喫茶パンチャには、孝太がいた。


 今日はカメラマンもいる。帰って来た沙月に、叔母である綾音が「今日が本取材なのよ」と教えてくれた。普段よりもメイクが決まっているのも、それのせいだろう。


「沙月も写る? 雑誌に載せてもらえるなんて滅多にないことよ」


 考えるふりをして孝太の方を見た。彼は沙月のことなどまったく気にせず、カメラマンに指示を出していた。


「ううん。私はいいや」

「そう? でも早く着替えてきなさいよ。ずぶ濡れじゃない」

「うん」


 傘を差していたはずなのに、それを通り抜けてしまったかのように沙月は髪の毛までびしょびしょだった。


「シャワー浴びるね」

「何かあったの?」


 自室へ向かう沙月を、綾音が止めた。


「可奈ちゃんとのこと?」


 眼鏡の奥の瞳は、ちゃんと沙月を心配していた。


「ううん、何もないよ。それに、可奈は今日は休みだったの」


 夏風邪だって、と沙月は嘘をついた。

 どうしてそう言ったのかは自分でも分からない。分からないけど言ってしまった。助けがないと苛立つのに、いざ手を差し伸ばされると払い除けてしまう。

 上手く整理できないそんな気持ちを抑えつつ、沙月は着替えを取りに自室へ向かう。今度は綾音は引き留めてくれなかった。



「それで、涼森れいなは――」


 夕方の報道ニュースで、司会の男性アナウンサーが大型のパネルを使って熱弁を奮っていた。


「大女優・涼森れいなの軌跡」


 シャワーを浴び終え、一階の居間でテレビを眺めていた沙月に、そう称された番組コーナーが飛び込んできた。

 彼女がヒロインを務めた映画のポスターもあった。戦争によって切り離された母と息子の家族愛を描いたものらしい。ポスターの真ん中には笑顔の母がいちばん大きく写っていた。


 なに笑ってるのよ――

 母が死んで半年以上経つのに、まだこのような特番があるのかと、沙月は呆れてしまった。いつもならすぐに消すのだけれど、母のことを知るためにしばらくぼんやり眺めてみる。


 しかし、今の沙月の頭は混沌だ。

 孝太のこと。可奈のこと。ヒソヒソ話のこと。そしてゴーレムのこと。

 ぐるぐるとこれらが混ざって、母のテレビに集中できない。


 テレビを消した。暗くなった画面に反射する自分の顔。シン、と静寂が落ちる。冷たい畳の床。不意に香る蚊取り線香の匂い。大宇宙の片隅にある、小さな地球の小さな島国の小さな田舎町で、少女はひとりぼっちだった。


 すると、お店のほうから「ありがとうございました」と孝太の声が聞こえてきた。


 沙月はつい反射的に起き上がると、Tシャツ短パン姿のまま、彼らがいるパンチャ店内へ急いだ。


「あ、沙月ちゃん」


 孝太の呑気な声に、沙月は少しだけイラっとした。

 ちょうど孝太が扉に手をかけているところだった。雨は上がったらしく、半開きになった隙間からは、日の光が僅かに射し込んでいた。


「朝に電話したんですけれど、気づいてましたか?」

「電話?」

「はい」


 孝太は隣で大きな荷物を持ったカメラマンと顔を合わせた。そして、思い出したかのように「あ!」と声をだすと、笑いながら沙月の方へ振り返る。


「ごめん! 今日携帯を家に忘れたんだ」


 忘れた? 携帯を?


「そうそう。おかげで谷さん……このカメラマンのおっちゃんにもこっぴどく怒られちゃってね」

「おいおい、おっちゃんはないだろ」


 谷さんと呼ばれたカメラマンは、白髪混じりの長髪を後ろで束ねており、髭も豊かにいかにも業界の人のような格好だった。


「おかげで私も待たされたのよ」


 カウンターにいた綾音も、笑いながらチクりとトゲを刺す。


「約束の時間になっても来なくて、こっちから電話をしても留守番電話になるし。しまいには知らない番号から電話が来て、少し遅れます、だって」

「いやぁ、ほんとスンマセン……」

「本当に気を付けろよ」谷さんが孝太を小突く。


 彼ら3人には輪が出来ていた。その輪の外にいる沙月は、より苛立ちを増していく。そんな彼女の様子に気がついたのか、孝太と目が合った。


「谷さん、あれだったら先に帰ってても良いよ。雨も上がったし、俺はひとりで帰るから」

「はいよ。じゃあお先に」それから谷さんはカウンターの綾音に姿勢を正した。

「東さん、本日は貴重なお時間のなか、取材にご協力いただきありがとうございました。掲載誌はこいつから送らせますので、よろしくお願い致します」


 最後にもう一度、谷さんは「ありがとうございました」と深く頭を下げて出ていった。

 風貌に似合わない礼儀正しさに可笑しくなったのか、孝太と綾音は顔を見合わせると思わず吹き出してしまっていた。


「ね? 変わった人でしょ?」

「ええ」


 そして、孝太が再びこちらを見た。彼の目に、今の自分がどう写っているのか。きっと鬼のような顔つきなのだろう。孝太はわざとらしいご機嫌取りのような優しい声で、「お待たせしました」と笑った。

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