52.秋花の想い①

 私は走っていた。


 私が躊躇しているうちに、大好きな背中は人に紛れて見えなくなってしまった。

 でも、それでも、店長が歩いていった方向に向かって私は足を進めた。


 アオが、大切な幼馴染みが、私を好きだと言ってくれた人が、背中を押してくれたから。


 何も怖くない。

 きっと、大丈夫だから。



 二階から下のフロアを見下ろすと、正面の入口に向かって歩いている店長の大きな背中が見えた。


 混んでいるエスカレーターは避け、階段を落ちそうになりながらも急いで駆け降りる。

 背の高い店長は遠くからでもよく目立つ。


 その目立つ後ろ姿に向かって、一直線に駆けていく。

 歩いている人が迷惑そうにこちらを見るけれど、そんなのは気にしていられなかった。


 私の目にはもう、店長しか映っていなかった。




 私はずっと、悩んでいた。



 何で店長の事が好きなんだろうって。

 店長の何処が好きなんだろうって。

 

 でも。


「好きな奴の幸せだよ」

「どんなユウさんでもいいんです。ユウさんがユウさんであれば、それでいいんです」

「好きになった理由? うーん、好きなところをあげたらキリがないけど、でもそれは建前、かな」


 私が好きになったのは、店長がお金持ちだからじゃない。店長という地位を好きになった訳じゃないし、ましてや顔がイケメンだからじゃない。


 店長が例え貧乏で、ブサイクで、プータローだったとしても、きっと私は店長……米倉紅夜に、恋をした。

 そして、誰よりも幸せになってほしいと願うだろう。



 だって、米倉紅夜という人が好きだから。



 優しいところも、たまに浮かべる可愛い笑顔も、大食いな所も、ワガママな所も、気分屋な所も、機械音痴な所も全部引っくるめて大好き。


 この気持ちは、どんな石油王が求婚してきても、どんなイケメン俳優が言い寄ってきても、きっと変わらないだろう。



 そう。理由なんて、求めるだけ無駄だったんだ。



 ただ、米倉紅夜を愛してしてる。



 ただ、それだけで、よかったんだ。




「店長……っ!!」


 入口から少し出たところで、私は漸く店長の腕を掴んだ。


 腕を引っ張られた店長は直ぐに止まり、ゆっくりと振り返った。

 私の姿を捉えたその目には、夢の中や、さっきすれ違ったときのような冷たさや、今までのような拒絶の色はなかった。


「城田さん……何で……」


 店長の形のいい唇が私の名前を紡ぐ。

 そんな、何気ないことが何だかとても嬉しくなる。


 ──きっと、大丈夫。


 私は深呼吸をしてから、店長に向かって思いきり頭を下げた。


「ごめんなさい!!」

「…………え?」


 店長がすっとんきょうな声を上げる。

 私はそれに構わず、言葉を続けた。


「私、気付かないうちに店長を怒らせるような事をしてしまったみたいで……」


 頭を下げたまま、私は必死で謝罪の言葉を連ねた。

 店長に謝るチャンスは、今しかないと思ったから。


「謝りますから、どうか嫌いにならないでください!」

「……っ、あー……」


 店長が困惑したような声を出す。

 と、そこで私は思い出した。


 ここは、人が集う、ショッピングモールだということに。

 そして、そんなところでこんな風に謝罪をされても困るであろうと言うことに。


 ──あぁぁぁぁ! またやらかした……!!


 これじゃ、店長により嫌われたって仕方がないだろう。

 情けなさと自己嫌悪で、目に涙が滲む。


 ──折角、アオが勇気をくれたのに、私は……。


「城田さん、頭を上げて」


 だから、店長にそう言われても私は中々顔を上げられなかった。

 店長の冷たい視線が、容易に想像できたから。


 でも、店長の反応は、私にとって意外なものだった。


「城田さん、怒ってないから、顔を上げて」


 店長の手が私の頬に触れる。

 その手と、優しい声にに導かれるように、私は顔を上げた。


 そこには、私が想像していたような冷たい目をしている店長はいなくて。

 ただ、私の大好きな笑顔を浮かべた、米倉紅夜がいた。


 黒くて綺麗な目に私の姿が映っているのを見ると、心臓が暴れて、苦しいけど、でも嫌じゃなかった。

 寧ろ心地よくて、ずっとこのままでいてほしくて。


「……好きです」


 心に収まりきれなくなって、口から溢れ出した想いは留まることを知らなくて。


 私は「好きなんです」と繰り返した。


「好きなんです、店長の事が。だから、嫌いにならないで下さい……っ」


 涙が頬を伝う。

 気持ちと、涙が止まらない。

 これ以上泣き顔を見られたくなくてまた下を向こうとしたけれど、それは店長の手によって阻まれてしまった。


「泣かないで」


 流れる涙を、店長が優しく指先で拭う。

 その温もりに、また涙が溢れそうになって、私は慌てて顔を背けて自分で涙を拭った。


「ごめんなさ……っ」

「謝らなくていいから、こっち向いて」


 多分今、私の顔は、涙でぐちゃぐちゃだろう。


「お願いだから」


 だけど、少し低くて優しくて温かい声に導かれて、私は再び店長を見た。

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