終鈴のホームルームも予定通りに終わり、3時40分になってから、沙月は孝太に電話を掛けてみた。


 教室とはうって変わって、外の駐輪場は暑かった。夏も盛り。蝉たちの鳴き声に、反射して照りつける真っ白な日の光。沙月は日陰を身を隠して、孝太の応答を待っていたけれど、留守番電話のアナウンスが流れてしまった。


 制服のシャツに汗が染みる。放課後なのに、広い自転車置き場には誰もいなかった。


 可奈は、今日も休みだった。

 メッセージを送っても、電話をかけても、全く繋がってくれない。それでいて、終鈴のホームルームが終わってすぐに、担任が沙月のもとにやってきて妙なことを聞いてきたのだ。


「片岡のこと、何か聞いてる? 昨日、今日と無断欠席なんだけど」


 心配の色はなかった。むしろその口調は、「いつも一緒にいるお前は知ってるだろ? ちゃんと先生にも教えなさい」と苛立ってるようにも思えた。


 それに、孝太の言葉も過ったのだ。

 ゴーレムの正体はもしかしたら身近な人なのかも――。

 とたんに、担任の目が気持ち悪く思えてしまって、沙月は「何も知りません」とだけ言うと、ぎゅっと鞄のストラップを握りしめ、早足で駐輪場に逃げて来たのだ。


 ようやく、ホームルームを終えた他の生徒たちが、自転車置き場にやってきた。

 賑やかになっても心は晴れない。担任が言った「無断欠席」という言葉の恐ろしさに、今になってようやく気がついたのだ。


 孝太から折り返しの電話が来たのは、可奈へメッセージを送ろうとしたその時だった。仕事が長引いてしまい、早くとも5時頃になってしまうと言う。


「それでも大丈夫?」

「はい。でも、叔母さんの目があるので、待ち合わせは昨日話した商店街のベンチでも良いですか?」


 並んでランニングをする野球部の生徒たちが、前を通りすぎていった。

 いっち、にー、いっち、にー、声出していこー!


 なるべく早く向かうよ、と孝太は言い残して、電話が切れた。

 下校する生徒たちの波が引いた駐輪場で、沙月はひとり自転車に乗る。少しだけしょっぱい潮風を浴びながら、彼女は田んぼの畦道を走り抜けていった。



 可奈が住んでいる部屋は、団地のB棟の4階にある。外付けの階段を登ってすぐのところだ。


 この辺りで唯一の団地は、買い出しの大型スーパーの近くにある。例の如く田んぼに囲まれているけれど、一階は居住フロアではなく、理髪店やドラッグストア、他には小さなスナックなどのテナントが並ぶ。

 コの字型にA棟B棟C棟とあって、真ん中には砂場もある小さな公園もある。小学校や中学からの友人の何人かも、この団地に住んでいて、昔はよくこの公園でみんなと遊んでいた。


 可奈もそのひとりだ。

 小学校の時に、彼女はこの団地に越してきた。理由は両親の離婚。母親が幼い可奈を連れて、地元であるこの町に戻ってきたのだ。

 昔から元気な女の子だった。男勝りな性格もあって、友だちも多い。そんな可奈といちばんの親友になれたのも、家が近いからだけではなく、お互いに父親がいないという共通点のおかげかもしれない。


 チャイムを鳴らす。

 普段のこの時間たと、可奈のお母さんはパートに出ていていないはず。いるとしたら可奈本人。しかし、二、三度とチャイムを鳴らしても、誰かが玄関の扉を開けることはなかった。


 鉄扉に影が落ちる。傘立ての隣に、蝉の死骸が転がっていることに気がついて、ぎょっとした。


 思いきって、ドアノブを回そうかとも考えた。実は鍵なんてかかってなくて、開けてみると、普段通りの可奈がケロリとした顔で出迎えてくれたりして。

 でも、出来なかった。


 いつもは――つい先日も来たばかりなのに――気兼ねなく潜っていた片岡家の玄関ドアなのに、今日はえらく重々しく感じる。まるで見えない門番が、自分を睨み付けているような気分。


 代わりに沙月は電話を掛けた。今度はアナウンスは聞こえず、呼び出し音が鳴ったけれど、出る気配はない。部屋の中からも、着信音は聞こえなかった。


 仕方なく、沙月は登ってきた外付け階段へ引き返した。踊場には蝉ではなく、緑色の小さなカナブンが這っていて、沙月は大きく避けて通ろうとして階段の壁に肩をぶつけた。ひんやりと、氷のように冷たい壁だった。


 時刻は4時を回ったところ。

 沙月は逃げるようにして、階段を駆け降りていった。

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