40.分からないの。⑤

 そして、

「にしても、店長は厄介だよな」

と外を見ながら軽くため息を吐いた。


「何で嫌われたのか分からないから、どうしようもなくて……」

「苦しい?」

「うん」


 私がそう答えると、北川くんは腕を組んで天井を見上げた。

 少しの沈黙が流れる。


「……俺さ」


 不意に、北川くんが口を開いた。


「あんたの事、嫌いなんだわ」

「……へ?」


 突然の言葉に、私は思わず聞き返した。

 聞こえなかったのではなく、耳を疑ったからだ。


「だから、俺、あんたの事が嫌いなんだっつーの。そんな色恋沙汰で悩んで、仕事ミスってんじゃねぇよ。鬱陶しいんだよ」

「は、はぁあ?」


 急な態度の変化に戸惑いながらも、何とか怒りを堪える。


 ──一体、何なのこの子は!?


「人が優しくしてりゃあよ、突然泣きやがって。人目くらい気にしろや。本当に疲れる」

「そ、それは北川くんが……」

「俺のせいにするのか? 自分のせいだろバァカ。そーゆーとこも嫌いなんだよ」


 次々と投げ掛けられる辛辣な言葉に、私はつい好戦的になってしまった。


「何よ! そっちこそ、突然態度変えちゃってさ! 全部嘘だったってこと!?」

「俺は嘘を吐いた覚えもないね。だってそもそも俺、あんたを好きだって言ったか? 言ってないだろ? あんたの被害妄想だよ」

「いい加減にしてよ!」


 思わず机をバンッ!と叩く。

 周りの視線が痛いけれどそんなの気にならなかった。


「そういう感情の起伏が激しいところも嫌い」

「うっさい!」


 もう、気分が悪い。

 会計だけして帰ろうと、伝票を取ろうと手を伸ばした。


 だけど、それは北川くんの手によって阻まれてしまった。


「……で、どうだった?」

「は?」

「俺に嫌いって言われて、どうだったのか、聞いてんの」

「ど、どういうこと?」


 突拍子もない質問に、ハテナの花畑が頭に咲いた。


「だから、俺に嫌いって言われてどう思ったかって事。嫌だったか? 苦しかったか? 悲しかったか?」


 何故かまた、少し優しい北川くんに戻っている。

 訳がわからない。


 けれど、質問の答えは明確だった。


「……別に、腹はたったけど、悲しいとか、苦しいとかは思わなかった」

「じゃあ、もし俺が店長だったら? どう思ったと思う? 俺に対するみたいに、怒ったか?」


 漸く、北川くんの質問の意味が何となく分かってきたような気がして、浮かせた腰を椅子に戻して、質問に答えた。


「……多分、泣いたと思う」

「じゃあ、幼馴染みだったら?」

「……」


 もしも、北川くんがアオで、アオにあんな暴言を吐かれたのだとしたら。

 きっと、私は少なからず傷つくだろう。


 それでも、多分泣きはしない。


 傷つくのは、アオがそんな人じゃないと思っているからだ。嫌われた事に対して何かを思って泣くかと言われれば、その答えは──北川くんに対する答えと同じ、ノーだ。


「嫌われた事に対して傷ついて、苦しんで、泣くってことのは、その人に嫌われなくないって思ってるからじゃねぇのか?」

「……」

「その嫌われたくない理由しっかりと見つめれば、自ずとあんたの求めてる答えは出るだろうよ」


 ──私は。


 私は、店長に嫌われたと思って、凄く苦しくて、悲しくて、辛くて。


 泣いて、泣いて、泣いて、死んでしまおうかと思うくらい、苦しかった。


 もしこれが北川くんだったら、アオだったら、如月さんだったら、三谷さんだったら、堀田さんだったら、西村くんだったら。


 自己嫌悪には陥ったとしても、きっと、ここまで傷付かなかっただろう。


 それなのに、こんなに苦しいのは──……。


「あと、あんたは幼馴染みの事を考えすぎだ」

「アオのことを……?」

「そうだ」


 北川くんはパクパクとショートケーキを口に頬張りながら、続けた。


「そいつの事は考えるな。フッたら悪いとか思わなくていい。同情なんかいらねぇ。きっとそいつもそんなこと望んでねぇよ」


 最後に取っておいた苺を食べ、珈琲を飲み干した北川くんは、私の目を真っ直ぐ見た。


「それとも、その幼馴染みとかいう男はそういうことを望むようなやつなのか?」

「……アオは、そんな人じゃない」

「だろ? それより、あんたは自分の心に素直になれ。幼馴染みの気持ちがどうとか、店長の態度がどうかなんつーくだらねぇもんは一旦忘れて考えて、そんときに胸のなかに残ってる気持ちが、答えだ」

「……」


 北川くんが私の胸を指差す。

 まるで、自分の心の中を見透かされているようで、少し居心地が悪い。けれど、何故か嫌ではなかった。

 だって、きっと、北川くんはきちんと私の答えがわかっているから。


「なぁ、男の幸せって知ってるか?」


 私は黙って首を横に振った。

 それに北川くんは少しだけ笑い、言った。


「好きな女が幸せでいる事だよ。もし幼馴染みっつー奴がフラれたからって逆恨みしてきやがるようなヤツなら、そいつは男じゃねぇ。俺がぶん殴って、そいつの根性叩き直してやるよ」


 そう言いながら得意気に拳を作って笑う北川くんは、誰よりも頼りがいがあるように見えて。


「ありがとう」


 北川くんに話して良かったと、心の底から思った。

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