、印刷された演算魔法陣と本体の回路をどうやって繋ぎます?
「やってみて分かったが、あれはなかなか大変なんだ。綴じ部分でページ間の配線をするところがなかなか苦労する。よほどの大型魔法陣じゃないとやってられないぞ?」
「いっそ、羊皮紙の真ん中に印刷してもらって、裏に本体の魔法陣を描いて裏表で配線するのはどうでしょう?」
「!! それは良さそうだな!」
やいのやいの。試し刷りを前に皆が使い方を議論していた。
「ひとまず、凹版印刷は成功とみて良さそうだ。当面の目標はより高機能な演算を行える原版を作成することになるだろうか。三角関数表とか印刷できると嬉しいんだがなあ」
「あれは手描きで量産は大変ですからね。測量とかで使うんでしょう? それなりの数は必要になりますよね」
「どんな魔法陣です?」
凹版印刷の成功に気を良くした
「マリエッタ先生、これですよ」
そして見せられた魔法陣は、数百の定数を羅列したなかなかしんどいサイズの魔法陣であった。
「うっ……これは……」
いまのところ、印刷技師のマリエッタの他に凹版の原版を彫れるものはいなかった。これからいろいろな魔法陣の原版を彫ってもらうとなると、印刷技師の増員は喫緊の課題といえよう。志望者がいないか探してもらうとするか。
印刷技師のマリエッタを引き抜くに際して、教会派の貴族たちと交わした約束が書物の印刷をしないというものだった。なぜ教会派貴族が絡んでくるかといえば、現代、印刷技術でつくられる本というのがもっぱら聖書だったからである。書物を刷れないなら印刷技術を活かすことはできないと考えるのは当然のことで、学術好きで知られるエーリク・ホルシュタイン伯爵が、書物を刷らないという条件までつけて印刷技師マリエッタを引き抜いたのは、個人的な好奇心を満たすためのものだろうと思われたのであった。
書物が刷れないなら印刷業など産業として成り立つわけがない。常識で考えればそうであろう。そして、産業として成り立たないのであれば、印刷技師というのは穀潰しであって、穀潰しを増員するというわけにもいかない。しかし、レンズブルクの魔術師集団が印刷技術を「書物」以上の価値ある魔法陣の印刷に用いようというのだから前提が覆る。産業としてのめどが立ったのだから、もはや印刷技師は穀潰しというわけではない。
「マリエッタ先生、これから印刷の需要は確実に増えます。原版を彫る仕事も確実に増える。後進を育てましょう。この演算魔法陣の印刷だけで数人を賄えるほどの稼ぎにはなります」
「そんなにですか……!?」
マリエッタは自分の仕事の価値がまだうまく掴めていなかった。本を作るには多数のページを刷らなければならない。もっとも有名な教会派の聖書は642枚1284ページに及ぶ。活字の組版と凹版印刷の魔法陣の原版では作る手間が異なるとはいえ、1ページあたりの価値で言えば魔法陣のほうが断然高価なのである。本のために何ページも何ページも刷っていたイメージがマリエッタの判断を誤らせていた。
「伯爵に提言してみましょう。マリエッタ研究室が賑やかになると思いますよ」
マリエッタは印刷技師としては優秀であったが、政治的なごたごたで所在ない状況におかれていた。そんな折、レンズブルクへ誘われたのだ。それは印刷技師として再び働ける救いであったが、教会派が書物の印刷をしてはならぬと注文をつけたことを知り、印刷技師としてかろうじて働けるとしても閑職だろうと悲観していた。
そんなマリエッタであったからこそ、いまだアランの言葉がどこか信じられないというような顔をしていた。
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