29.恋人じゃなくていいから③
その後、私たちは蟹と車海老と、それと追加で雲丹とステーキも堪能した。
雲丹は生臭くて苦手だったけど、ここの料亭の雲丹はきっと新鮮なんだろう。全然生臭くなくて美味しく食べられた。
やはり出される物によって同じものでも味が全然違うんだな、と思った。
「秋花、お腹いっぱいになった?」
「うん、もうパンパン」
支払いはまたトイレに行っている間にアオが済ませてくれたみたいだ。
いくらになったのか気になるけれど、何だか怖いので聞くのはやめた。
店を出ると夜でももうかなり温かい。
思えばもう7月。暑くて当然だ。
「秋花」
運転をしながらアオが私の名前を呼ぶ。
「何?」
「もう、無視しないでくれよ」
私はアオの方を見た。
前を見据えるアオは珍しく真剣な顔をしていた。
「俺に悪いとか、そんなこと思わなくていいから」
「……」
私はアオを避けていた。
だって、私が好きな人はアオじゃない。
だったら一緒にいてもアオが辛いだけだと思ったから。
それなのに……。
「何で? アオは辛いとか思わないの?」
「そりゃ辛いよ。好きな人が他の人を見てるんだから」
予想とは裏腹に、アオは淡々と自分の本音を話してくれた。
「だったら……」
「でも、それより拒絶される方が辛いんだよ」
気が付けば車は私の家の前に着いていた。
サイドブレーキを引いたアオはしっかりと私の顔を見て言った。
「俺は秋花の事が好きだ。でも、付き合ってくれなんて言わない。ただ……」
アオは一瞬俯き、だけどすぐに笑顔で私を見た。
「ただ、側にいさせてほしい。……恋人じゃなくていい。ただ幼馴染みとして、友達として、側にいさせて欲しい」
「アオ……」
「側で、秋花の事を応援させて。秋花の幸せを見守らせて欲しいんだ」
その言葉に私の涙腺はまた緩む。
「だから、泣くなって。俺は秋花を泣かせたくて言ってる訳じゃないんだから」
「分かってる。分かってる……けど」
「……今日は秋花に、プレゼントがあるんだ」
アオはそう言うと車を降り、後部座席の方へと回った。
私もそれに伴って車を降りた。
アオは何やら少しゴソゴソとした後、何かを持って私の前へとやって来た。
「これ、俺が育てたやつなんだけど」
渡されたのは小さな鉢植えだった。
そこに薄いピンクの、可愛らしい小さな花が咲いている。
その花を私は見たことがあった。
「胡蝶蘭?」
「そう。よく知ってるね」
「前に貰い物だとかなんとかで、店に飾ってあったの。これより大きかったけど」
「あぁ、これはミニ胡蝶蘭なんだよ。普通の胡蝶蘭だと、もし邪魔になるといけないと思って」
「そうなんだ……ありがとう、アオ」
私はその胡蝶蘭をじっと見つめた。
「秋花は相変わらず、花が好きなんだね」
その様子を見ていたアオが言った。
そういえば、私は昔から花が好きで、そこら辺に咲いている花を見つけては眺めていた。
アオはそれを覚えていたようだ。
「うん、好き。癒される」
「それが変わってなくて良かった」
そこで私はひとつの可能性に思い当たった。
「アオ、まさか私が花好きだから……」
「秋花」
しかし私の言葉はアオに制されてしまった。
その顔がほんのり赤いのはきっと、暑さのせいではないのだろう。
「……今度、俺の店においでよ。花、沢山あるから」
「……ん。また今度、遊びに行くね」
「おぅ」
アオは花屋に就職した本当の理由がバレたのが余程恥ずかしいのか、私と目を合わせようとしなかった。
その前に可愛いとか好きだとか言ってるのは恥ずかしくないのにそれは恥ずかしいんだ、と思うと少し面白くて、私は「ふふっ」と笑った。
「……何だよ」
「何にも。今日はありがとね。ご飯美味しかったし、胡蝶蘭貰えて嬉しい」
「また、欲しい花があったらいつでも言って」
「分かった」
結局アオは目を背けたまま車に乗った。
でも最後にはきちんと私の方を見て「じゃあ、またな」と言った。
「うん……またね」
私はもう会うつもりもなかった幼馴染みにそう言った。
それにアオは少しだけ安心したような表情を浮かべてから車を走らせた。
風に揺られた胡蝶蘭のいい香りが私の鼻孔をくすぐった。
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