シャワーを浴び、自室に戻った沙月は、正直落ち着くことは出来なかった。


 昨日見たお化けの少年が居たところは何もなかったのだけど、座ることはもちろん、その上を歩くことさえ沙月は避けてしまった。


 しん、と夜の静寂しじまが怖い。

 誰もいないはずなのに、部屋の中に誰かの気配を生み出してしまう。部屋の隅。机の下。カーテンの影。沙月は、思わず机の上に置いてる鏡をそっと倒した。


 時間もゆっくり感じられた。いつものこの時間は何をやってたっけ? と日常が分からなくなる。無理もない。彼女の日常は食い破られているからだ。


 そして、気が付けばスマフォを耳に当てていた。何度かコールが鳴ったあと、留守番電話サービスになる。しかし、今日は布団の上に放り投げることはせず、そのまま折り返しを待っていた。

 案の定、すぐに電話がかかってきた。沙月はワンコールも待たずして、すぐに通話ボタンを押す。


「もしもし?」

「もしもし、沙月ちゃん? どうしたの?」

「あの……変なこと聞いても良いですか?」

「二回目だね。ライターの極意かな?」


 こっちの事情を知らない孝太は、呑気に笑って見せた。今日は車に乗っていないらしい。代わりに、電話越しにガヤガヤと人の声も混じっている。それが、沙月を少しだけ安心させた。


「いえ、違うんです。その……」


 いよいよ、沙月は恥ずかしくなってきた。私は何をバカなことを聞いているのだろうか、と。それでも、口が勝手に動いてしまう。


「私、お化けを見たんです」


 今日の学校で、可奈にしたことと同じようにお化けの説明をした。自分の部屋にお化けが居て、消えてしまったこと。小学生くらいの男の子で、頭に角が生えていたこと。

 きっと、お門違いなのに、それでも孝太は真剣に聞いてくれた。


「沙月ちゃんの部屋にパソコンがあるかい? 実はに詳しい人がブログをやっていてね。検索したらすぐに出てくると思うから、ちょいと調べてくれない?」

「あります! 何と検索すれば良いですか?」


 孝太が言った名前は、沙月は知らなかったが、打ち込んでみるとすぐに「オカルトブログ」と候補が出てきた。


 簡素なブログだった。

 白色の背景にゴシックの黒文字。タイトルがあって、その下に「プロフィール」と「調書」というリンクが並んでいるだけ。トップには写真が1枚もない。こまめに更新はしているようで、「調書」の隣にオレンジ色の「NEW!」の文字がチカチカ点滅していた。更新日付は昨日のものだった。


「検索窓があるだろ? そこで『鬼』と調べてくれない?」

「鬼なんですか? 私が見たのって」

「分からないよ」孝太が笑った。「でも、角があるなら鬼から洗うのが妥当でしょう」


 言われた通り、「鬼」と検索してみると、ヒットしたのは1件だけであった。


「どう?」

「鬼の――説明でしょうか? 鬼の語源はおぬ。その名の通り、もともとは姿形が見えない幽霊や怪異の総称で、厄災事も鬼の仕業だと言われていた」


 鬼のページを読み上げてみたものの、そこに彼女たちが欲しい情報は見当たらなかった。


「あ、ちょっと待っててね」


 どうしようか、と孝太が言ったすぐ後のこと。誰かに声を掛けられたのか、彼は保留を押した。


 しばらく、デフォルトの電子音楽を聞きながら、沙月は初めてみたオカルトブログに魅入っていた。サイト内を巡り、「座敷童子」だの「河童」だのと、彼女の知ってる言葉もちらほらあった。

 各ページ――調書にはコメント欄もあって、驚くべきは毎回100人近くの数がいることだ。

 今の時代を生きる沙月だからこそ、それがどれほど凄いのか充分に分かった。


 やがて、ブログの最下部へ目が行く。そのには「あなたもブログをはじめませんか?」のリンクがあった。沙月の頭の中で、カチっと何かがはまる。


「もしもし? ごめんごめん。そのお化けのことなんだけどさ。今度そいつに直接聞いてみるよ」

「あ、ありがとうございます」

「そうであれば、お母さんのこと何か分かった?」

 

 沙月は話半分で、ブログを始めるのページを読んでいた。


「いえ、叔母も知らなかったみたいです」

「そうか。なかなか難しいね……」

「でも、良いことを思いつきました」

「え? なに?」

「ブログです」

「ブログ?」

「はい。この方のオカルトブログみたいに、私も母のことをブログで書こうかと思います」


 沙月が言い切ると、少し間があってから「いいね」と返ってきた。

「 でも気を付けるんだよ。世の中には悪い大人がたくさんいるからね」



 タイトルを決めることに、1番時間がかかった。

 

 その他は簡単だ。日記の形式で、タイトルの下に簡単な概要を書けばおしまい。


 私は先日亡くなった女優の涼森れいなの娘です。高校生です。皆さんが知らない母のことを書いていきます。


 タイトルは悩んだ挙げ句、「母・涼森れいなのこと」とした。後からでも変更は出来るし、こういうネーミングセンス的なものは孝太の方が詳しいであろう。


 沙月の中にはメラメラと小さな篝火かがりびかあった。

 はじめて宝くじを買った人が、もしかしたら自分はすぐに当選する人間なのでは? と大きな夢を描くように。


 篝火は沙月の心の中にある「母」を燃やす。この夏。東沙月による、母への復讐――と言えば大袈裟になるけれど――が始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る