遺影のゴーレム――萩原海は、少しだけ恥ずかしそうに笑っていた。


 線香を上げて手を合わせる。隣には当の本人であるゴーレムも座っている。彼は何を思っているのだろうか。自分と同じ顔の遺影を黙って見つめていた。


「あなたが涼森れいなさんの?」


 お茶を淹れてくれた初老の女性は、萩原みどりと名乗った。やっぱり萩原海の母親で、今年で60の還暦を迎えるらしい。近くで見れば見るほどゴーレムにそっくりだ、と沙月は思った。


「はい。沙月と申します」

「似ているわ。お母様に」


 私ファンなのよ、とみどりは笑った。


「うんと昔のことだけどね。あの子が涼森れいなさんと共演できるってなって、私もすごく嬉しかった。亡くなられたのは本当に残念ね」


 沙月は心がチクりとした。この人も、涼森れいなを惜しんでいる。


「お母様の本を書かれているんですって?」


 孝太がどこまでしているのか知らなかったけれど、沙月は「はい」と肯定した。


「仕事人間でしたから、私は母を知りません。だから、こうして母を知る人を訪ねているんです」

「そう……それは立派ね」


 チクりとした心の痛みが滲む。きっと、みどりが想像している本とは別物だ。沙月は母への「不満」を敢えて話さなかった。もし本当に自分が書いた本をみどりが読んだとき、えらく落胆するのではないか、と考えてみる。


「私は少ししかお話をしなかったけれど……」


 みどりは、涼森れいなとの思い出話を語ってくれた。息子である萩原海に、本当の我が子のように優しく接してくれていたこと。撮影現場にはいつも美味しいお菓子を差し入れしてくれたこと。そのどれもが、目の前にいる娘の沙月を気遣ったものでなく、本心から出る褒め言葉であることに疑いはなかった。


 彼女の話の最中、沙月は得も知れない感情をずっと抱いていた。心に立つ鳥肌。隠し事をした後ろめたさによる罪悪感ではない。沙月の行き先では、皆が母を褒める。遠い無機質なテレビ越しの称賛の声は疎ましいのに、生で聞く血の通った声は、どうしてこうも心に刺さるのか。


 結局、2杯のお茶をご馳走になって、沙月たちは萩原家を後にすることにした。最後に息子である海の部屋を見せてくれと孝太が頼んだけれど、もうないですよ、とみどりは笑ってみせた。


「そろそろおいとまします。お時間とらせてしまって失礼しました」


 階段を降りた門の前で、孝太が深々と頭を下げる。


「いえいえ、私も昔話ができてよかったわ。れいなさんの娘さんにもお会いできたし」


 みどりと目が合う。彼女は私に涼森れいなを重ねているのだろう。沙月は病院で出会った葉純を思い出す。私は涼森れいな本人じゃないのに、どうして皆は重ねたがるのか。

 沙月は山間の少し肌寒い風を感じながら、みどりには見えないようにそっとゴーレムの手を握った。


「最後に、もうひとつだけ聞いて良いですか?」

「なにかしら?」

「母は『絆創膏』放送の後、芸能活動を休止しました」

「……そうでしたっけ?」

「はい。そこから活動再開するまでの6年間、母が何をしていたのか、ぽっかり空白が出来てるんです。何か知りませんか? 母が活動を休止した理由までいかなくとも、変わったことや些細なことでも構いませんから」


 言い終えてから、沙月はひとつ深呼吸をした。叔母の綾音も仕事の仲間の佐渡も思い出せなかった、空白の6年間。息子が共演した彼女ならば何か知っているのではないか、と沙月は考えた。しかし、


「ごめんなさい、分からないわ。私は少しだけしか涼森れいなさんとお話しなかったから、いつも新鮮な印象でしたから」


 そして、「あの子が生きていたら」と、みどりは初めて悲しみの色を溢した。居心地の悪い沈黙が蔓延った。沙月は、思わずゴーレムに振り返る。ここにいるのに。でも、頑なに口を閉ざしたままのゴーレムが。


「あ! ひとつ、思い出したわ」

「何ですか!?」

「あの子、海はね。涼森れいなさんからよくコーラを貰っていたのよ」

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