19.ジェットコースターのように①

 次の日、私は休みだった。


 私何の予定もない休日はやることが決まっている。

 まずは洗濯掃除と家事を一通りやり、その後着替えて外出をする。

 勿論、行き先も決まっている。


「さて、今日は何を読もうかな!」


 家から一番近い図書館にやって来た私は、うずうずしながら館内へと足を進める。

 中に入ると沢山の本棚が目に飛び込んでくる。もうワクワクが止まらない。

 私は競歩選手さながらの早足で文学コーナーに行き、気になるタイトルの物を二、三冊手に取る。

 そのまま読書コーナーに行って、取った本を片っ端から読んでいく。


 小説は本当に面白い。

 自分が経験したことがないことも、感じたことがないことも、小説という物語を通じて知ることが出来る。

 私は小説の世界にどんどんはまっていった。


 小説を読み始めると周りの事が見えなくなるのが私の悪い癖だ。

 だから、隣によく知っている人が座っても全く気がつかなかった。


 三冊目を読み終え、ほぅ……とため息を吐いたところで漸くその存在に気が付き、私は椅子をガタガタッと揺らした。


「て……店長……!?」

「やぁ、城田さん。奇遇だね」


 私は休みの度にここに来ているが、店長と遭遇するのは初めてだった。

 店長の手には分厚い本があった。


 ──店長って小説読むんだ……。活字とか苦手そうなのに、意外……。


「なんか失礼な事考えてなかった?」

「メッソウモナイデス」


 店長エスパーは「本当かなぁ」と言いながらその手に持った分厚い本を閉じた。


「ていうか、店長。何でこんなところにいるんですか? 仕事は……」

「仕事はとうに終わりました。ほら」


 店長の細くて長い指が指す方向を見ると、そこには時計が飾られていた。

 そして、その時計の針は丁度十六時を指していた。


「え、もうこんな時間!?」

「城田さん、どんだけ本に集中してるの。俺が隣に座っても気付かないし」


 驚く私を見て、店長が「くくくっ」と笑う。

 その笑顔に私の胸はきゅうっと締め付けられた。

 おかしな所を見られてしまったが、それでも会えて良かったと思った。

 だって、今日はその笑顔を絶対に見られないと思っていたのに見れたから。


 私は本当に本様様だな、と心の中で本を拝んだ。


「よし、俺はこの本を借りて帰ろうかな」


 店長は手に持ったままの分厚い本の表紙を見た。

 綺麗なカバーが付いているその本は店長の大きな手にしっくり収まっていた。

 私は咄嗟にその本のタイトルを覚えた。


「私もそろそろ帰らないと……また閉館時間になって、司書さんに苦笑いされちゃう」

「いつも苦笑いされてるの?」

「はい。いつもいつも凄いねって」


 それに店長がまた笑い声を上げた。

 今日は店長の笑顔がいっぱい見れるラッキーデーのようだ。


「送って行ってあげようかって言いたいところだけど、ジムの予約しちゃってるから、ごめんね?」

「あ、いえいえ、全然っ!」


 何も悪くないのに謝る店長に、私は手をブンブンと振った。


 ──本当に優しいなぁ……ていうか店長、ジム通ってるんだ。道理で筋肉質な訳……。


 話の流れでうっかり店長の腕の感触を思い出した私は思わず「きゃー!」と叫びそうになった。

 それを寸での所で喉に留め、その代わりに「じゃあっ」と店長に言った。


「うん、またね」


 店長は私に「バイバイ」と手を振って、宣言通り貸出カウンターで本を借りて去っていく。

 私はその背中を眺めた。


 あぁ、やっぱり好きだなぁ……なんて思いながら。


 司書さんの「お客様?大丈夫ですか?」という声は私には届かなかった。


************


 次の日出勤すると、店長が昨日借りていった本を真剣に読んでいた。


 集中しているのか、「おはようございます」と挨拶をしても「うん」としか返ってこなかった。

 少しだけテンションが落ちたが、その気持ちは分かるので私は何も言わずにエプロンを装着し、タイムカードを押した。


 厨房に出ると、そこには既に如月さんがいた。


「しろちゃん、おはよ」


 私が出勤してきたことに気が付いた如月さんが声を掛けてくれる。

 それに私も「おはようございます」と笑顔で返した。


「……ねぇ、今日の店長凄くなかった?」


 如月さんは事務所まで聞こえてしまわないように、小声でそう言った。


「あぁ……本に集中してましたね」

「集中しすぎじゃない?」

「あれの気持ちは分かるので私は何とも言えないですが……」

「挨拶くらい、してほしくない?」


 まぁ……と苦笑いを溢しながら私はポテトサラダのじゃがいもを潰す。

 意外と固くて体重を掛けないと潰れない。


 台が私にとっては高いので一生懸命背伸びをしながら潰していると、

「城田さん」

といつの間にか本を読むのをやめていた店長に声を掛けられた。


「はい」

「それ、代わる。城田さんは外の掃除でもしてきてくれる?」


 しかし、店長の機嫌は最悪だった。

 先程挨拶が適当だったのもどうやら本に集中していたからだけではなさそうだ。


「分かりました」


 返事をしながら如月さんの方をちらっと見ると、如月さんは店長の事を睨んでいた。

 如月さんは常は店長と仲はいいが、こうして店長の機嫌が悪くなると一気にその仲は険悪になる。


 よりにもよって、今日は三谷さんはお休みでこの三人で仕事をしなくてはならないのに、この状況は宜しくない。


 私は先行きが不安になり、小さくため息を吐いた。

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