23.店長①

 その日の夜、私は夢を見た。


「臭いな、こっち来るなよ!」

「あんた、何で生きてんの?」

「死ねよ!ブス!」

「死ーね!死ーね!」


 夢の中の私に投げつけられる、容赦ない言葉の数々。


 ──やめて!


 夢の中の私はそう叫んで耳を塞いだ。

 でも、声は頭の中に直接響いてきて、止まらない。


 ──やめて、やめて、やめて!


 振り払おうとしても振り払えない。

 その声たちは私を容赦なく追い詰めてくる。


 ──大丈夫。これは夢だ。目が覚めれば……。


 自分で自分でそう言い聞かせる。


 でも、

『ちがうよ』

とそれを誰かが否定した。


 私が目を開けてその声の方を見ると、そこにはもう一人、私がいた。


『これは夢じゃない。自分が一番分かっているはずだよ』


 もう一人の私が言う。

 それを私は否定しようとした。


 ──違わない! これは夢! これは、ただの……


『違うでしょ。これは現実。これは──……』


 これは、私の。


 私は耳をより強く塞いだ。でも、夢の中の自分の声は私を追ってきた。


『自分の過去でしょ?』


 ──ち、ちが……っ!


『所詮逃げられないんだよ、過去からは』


 辛い、過去からは。





「いやぁぁぁ!!」


 私は悲鳴と共に勢いよく体を起こした。


「はぁ……はぁ……」


 いつの間にか流した涙が頬を伝う。

 背中にはじっとりと汗を掻いていて、とても不快だった。


『所詮逃げられないんだよ、過去からは』


 そんな声が聞こえてきたような気がして、私は慌てて部屋の中を見回した。

 しかしそこにもう一人の自分がいるはずもなく、ただ殺風景な狭い部屋があるだけだった。


 ──幻聴、か。


 私はベッドから降りて台所に行き、冷蔵庫に入っている水を取り出してグイッと飲んだ。

 冷たい水がぼんやりしていた頭をクリアにしていく。


 ──……嫌な夢見たな……。


 落ち着いたところで時計を見てみると、時刻は三時を回ったところだった。

 まだ起きるのには早すぎるが、汗で服が張り付いて気持ちが悪いのでシャワーを浴びることにした。


 洗面所へ行き、服を脱ぎ捨てて浴室に入ると、ほんの少しだけひんやりした。

 私は熱めのお湯をシャワーで出し、それを頭から浴びる。


 ──そう。さっきのは夢。もう、忘れるべき事。


 自分にそう言い聞かせるけれど、夢の中のもう一人の自分が言ったことが耳にこびりついて取れない。


「逃げられない、か……」


 アオは、私の事が好きだと言った。

 でも私はそれをまだ信じきれずにいた。

 だって、私は今まで生きてきた中で、敵意を向けられた事はあっても、好意というものを向けられたことがない。


『秋花の事を想ってる奴がいるよって事を覚えておいて欲しくて』


「……アオ……」


 アオのその気持ちは、本物なの?

 アオは、本当にこんな私の事が好きなの?

 こんな、こんな……価値もないような人間を?


『俺の好きな奴を心の中ででも侮辱するのは止めてくれよ。怒るぞ』


「……いけない。こんなことを考えてたら、アオに怒られちゃう」


 私はそうひとりでに呟いて、そしてそれに少しだけ驚いた。


 私は、何だかんだ言ってもアオの言葉を、アオの事を信じているようだ。


 ──……もし、アオの気持ちが本当に本物だったとしたら……。


 私は、どうしたいのだろう。


 ──……私は……。


 私が、今一番好きなのは……。





「……たさん、ろたさん……城田さん!!」

「は、はいぃぃ!!」


 私は耳元で聞こえた大きな声に驚いて声をあげた。

 その拍子に引き出しに入れようとしていた割り箸をバララッと落としてしまう。


「ああぁぁ~」


 私は落としてしまった割り箸を慌てて拾う。

 それに店長が「そんなに驚かんでも」とクスクスと笑った。


「何か考え事でもしてたの?」


 店長はそう言いながら割り箸拾いを手伝ってくれた。


「は、はい。すみません」

「城田さんがぼうっとしてるなんて珍しいじゃん。どうしたの?」

「す、すみません。仕事中なのに……」

「いや、それはいいんだけどさ……大丈夫? 悩みがあるなら聞くよ」


 店長は優しくニコッと笑いながらそう言った。

 それに私の胸はきゅんと音を立てた。


 ──機嫌が悪いときもあるけど店長も根は優しいんだよなぁ……。


「すみません。大丈夫です」


 私は店長の笑顔に笑顔で返した。


「そう?ならいいけど……」


 しかし店長は何故か納得しないような表情を浮かべ、私を見た。


「城田さん」

「はい」

「今夜、時間ある?」

「あ、はい。ありますけど……」

「じゃあ、ちょっと付き合ってくれない?」

「え?」


***


 終業後、店長に連れてこられたのはカラオケ店だった。


「城田さん、もしかしてカラオケとか嫌いだった?」

「い、いえ、むしろ好きです……好きです、けど……」


 私は両手を両膝の上で強く握り、震えていた。

 これではカラオケ嫌いだと思われて当然だろう。

 しかし実際、強がりとかではなく、私はカラオケが好きだ。


 だけど……だけど……。


 ──この密室状態は無理いぃぃぃぃ!!


 カラオケと言えば密室状態。

 防犯カメラがあるとはいえ、密室状態。


 しかもここのカラオケ店は優れていて、ドアに鍵が付いている。

 無論、それが今の私にとっては優れているものではなく、ただの緊張感を高める所謂邪魔物なのだが。

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