50.米倉紅夜


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 俺──こと、米倉紅夜は、今まで恋なんてしたことがなかった。


 だから、すぐにこの気持ちが何なのか分からなかった。


 こちらまで笑顔になってしまうような笑顔を見ると、温かい気持ちになる。

 時々浮かべる、寂しそうな瞳に、胸が苦しくなる。


 城田さんを見かける度に、何だかとても嬉しくなる。


 この感情の正体が分からなくて、知りたくて、ネットで調べたり、本を読んだりした。


「花咲く君へ」はそういう意味で、俺にとって大切な作品だった。


 主人公に自己投影をし、考えて考えて、ようやく自分の気持ちの正体に気がついて、そして、城田さんに対してどう接していいのか、わからなくなってしまった。


 それでも、いつも通りに振る舞おうと努めた。


 だけど──……。


 知らない男に向けられる彼女の笑顔を見た瞬間、どす黒い感情が俺を支配した。


 今まで無縁だった恋慕の情と、嫉妬という感情が、ぐちゃぐちゃになって、訳がわからなくなった。

 彼女の事を考えると、恋の苦しさと、訳のわからない苦しさが、胸を締め付けた。

 訳がわからなさすぎて、苦しすぎて、張り裂けそうで、イライラして、思わず辛く当たってしまいそうになる。


 でも、彼女を傷つけたくはない。


 だから俺は、彼女に酷いことを言ってしまう前に、彼女から離れることを決めた。



 そんな時、目の前に奴が現れた。


「明日、秋花の仕事が終わったら、駅の近くにある大型ショッピングモールでデートをします。もし、俺に秋花を取られるのが嫌だったら、来てください。もし、来なかったら……その時は、俺が責任を持って、秋花を幸せにします」


 勝手にしてくくればいいと思った。


 正直、城田さんが誰のものになってもいいと、

 幸せになってくれればいいと、心から思った。



 それなのに、黒い感情は容赦なく邪魔してくる。


「あーもう、何なんだよ俺は」


 俺は布団の中で悶々としていた。

 仕事は、休んだ。今、この状態で城田さんを見たらオカシクなってしまいそうだから。


 そうやって考えないように、会わないようにしているのに、俺はしきりに時計を気にしてしまっている。


 俺は結局、何をどうしたいというだろう。


 今日何百回目見たかわからない時計を見ると、丁度十七時になった所だった。


 ──城田さんの仕事は十五時半まで……ということは今頃、二人はデートしている頃だろうな。


 ……。


 俺は黙って、ベッドを降りた。

 適当に顔を洗い、その辺に放置されていた服に着替えた。


 ──俺は、一体何をしに行くつもりなのだろう。


 自分でも何をしたいのか分からないまま、車のキーを持って家を出た。



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 そのショッピングモールへは、車で十分ほどで着いた。

 休日には混み合っているそこも、平日なだけあって、そこそこ空いていた。


 正面の駐車場に車を停め、この手の店は何でこんなに駐車場と入口が離されているんだろう、なんて思いながら入口に向かった。


 中に入ると、そこには巨大な空間が広がっていた。

 思わず足を止めて上を見ると、ステンドグラスの天井が遠くの方に見えた。


 平日とはいえ、ある程度人もいる。


 ──もしかしたら今から自分がしようとしていることは滅茶苦茶難しい事なんじゃ……。


 ……ていうか、なんで俺はあの二人を探そうとしているんだろう?

 見つけようと思って来たわけじゃないのに。


 ……。

 まぁいいか。


 ──あの二人を見つけたら、答えも自ずと分かるかもしれないし、な。


 そう。見つけるだけでいいのだ。それから邪魔しようとか、どうこうしようなんて気はさらさらない。


 俺は再び、歩き始めた。




 どれ位歩いただろう。


 俺は映画館の近くを歩いていた。

 少し、息が上がる。……俺って、こんなに体力なかったか?

 結構、体力には自信があるのに──……そう思ったけれど、息切れの原因は俺の歩き方に問題があることに気がついた。


 ──は。俺、いつから早歩きしてんの?


 思わず自嘲の笑みを浮かべた。

 何で焦ってんだよ、俺。


 焦る必要なんてないのに。


 そう思って足を止めた、その時だった。


 映画館から出てくる人並みの中に、見慣れた茶髪が見えた。

 小さいせいで人に紛れ、しっかりと顔は見えないのに、俺には確信があった。


 間違いない。


 ──見つけた。


 段々と近付いてくる、小さな影。

 心臓がドクドクと鳴って、煩い。


 偶然を装って、声を掛けようか。

 奴からしたら俺がここにいる事はそういう事・・・・・なのだが、城田さんはそんな事とは知らないだろう。


 だから……。



 そう思ったけれど、やっぱりやめた。


 奴と笑い合う城田さんを見た瞬間、そんな気なんて失せた。

 別に、これは嫉妬したからとか、そういうことではない。


 ただ、奴──……新谷葵と、城田秋花が並ぶその姿が、あまりにもしっくりと来ていて、お似合いすぎて、幸せそうな光景だったからだ。


 ──馬鹿だな。俺。


 同い年で、幼馴染みで、仲の良い新谷の方が、年上で、職場だけの関係で自分勝手な俺より、城田さんにとっていい相手だって事なんて、とうに分かっていたことなのに。


 ただ、俺は。

 多分、きっと、負けるのが嫌だっただけだ。


 新谷は言った。


「俺は、誰よりも、秋花の幸せを願っているんです。その幸せにする相手が俺じゃなかったとしても」と。


 きっと、俺よりも新谷の方が、城田さんの事を何倍も、何十倍も想っていて、そして、何百倍も大人だ。


 子供みたいに嫉妬して、城田さんに辛く当たるような俺よりも、ずっと。


 俺は歩き出した。


 目の前からやってきた城田さんと新谷が、俺の存在に気がつく。

 城田さんが驚いたように立ち止まり、口を開けて何かを呟いた。

 俺はそれを一瞥して──敢えて、無視をした。


 城田さんが見るべき相手は、俺じゃない。

 隣にいる、新谷だから。


 きっと、新谷には俺が城田さんをどう想っているのか分かっただろう。

 いや、元からバレてた訳だけど。


 周りから分かりづらいと言われる俺の気持ちを見破るくらいの鋭い勘をした新谷の事だ。

 この無視の意味も、きっとわかるはずだ。



 俺は、これからも城田さんを無視し続けるだろう。

 それは、嫌いだからじゃない。

 苦しめたいわけでもない。


 ただ──……。


「秋花は、貴方に嫌われたと思って泣くんです。好きな人を苦しめて、楽しいんですか」


 俺に嫌われたと思って、泣いて欲しかった。


 泣いて、泣いて、泣いて──俺の事を嫌いになって欲しかった。


 涙は、新谷に拭いて貰えばいい。


 俺は立ち止まらなかった。


 ただ、前だけを見据えて、振り向かずに、歩き続けた。

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