33.俺にしなよ。①

 気が付いたら、私は机に突っ伏して眠っていた。

 寝ぼけ眼を擦りながら時計を見てみると18時を少し回った所だった。

 その時間を認識するのと同時にお腹がぐぅと鳴る。

 落ち込んでいても、死にたいと思っていてもお腹は空くようだ。


 私は重い身体を立ち上がらせ、台所に向かった。

 落としたままになっていた包丁を拾い、シンクに放り入れる。

 その手で冷蔵庫を開け、食材を探してみたけれどしかし、冷蔵庫の中は見事なまでに空っぽだった。


 何もない、と分かると余計お腹は空く。

 仕方がないので私はコンビニに行くことにした。



 ……それなのに、ここは何処だろう。


 考え事をしながらコンビニを目指して見慣れた町を歩いていたら、何処かで道を間違えてしまったらしい。

 気がつけば周りの景色は見たことがない場所になっていた。


 俯いて歩いていただけに、何処をどういう風に、どれくらい歩いてきたのか分からないので無闇に引き返すのも危険だ。


 ──そうだ、スマホでナビを入れれば……。


 そう思ったけれど、ただコンビニに行くだけのつもりだったのでスマホを持たずに家を出た事を思い出した。


 仕方がないので私はタクシーを探す為に歩き続けることにした。




 どれくらい歩いただろう。



 不意に聞こえてきた「秋花!」という声に、私は漸く足を止めた。


 緩慢な動きでその声の方を見ると、その声の主は目の前までやって来ていた。


「……アオ、何でここに……?」


 そこには「花屋 ことのは」と書かれたエプロンを着けたアオがいた。


「何で、って……ここ、うちの花屋だよ」


 そう言われて横を見ると、確かにそこには花屋さんがあった。

 看板にはアオが着けているエプロンと同じ花屋さんの名前が書かれていた。


「へぇ、ここなんだ」 


 私がそう言うと、アオは何とも言えないような顔をした。


「……ということは、ここに来ようと思って歩いてた訳じゃないのか」

「あ、うん。コンビニに行こうと思ったらうっかり迷子になっちゃって……」


 アオは私の顔を少し見つめたあと、

「そっか。まぁ奇遇だし、良かったら寄ってってよ」と言って花屋さんの中に入っていく。


 ──コンビニにご飯買いに行くだけのつもりだったのに……どうしよう。


 お腹も空いてるし、と思ったところで、先程まで感じていた空腹感が消えていることに気が付いた。

 どうやら、歩き回っている間にどこかに置いてきてしまったみたいだ。


 お腹が空いていなければ家に帰ってもやることがないし、きっと再び落ち込むだけだろう。

 それに偶然とはいえ折角来たのだ。前にアオと「遊びにいく」と約束していたし、それにアオがどんなところで働いているのか少し気になる。


 私は小さく息を吐いてから、アオが開けっぱなしにしていった扉の中に足を踏みいれた。


 花屋さんというだけあって店内には花が所狭しと並べられていて、とてもいい香りが充満していた。


 アオはどこに行ったのだろう、と狭い店内を見回してみると、店の奥の方で厳つい雰囲気の四十前後の男性と話をしていた。


 アオと同じエプロンを着けているので、きっとアオの上司かなんかなんだろうけど……。


「ふ……っ、」


 アオの上司らしき人は端から見れば凄く怖そうな人だけれど、その体が大きすぎる故にエプロンがまるで子供の前掛けみたいになってしまっていた。

 エプロンの花のイラストがそれを余計に際立たせており、その姿に思わず吹き出しそうになってしまいそうになる。

 慌てて口を手で塞いで事なきを得たけれど、あんなの、見るたびに笑ってしまいそうだ。


 ──あのエプロン、大きいサイズとかないのだろうか……。


 もしあるのなら、是非とも変えてほしい……。


「秋花」


 そんな少し(見た目が)面白い強面の人と話終えると、アオはちょいちょいと手招きをした。

 寄っていくと「付いてきて」と言って店の奥に入っていく。

 それに従って付いていこうとすると、強面の人がこちらをじ……っと見ているのに気が付いた。

 まるで品定めされているようだ。 


 ていうか、エプロン、本当に何とかしてほしい。面白すぎる。


「秋花?」

「あ、今行く」


 私は強面の人にペコリと頭を下げ、アオが入っていった部屋に入った。




 そこは事務所なのか、表とは違い閑散としていた。

 転がっているペットボトルを横目にドアを閉めると、

「良かったらこの椅子に座って。あとこれお茶。良かったら」

と部屋の隅に積まれていたパイプ椅子とペットボトルのお茶を持ってきてくれた。


「ありがとう」


 私が笑顔でそう言うと、アオが少し微笑んだ。


「秋花、何かあった?」

「え?」


 アオはパイプ椅子をもうひとつ取り、それに座った。


 そして、もう一度

「何かあったでしょ」と言った。


「なん、で……」

「笑顔が、いつもよりぎこちないから」

「そんなこと……」

「そんなことないわけないと思うけど」


 私の顔をじっと見ながらアオは言った。

 その瞳はまるで、嘘を吐いても無駄だと言っているようだった。


 ──あ、明らかにバレている……。


 自分が隠し事は出来ない性格なのは知っていたけれど、ここまで来ると呆れを通り越して嫌になってくる。


 私は誤魔化すのを諦め、

「……ちょっとね」

と答えた。


「何があったの?」

「……」

「俺に話せないこと?」


 私は詳細を話すかどうか迷った。

 好きな相手が他の男──それも好きな人の話をするなんて、そんな残酷な話ってない。


 それなのに。


「秋花。俺達、幼馴染みだよな?」

「……うん」

「俺は秋花の昔の事もよーく知ってる。泣き虫だった事も、おねしょが中々直らなかった事も……虐められていたことも」

「……」

「それも全部引っくるめて、俺は秋花の事が好きなんだ。それはこの先もきっと変わることはない。例え、秋花にどんな残酷な事をされようが、傷つけられようが、変わらない。だから……俺を傷つけないようになんてしなくていい。俺の前で無理をする必要なんてない」

「アオ……」

「秋花が持っているもの、半分分けてくれないか」

「……っ、」


 私の拳にポタポタと水滴が落ち始めた。


 泣いてはいけない。

 きっと、アオを困らせてしまうから。

 そう分かっているのに、止めようと思っているのに、それは止まることなく私の頬を濡らす。


「アオ……ごめ……っ」

「謝らなくていいから」


 私の頭にアオの温かくて大きい手が降ってきた。

 それに余計涙が溢れる。


「う……っく、」

「……秋花、」

「わ、私……どうしたらいいかわからな、くて……っ」


 話してはいけない。


 そう思っているのに、自分の意思に反して口が勝手に動き出す。

 私はぽつりぽつりと出来事を話した。

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