第五章

 アラームを止めて目を開けると、夏の朝日がちょうど顔に当たって、眩しかった。


 カーテンレースが揺れている。空いた窓からは蝉の声が無遠慮に入り込んでくる。


 暑いけれど、なぜか爽やかな朝。

 うるさいけれど、どこか和かな朝。

 沙月さつきはひとつ、伸びをした。


 隣で寝ていたはずの叔母・綾音あやねはすでにおらず、布団は畳んでおいてあった。


「おはよう、寝グセすごいわよ」

「……おはよう」


 いつものように、彼女はカウンターで自家製のコーヒーを片手に、愛用のセブンスターを咥えていた。窓から射す真っ白な光が、こじんまりした店内を優しく照らしていて、叔母が吐いた煙がまろやかに溶けていく。


 あずま家は喫茶パンチャと並列している。もともと仏具店だった曾祖父の店をリノベーションして、綾音の夢であったマイショップをオープンさせたのだ。


「コーヒー飲む?」

「……うん」

「先に顔を洗ってきなさいね」

「……はい」


 促されるように洗面所へ向かい、それから2階の自室へと階段を登る。


「おはよう」


 ドアを開けると、沙月の部屋のベッドに座る少年と目が合った。他のひとには見えない、頭に一本の角が生えた少年――ゴーレムだ。彼がこの家にやって来てから、沙月は毎日一階の居間で、叔母である綾音と並んで寝ているのだった。


 沙月に母はいない。いや、正確には。誰もが知る名女優と名を馳せて、半年前に死んだ。死因は乳ガンだった。

 闘病のために女優業を休むことなく、されど最期まで懸命に役に入り込んだ彼女の生きざまを、世間は美化して大いに称えた。きっと、世代を越えても愛される女優として、その名を刻むであろう、と。


 だが、娘である沙月は、その世間の称賛を嫌ったのだ。手の届かない背中がムズ痒いみたいに。


 だって、お母さんは幼い私を置いて出ていったのだから。


 それから沙月は、叔母である綾音と暮らしている。父親もいない。我が子を放り投げて、に生きた母の、世間の知らない化けの皮を剥がしてやる。


 だから沙月は母を追った。パンチャが取材されたあの日、ライターである孝太との出会いをきっかけに、娘である自分が、死んだ母の本を書くのだと。


 その秘密を知るのが、目の前で瞼を擦る少年、ゴーレムなのだ。


 勢いは良かったものの、テレビでしか母の顔を知らない沙月にとって、女優ではないあずま玲奈れいなのことはなんにも知らない。


 そこで始めたのが「ブログ」だった。「私は女優・涼森れいなの娘です」と前置きし、自分の企みを公にして、きっと自分よりも母に詳しいファンの人たちに向けて、情報収集を始めたのだ。


 しかし、話題性はあるはずなのに、彼女のブログは閑散とし、唯一のコメントが、謎の少年・ゴーレムからだった。


――ぼくは秘密を知っています。


 でも、それだけ。ゴーレムを見つけて何か分かりのかと思いきや、少年は「鍵が無いから秘密を教えられない」と一点張り。肝心の母のことは、まだ何も教えてもらっていない。


 さて、どうしようか――

 当の本人であるゴーレムは、悠長に大きな欠伸をひとつしてみせた。


「コーヒー出来たわよぅ!」

「はーい!」


 正直まだ頭が起きていなかったから、綾音のその呼び声は嬉しかった。


 とりあえず、目を覚まそう。

沙月は、寝グセだらけの髪の毛をくしゃくしゃた掻き乱したから、ゴーレムに振り返った。


「コーラで良いの?」

「うん」


 ゴーレムについて、ひとつだけ分かったことがある。少年はコーラが大好きだということだ。


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